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10月ですね。
月が変わり、息子は学級で配布された10月の授業時程が書かれたいつもの『学年だより』と、学校全体の行事予定に関する『学校だより』を持ち帰りました。
下の写真はその学校だよりの一部分(↓)。
こんなお知らせが載っていたことに、私はとても言い表し難い違和感を感じてしばらく考え込んでしまいました。
どうなんでしょう。
『うちの学校では体罰をしないし、させないし、許さないことにしています!✋』
そう宣言してくださるのは大変結構なことなんですが、なんかすんなり入っていかない。
だってそれって倫理的に当然のことだし、こんなお便りを通して保護者向けに改めて宣言するまでもなく、学校では“当たり前”のことなんじゃなかったの!?
と、私は驚いてしまったわけなのです。
そう。いくら学校の先生とはいえ、他所様の大切なお子さんに暴力や暴言を振るって良いわけがありません。
学校では暴力や暴言なんかとは無縁である。親としては、そう信じて子供を通わせているのです。だけどこのお便りにより学校のスタンダードが一体どこにあるのか、私はそれが分からなくなって少し混乱してしまいました。
そんな折、とても悲しいことに、今週月曜の10月4日の新聞で私はこんなニュースを目にしました。
これは先月、2021年9月21日頃にも報道されていた事件(↓)のその後談。問題の元教諭がその動機について「強く言っても動じないから」と釈明した、というそんな内容の記事でした。
ちなみに同事件に関する9月の報道は以下の記事(↓)です。良かったら。
探せば他にも出てきます(↓)放課後デイサービスの職員まで。兵庫県は一体どうなっとるんじゃ。
これら一連の報道において、
標的となってしまったのは自閉症や情緒障害などの発達障害児であることに私は衝撃を受けました。
息子を見ていて、時々私は思います。
発達障害を持つ子の中には、とても繊細かつ過敏であり、周囲に精一杯気を遣いながら気を張りながら生きている子供がいるのです。
だけど本人がどれだけ気を遣ったり気を張っていたとしても、どうしても行動や理解で出来ることと出来ないことは出てきてしまうし、本人は至って普通のつもりでも周囲から『この子、なんだかちょっと変じゃない?』なんて感じられてしまうこともあり得るのだろうと思います。
そのような子がいじめの標的になりやすい。そんな話も、聞いたことがある気がします。日本では特に起こり得そう。
もしも、子供の様子がおかしいのではと気づいた時。親は何をするでしょうか。
もしかしたら多くは『子供同士の小競り合いだろうね』と思おうとしてしまうかもしれません。そう思い、様子を見てしまうかもしれません。
だってまさかそれが、大人が相手だなんて思いません。
私たちは、知っておかなければならないのではないでしょうか。
このニュースで報じられたような“大人から子供への暴力・暴言”が、現実に学校現場で起こり得る可能性があることを。
そして自分の子供が、その標的になりやすい可能性があることを。
そしてできれば、その時どうするかまでを考えたい。
もちろん絶対にあってほしくないことですが、その対応策までイメージしておくことはその時のためにとても有効なことだと考えます。今回は学校現場での事件でしたが、特性のある人には就労や介護、様々な場面において標的になることは起こり得る。そこから引き起こされる二次障害を防がなくてはなりません。
今日はこのニュースについて考察したいと思います。
それから実際に、最近に私の友人が経験したことを取り上げたいと思います。弁護士さんに聞いた話なども紹介しながら、ニュースにはなっていないが私の近くで起こった一連の出来事を記録しておこうと思います。
学校を信じたいです。子供のために、きっと良い方向に向いてくれると信じたいのですが。
このニュースの問題点を考察する
発達障害を持つ子供を舐めている
さて、冒頭に書いた姫路市の特別支援級における暴言・体罰事件において、何が問題だったのかを私なりに考えていきたいと思います。
子供への真摯さが感じられない
この教諭は、規定内の最も重い懲戒免職処分になったとのことですが、10月4日のニュースではその元教諭の“釈明”とやらが報じられておりました。
その元教諭の言い分は、どうやらこういうことらしい。
『強く言っても動じないから』
あぁ残念だ。。。
こんな“釈明”なら、口に出して言わない方が一体どれほど良かっただろう。。。😭
まぁ、ね。そういうことも分からない人であるから、今の時代に、ましてや障害のあるお子さんに向けて体罰や暴言なんかを振るえたのだろうと思いますがね。残念だ。
しかしここでこの人の人格を嘆くことは、なんの解決にもなりません。そういう人が兵庫県の教育現場にいたという事実は変わらない。そしてそれは処分によって解決済みだ。
では問題の何が重大か。
私はまず、子供に対する真摯さが全く感じられないことを大きな問題だと捉えました。言い換えれば、発達障害を持つ子を完全に舐めている。
支援学級に通うお子さんは、本当に様々な特性があるのだろうと思います。そしてその程度も様々、年齢だって様々で、体の大きい年長の子も、体の小さい低学年の子も同じ教室にいることが多いのだと聞いています。
もちろん先生は大変です。
特別支援教育に関する深い理解と知識を持った先生じゃないと、毎日対応できるものではありません。
だってさ、たとえ親でも、発達障害を抱える実の子供の“一見意味不明”な振る舞いに怒りを抑えられない時があるほどだもの。大変だと思うよ。仕事とはいえ、学校の先生の誰にだって務まるものではありません。
だけどこの元教諭はそういう次元の話じゃないみたい。暴言の数々はここに書くには気が重すぎるのでニュースを参照していただくとして。
どうしてそんなことが言えるのだろう。
心からそう思ってしまっているのだろうかと、首を傾げたくなる思いです。
まぁ本当のところは、こういうことかもしれないなぁと思っています。
そう言う言葉を使ったとしても、この子達には分からない(すぐに忘れてしまう)。親に伝わることもないだろう。そんな弱い子供を見下す心が、その根本のところに感じられるような気がしてきます。
発達障害児は、何を言われても動じない。もしそう思い込んでいる人がいるのだとしたら、それはとても酷い考え違いです。
人一倍に傷ついているに違いない。言えてないだけで。
なんにせよ、この元教諭は完全に子供を舐めていて、バレない、そして仕返しされることはないとさえ思い込んでいたのでしょう。
そうして自分のストレスや様々な特性を持った子への理解不能さからくる怒りなど、それらを全て暴力と暴言でぶつけることに歯止めが掛からなかったのだろうと思えます。
さらに悪い風に考えれば、『動じない』というのも本当に言い訳だったのかもしれません。
だって本当に動じないわけないよ。うちの息子なら大パニックだししばらくフリーズするよ。
この元教諭は、子供が戸惑うことや傷つき弱っていく様子を見ることで、相対的に自分の歪んだ自尊心を上げていたんじゃないかとも思えてきます。
ひどい話です。子供に対する真摯さを、全く感じることができません。
環境の不健全性
ニュース記事において、問題となった元教諭の同僚の方が、この学校の支援学級における問題行為を複数回にわたって同校校長に訴えたものの、校長はそれらを全て見逃していたことが問題視されていると書かれていました。
問題となった元教諭も悪いやつで、同僚に自身の行為を“口止め”したり、“管理職に言ったのではないか、などと問い詰めたりしていた”とも書かれています。
そして校長が問題を問題として取り上げなかった(←もしかして、わざとだったのか?と思ったりした)ことと合間って事実確認が大きく遅れ、その間子供たちはずっと傷付けられてきたというのです。
ここで2方面からの問題点に気がつきます。
一方は、その校長が、問題を問題として取り上げなかった謎の事なかれ主義がとても良くない。
私は前々から思っていたのですが、『発達障害の人は空気が読めない』っていうじゃない?だけどさ、一部の定型発達の人のその『空気を読む』っていうのはさ、その場で発言力が大きい人や状況の圧力に頷くだけで自分の言いたいことも言わないし考えもしないことを指しちゃってることって、あるよねぇ?
否定できる?どうでしょう。それは空気を読んでいるんじゃないよ、思考停止をしてるだけ。私はそう感じることが時々あります。
この時の校長先生の思考回路も、もしかしたらそういう状態だったのかもしれないなと思えてきます。
ちなみにそうでないという点から言えば、発達障害の人の方がむしろ『空気を読める』場合も多々あると私は思ってる。自分の気持ちをストレートに発信できるということは、激動の世の中においてとても大事な能力だから。
もう一方は、子供側の難しさ。
本当にね、難しいんですよ。
発達障害を抱える子供から“困ったことがどこにあるのか”を聞き出すことは、親でもかなり難しい。私もこれまでに経験しました。
私の息子は、小学2年生の終わりに2週間程度の不登校状態に陥ったことがありました。だけどその時私は、息子から『何が問題か』を最後まで聞き出すことができなかったのです。
その時の息子は、殻にこもった感じでした。何を聞いても返事もせず、ポロッと『なんでもない』とか『分からない』と言うばかり。
今思えば、息子自身も自分が感じることをどのような言葉で言い表せるのかが分からなかったのかもしれません。そして“(親を含めた)他人に知られたくない・言いたくない”という彼の心の在りようも関与したかもしれません。
当時の私が取った行動はこうでした。当時の担任教諭としつこいほどに話をして、あれか?これか?と問題かもしれない候補を一つずつ手探りで取り除いていきました。そのうちの一つが無事当たったみたいでその後息子は再び学校に行き始めたわけですが、なかなか大変だったなという思い出です。
姫路市の事件については、学校側が異常事態を早急に正しく捉えなければなりませんでした。
この事件は子供からの訴えや、親御さんの方から気付けたのでは?という可能性を指摘することもできるのかもしれません。だけどそれはとても難しいことだったと想像できます。
そのためにその同僚の方の訴えは、状況改善のための唯一の一手であったはず。
多大な勇気を要したでしょう。何度も繰り返し訴えたのだと書かれています
その勇気を持った訴えに向き合わなかった校長らには、ものすごい不健全性を感じます。さらにその学校では校長以外に窓口は存在しなかったのか?というシステム不備もとても不健全であると私はとても不快です。
対処の遅さ
全てはこれに尽きるでしょう。
この事件は、校長による対処の遅さが最も重大な問題点だったと思います。
元教諭の悪質な言動ついては何か(精神的な)事情があったのかもしれないですが、問題が存在したのは事実であるのでせめて周囲は、特に管理職の立場にある人は、いち早くそれに対処しなくてはなりませんでした。子供の健全な成長が懸かっているのです。
問題行為を訴えたという同僚の方は、3年も前から何度も管理職に報告していたと書かれていました。それにも関わらず元教諭には口頭注意がされたのみで、教員の配置換えや指導方法の工夫なども検討されず、このことを学校外に報告さえしていなかっただなんてあり得るの?他の先生はどうしていたの?信じられない。
何年間も、このような環境で過ごしてきた子供達がとても不憫に感じます。
息子についても言えますが、ワーッとなった時に強い口調で嗜めることは息子の耳を完全に塞いでしまい逆効果だと私でさえも知っています。そして力で抑えることは最終手段。それでもプロの教育現場であるなら、力以外の対応方法をいくつも想定しておいてほしいところです。
特性のあるお子さんは、その子その子に合わせて接し方を探して工夫していかなくてはなりません。
子供たちはもうずっと前から、暴言や暴力に耳も心も閉ざしてしまっていたのかもしれません。そんな子供に向かって『動じないから』とさらに重ねて暴力や暴言を振るうだなんて、やっぱり何度考えても信じられない。大人のすることじゃない。ちょっと経験のある人ならば、このやり方は間違っていると絶対に気づいただろうに。
そんな“ちょっと経験のある人”や“良識ある大人の先生”は、この学校の支援学級に関わることはなかったのでしょうか。異常な事態に気づいた人は、他には1人も居なかったのか。外部に報告する窓口は校長以外になかったのか。訴えた人の立場を守るシステムはあったのか。
今回、教育現場は時にそんな密室のようになり得る可能性を知りました。
それをとても恐ろしいことだと思うと同時に、私は無関心では良くない、親として必ず知っておくべきことを知ったのだと感じました。
長くなりましたので、次回に続きを書きたいと思います。
次回は私の友人に起きた、これもまた、非常に難しい教諭と子供の関わりについてを記録したいと思います。
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