みなさんこんにちは✨
私の息子は高IQの凹凸児であり、感情の激しさや繊細さも特徴的で、類似の資質のあるお子さんに多く見られるというように、小学校では不登校を経験しております。また、私自身も子供の頃には嫌な思い出しかない“内申点”という制度を避けたいがために、なんとしてもと取り組みたかった私立の中高一貫校への中学受験も我々の未熟さゆえに到達さえできなくて、現在息子は地域の公立中学校に学籍を置かせてもらっています。
中学生になり、彼はこの半年間を本当に頑張ってきたとは思うのですが、この10月頃から彼は再び学校に足が向かなくなってしまいました。
今日はその、中学校への不登校の決定打ともなったかもしれない、ある背景を記録しようと思います。
もう疲れた、無理、面倒臭い。
息子は、最近の心境をそんな言葉を使って言い表しています。語彙は単純に見えますが、今の彼はかなり複雑な心境にあるのだろうとは分かります。または、そんな複雑な心境を的確に表現する言葉が彼には見つからないだけなのかもしれないし、そもそもそれを伝えようとする意欲や意義もないから適当な言葉で表現しているだけなのかもしれません。
言葉の真意はわからないけど、今の彼は、かなり疲弊していることは間違いないと思っています。
疲れた、面倒くさい。
12歳の子供からそんな言葉が出てくるほどに、本当に、中学生になった息子はこの半年間の登校をよく頑張ってきたと思っています。
毎日ぐったり疲れて帰り、ベッドに倒れ込むように寝てしまわないと次の動きへ繋がらない。多くの“普通の”お子さんには部活動や友達との交流に使える放課後が彼には残らない。
本当に息子は、いつも気を張り全力で過ごしてきたのだと思っています。
学習面では、息子の場合は大きな遅れはありません。むしろ少し早修で、関心に偏りはありますが学校教育とは別に独学でも彼は学習が可能です(↓)。すでに英語や数学は、高校生で学ぶ内容へと進んでいます。
そんな彼が、学校生活がそれほどまでに“疲れてしまう”という裏には一体何があるか。
私は彼に聞いてみました。まずはすぐに取り掛れそうな部分から。
例えばさ、授業が面白くないなとか、知っていることばかりで退屈だなって感じることはあったりする?
知っている話ばかり延々聞かされたら、そういう時間って大人でもすごく疲れるものだと思うのよ。しかも子供は無報酬。大人はお給料がもらえるなら耐える人もいるけどね。
もしもそういうことがあるのなら、お母さんからも先生に相談することができるのよ?
だけど私のそんな問いへの息子の返事は、とても意外なものでした。
あー、ない、かな。
ないの!?あるのだとばっかり思ってたよ。
うん、確かにもう知っていることばかりではあるけどさ。
もしかしたらたまには何か知らないことが習えるんじゃないかと思って、いつも探して聞いているから。
そそそ、そうなんだ。それで、新しいことが習えることは結構あるの?
うん、たまにある。社会とか。
そうなんだね…
それでもさ、あるのかないのかわからないものを探し続けて全開でアンテナを立てていたら、それはかなり疲れてしまう思うんだけど。
どうだろ、わからん。
っていうかクラスの人は僕ほど話を聞いてないことに驚いてる。さっき言ってたことなのに、「今先生がなんて言ってた?」って聞かれたりするから良くわからない。
また、息子は中学生になってからの定期考査もよく取り組んだと思っています。彼の強みは学力です。最初の頃は考査も非常に前向きに、楽しそうにやっていたと感じました。
本当はもうちょっとやれそうだった。それは次に試してみたい。
そう言って振り返ることや、“次”を意識できたことも彼の成長だったと感じます。
そうして。
この半年間が過ぎてみれば、出席日数は100日間の登校日のうち(うち2日間は学級閉鎖で登校停止)、彼は77日間の出席をも達成しておりました。当初は1日も行かないことも想定された中学校も、実に3/4以上を登校することができました。
本当によく頑張ったよね。私は彼の成長をとても嬉しく感じており、同時に、このまま彼が学校に馴染んでいくことを心のどこかで微かに期待を抱いていました。
決定打は、そんな彼の前期の学校生活に評定がついた通知表だったと思います。
息子はよく頑張った。それは我が家は認めています。だけど彼のこの半年の学校生活の、学校からの評価というのが、5段階評価中において、全科目が「2」または「3」という評価で通知表で返されました。
前期の終業式(←式典とか苦手らしい)を欠席していた彼は、後日にその通知表を届けてもらい自宅で初めて開きました。
それをパッと見た息子はポツリと、
ひどい…
と言ってすぐに通知表を閉じました。明らかに顔が曇っていました。
そうだよね、僕は中の下。
私は通知表を息子から取って、中をよくあらためました。
そんなことはない、あなたはよく頑張ってるし、良い感じだよ!お母さんは分かってる!
こんなものは気にしない。ほら、所見欄も先生はとてもよく書いてくださっているし、ここもほら、知識技能は全部が「A」の評価だもの。テストは頑張って良かったね。ちゃんと良い面は評価されているじゃない。
もういい、僕には一生「4」以上は取れない。これ以上は頑張れない。
もうテストも頑張らない。満点を取っても通知表では33.3点分にしかならないならさ、テストで1点でも良い点を取るのは無駄ってことだよ。
そうじゃないよ、ものをよく知っていて良い点が取れるのはあなたの素晴らしい個性だよ、お母さんはあなたのそういうところがすごくいいと思っているよ。
評価の軸が合わないだけなの。あなたはとても素敵だよ。その素敵さを見つけて分かってくださる場所はどこかに必ずあるのだから、あなたはあなたでいいんだよ。
もう、いいから。
そうしてその翌週から、息子は学校に行かなくなってしまったのです。
この通知表事件を、私は息子を長く支援してくださっている区の教育センターに所属する臨床心理士さんとも共有させていただきました。
あーー。。
これ(通知表)が、決定打で間違いないでしょうね。っていうか、彼をよく知っていればこうすればこうなる(学校への意欲を失う)ことは簡単に想像できますよ。それをわかった上で、先生はこの成績を彼に見せたっていうんですかね(←ちょっと怒ってくださっている🥲🙏)。
そうなんですよ。私も前期は息子が予想以上に学校に行ったので、通知表への心配とかその事前伺いとか打ち合わせとか、そういうことが頭から抜けてしまっていました。その点は私の落ち度です。
とはいえ既存の軸に合わせて評価をつけなくてはならないのが先生という立場です。先生が悪いという話でもありません。
通知表なんて大きな意味はありません。ただの通過儀礼なんですよ。母集団だって、ただその地域のただ同い年で同学年の百数十人の子供でしかない、学校生活面のみの評価です。まずは息子君にはそう話してみて、気持ちを聞いて寄り添ってあげてくださいね。
心配なのは、現実としての高校受験はありますのでやはり“内申点”のことですね。この成績では彼の学力に見合う学校へ進学することはできなくなります。
それが直近での課題でしょう。学校とよく相談する必要がありますね。
どういう理屈でこの評価がついたのかを、まずは息子君本人がよく納得できるように先生から話してもらうこと。
そして、一体どこが問題であったかを明らかにして、それをどうカバーしていけば良い成績をつけていただけるのかを、本人も納得いくまで話し合うことが必要です。
学校に遠慮は無用ですよ。どんどん言ってくださいね。だってその成績をつけたのはその学年の先生ですから、その責任は取ってもらって構いません。
ただ私としては、これで息子君の学校への意欲が完全に切れてしまわないか、そこが本当に心配ですね…
彼は強い白黒思考の持ち主ですからね…激しくも繊細、とても難しい課題ですが、頑張りたいと思います。
それからすぐ、私たちは学校へ行き担任教諭とスクールカウンセラーさんも加わってくださり話し合いを持ちました。その場には息子も同席することができました。
通知表作成にあたり、定期テストの点数は『100点満点→33.3点』へと換算されてしまうこと。どんなに良い点数でも1/3に圧縮される。
その他では、重要なのは日々の授業の中で行われている小テスト。息子は欠席日数自体は問題ではないが、欠席により受けられていない小テストが複数あってそれが評価点を下げている。
主体性という評点では、授業態度もそうだけど、ノートの評価が大きくもある。ノートの取り方に、自分なりの学習成果や気づきや工夫が見られていれば高評価。息子は書くことに苦手があり(というか意義を見出していない)、そもそもノートを取っていないので提出もされておらず評価が低い。
科目によっては、終わったテストの直しをして提出したかどうかなどが成績に加点されるものもある。
あとは部活動や生徒会をやると内申点は加算されるというけれど、
学校にいくだけでこんなにも全力でぐったり疲れて帰ってくるのに、部活動も生徒会も難しいですよ、酷なことを言わないでください😭
そうですよね…もういっそ、高校はどんなレベルでも良いというふうに思うことは難しいですか?
入学して半年しか経っていないのに、今からそう思えるわけありませんよね。
先生方のせいでは決してありませんが、今のお話は息子ができる範囲での精一杯での頑張りを潰してしまう、一方的な評価軸としか思えません。息子には頑張ったことも良い面もあるのに一義的な軸に勝手に無理やり彼を乗せて、その評価でしか高校受験に進めないなんて乱暴です。
息子にも良いところはたくさんあります。適した環境で充実した学校生活を過ごしてほしい。そう願っていくことを、私は今の時点で放棄することはできません。
もちろん、前向きな話し合いもたくさんさせてもらいました。受けられなかった小テストは次に出席した日に解いて評価してくださるようにしていただくとか、日々書く作文とやらも、
書くことに苦手があれば、クラスでは600字目安と指導をしていますが、短めでも構いませんよ。
その、短め、というのが分かりません。1行ですか、2行ですか?
先生も、指示は具体的に出した方がいいですね、その言い方では混乱が起こることも無理はありません。改善した方がいいですね。
あと、僕としては“おまけ”されるのも本当は好きではありません。
息子は書くのは大変だけれど、どうしてそれを書かないといけないのかが理解できれば書ける子です。そこを当人が納得できるまで根気よく根気よく説明してくださることが、私たちが受けたい合理的配慮の一つです。
などなどです。
だけどとにかく、“内申点”の壁が越えられません😭
どうしてだ?
文部科学省の「特異な才能のある児童生徒に対する学校における指導・支援の在り方等に関する有識者会議」も始まり動き出したというのになお、
さらに人は個々に多様であるという認識が広まりつつある現代で、
ダイバーシティの世界に住む人もだんだんと増えつつある今においてどうしてなお、
学校での評価軸は今なお一つしかないのだろう。そしてそれが高等教育へのアクセスに、あまりに直接的かつ大きな影響を及ぼしてしまうという現状も。
ここに、私は変革を大いに期待します。
どうか、内申点という制度を無くしていただけませんでしょうか。
内申点が果たす意義はなんですか?ただ一つの軸でしか評価を付けることはできませんか?
私にはそれが、多様性を阻み少数派を通さない“壁”のようにしか見えないのです。
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