みなさんこんにちは。
今日も当サイトへお越しくださり、ありがとうございます。
ちょうど今、新しい学習指導要領を改訂する議論において、「特異な才能がある子ども」についてもかなりの言及が加えられてきています。嬉しいニュースだと思います。
ちょっとだけ中身を見てみましょう。印象的な図がありました。

なるほど。同地域で育つ同年齢というだけで集められ、学びの場を共にすることになる40人学級の、その構成員の属性がこれまでよりも詳しく示されているようです。
ふむ、今の40人学級では、
- 得意な才能のある子供(ギフテッド児を含む)は概ね1人
- 学習面や情緒面で困難を有する子供は概ね2人
- 不登校傾向はだいたい7人
- 家庭の文化的環境に恵まれないため学力が低い傾向の子が約16人
- 日本語を母語としない子が1人か2人
ってところでしょうか。
残りの約12人、概ね3割が、健やかな成長と学校生活に特段の支援を必要としない(と思われる)子供達。どうか健やかに育ってほしい。
あ、あと、見るからに汗を飛ばして焦っている大人が各クラスに1人いる。1人で大丈夫かな、心配になる。
忘れちゃいけないのは、書かれてないけど、各子供らの後ろには子供への関心の高低さえも多様である親や祖父母も控えていること。そして教壇に立ち、汗を飛ばしている大人(教諭)にもまた人生があり、家族があり、子育てや介護をしているかもしれないことも決して忘れてはなりません。

『なんじゃこりゃ』『無理だよなぁ…』と、ため息に似た何かがつい出そうです。
システムに、もはや無理があるのではなかろうか?
そう、この集団を、ただ教師であるというだけの大人が1人で運営しようとすることに、最早かなりの無理がある。改めて見ると、そんな気がありありとしてきます。
そして、ここへきて“得意な才能のある子ども”の支援とも言われつつも、クラス構成がこのカオスさが現実ならば、“得意な才能の支援”というのは多分きっと…後回しになるのでは?と容易に想像できそうです。
机上で何を言ってもね。実際の現場が心配になるカオスさです。
なぜなら教室の焦る大人は、学習面や行動面で著しい困難を示す子どもの方の支援に手を取られることもあるでしょう、その保護者対応も必要です。その中で、たった1人の大人が高IQや凹凸のある子(←しかも彼らはそこらの大人よりも頭が回り、自分軸がしっかり強くて、口も立つのでやや扱いづらいケースが多い、全員ではないが。)の支援にまで、本当に手が回るのかしら?本当に?
それが私の感想でした。

審議のまとめ ~多様性を認め合う個別最適な学びと協働的な学びの一体的な充実の一環として~ 【概要】
いや、私には現場の経験がないからわかんないんだけど。
私なんかの心配をよそに、めちゃくちゃ上手く回り出すかもしれないけどさ。
通常学級がこのまま運営可能かどうか。この図を見ると私はある程度の“取り出し”とか、似た資質の子供同士で区分けたりとか、そういうことも必要なのかもしれないなと感じます。
話のついでに、通級を拡充するという方策の合理性について触れてみたいと思います。私がつい先日に、高IQで多動傾向の男の子をお育てのお母様と話していて、そんな話になりました。

娘は場面緘黙症で、就学時に地域の公立小学校で通級利用を申請したの。でも、認められなかったの。
理由の一つに、「通級には多動の子もいるから、静かに過ごしたい子にはかえってストレスになることがある」って言われたのよ。

えーーーっ!!
うちの子は人にどんどん絡む子だから、「静かに過ごしたい子の迷惑になるから」って言われて通級利用を断られたよ!!


混ぜるな危険⚠️ってことはわかる。自治体の方針かしら、どうやって決まるのかしら。
通級も、タイプ分けしてあれば良いのにね。活動的な支援級と、おとなしく過ごしたい支援級、最低2教室は必要ね。

いい切り口だと思います。なんでも1クラスで済ませようとするから大変になっているのかも。
全ての課題は、教員の人手不足に帰結するのかもしれません。人がたくさん必要なのに、今は教員のなり手もなかなかいないという人手不足が深刻です。
“得意な才能のある子ども”の支援も、やるなら、人の手の数こそが必要です。
そこはどうか、国や自治体でなんとかしていただきたいと願うことしかできません。
または、学校外の場を学びの場として使って良いと正式になされていくのか?というあたりでしょうか。どのようになっていくのか、注視したいと思います。
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今月14日に、また一つ年齢を重ねさせていただきました。
毎年自分の誕生日に紐づけている恒例行事、“献血”“歯の健診”も無事に達成できました。今年も元気で健康な自分の体に感謝をし、地道な成長を目指すために精進し続けたいと思います。

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