スポンサーリンク

公教育の弊害か、「自分でなんとか」ができない子

今日も当サイトを見に来てくださりありがとうございます✨

 \クリックありがとうございます/

にほんブログ村 子育てブログ ギフテッドチャイルド育児へギフテッドチャイルド育児ランキング

PVアクセスランキング にほんブログ村

今の公教育はそれでいいのか?

みなさんこんにちは。
今日も当サイトへお越しくださり、ありがとうございます。

今日はちょっと、私が感じた雑感です。これは果たして『今ドキの子』の特徴なのか、それとも昔からずっといたけれど私が気づかなかっただけなのか。

その辺のことは今の私にはわからないけれど、とにかく私にとっては極めて不思議で不可解な事例が存在しており、そしてそれは決して1人や2人じゃないほどに、高頻度に見られることが私はとても興味深いと感じています。

これは我が国の公教育の、弊害なのかもしれませんね。

この春のことでした。

本当にひょんなことから、私は今は、ある全日制の私立普通科高校において、理科を教える教壇に立つことになりました(↓)。

これがなかなか楽しいものです。

今時期は1学期の中間考査の成績評価が済んだ頃で、なるほど高校生の学業はこのように積み重なっていくのだなと、先生側の「子供を引き上げよう」とする面倒見と、それを受け取ろうとする生徒の器、いろいろなことが絡み合って人は成長するのだなと私にも微かに見えてきているところです。

ちなみに完全に余談ですが、

私はその勤務校で、「おそらくこの子はギフテッドの特性を持つであろう」という子を早速1人、発見しました。普通科高校の、特進クラスにその子はいます。授業態度がまさにギフテッド児のソレなのです。そしてそれは私の目が多くの人よりずっと肥えているから気づくのですが、他の先生はギフテッドの正しい知識のベースがないので全く気づいていなさそう(なんなら落ち着きのない子と思われていそう)。本人さえも、気づいていないかもしれません。その子の親御さんももしかしたら、子育てに多少は苦労をしてきただろうが知らないままかもしれません。だから私はもう少し時間をかけてその子をジッと観察したいな励ましたいな飛躍していかないかなと、そんな動機と楽しみも見出しているところです(またいずれ記録します)。

 

さておいて。

イマドキの、普通科高校に通う子達で面白い性質が見えてきたことを記録します。

私は理科を担当しますが、

時々彼ら彼女らの中には、授業が始まる直前に、教壇まで進み出てきて私にそっとこんなことを言うてくる学生さんがいるのです。

学生さん
学生さん

先生、教科書を忘れてきました。すみません。

はいはーい。

当初私は、これを全く深く受け止めてはいませんでした。だって、あなたが教科書を持っていなくても、私は何も困らない。ましてや相手は高校生、すなわち義務教育を修了している半分大人が相手です。管理したりうるさく言ったり、そんな必要はないであろうと私は捉えているからです。

だけど1人や2人ではないくらいもの学生さんが、度々こう言ってきます。ようやく不思議に思い始めた私は、ちょっとした隙間時間に同僚である他の教員に尋ねました。

私

何人もの生徒さんが、「教科書を忘れました、ごめんないさい」とわざわざ授業前に言ってきます。この学校では、忘れ物は何かペナルティが課されたり、申し出る義務があるのですか?

他の教員
他の教員

いや、全然ないよ。もちろんそれは教師の裁量によるところだからそういう先生もいるかもしれないけれどね。

教師の裁量!なるほど!
他の教員
他の教員

一応さ、授業に必要なものを持ってこなかったことで教員に失礼だなとかは思っていたりするからじゃない?

私

だって私は誰が教科書を持っていようといなかろうと困りませんし、失礼だとも思いません。むしろ困るのは自分なのに、なぜ私に謝るのかが私には理解できないんです。

他の教員
他の教員

まぁ、今までの義務教育では“そういうルール”があったってことかもしれないよね。

私

じゃあ、謝る子どもらは「謝ってスッキリ」状態、すなわち義務を果たしたとでも思っているってことかしら?

なるほどねー。もう一歩だけ踏み込んでみようか。

また、同じような状況でも、ちょっと工夫して(?)このように申し出てくるお子さんもいます。

学生さん1
学生さん1

先生、教科書を別の場所(ロッカーや部室)においてきてしまったので、今から取りに行ってきても良いですか?

私

はい、よろしいと思います。

学生さん2
学生さん2

先生、教科書を忘れてきたので、隣の人に見せてもらっても良いですか?

私

はい、隣の人が「良い」と言ってくれるのであれば、私はそれはすごく良い案だと思いますよ。隣の人には自分で聞いてね。

こういうさ、『それではどうするか?』を自分で提案できるお子さんは、ちょっと「良いな」って思います。

一方で、私がこんな返しをすると、鳩が豆鉄砲でも喰らったような顔をしたお子さんもいたことは驚きました。

学生さん
学生さん

先生、教科書を忘れてきました。本当にすみません。

私

あなたが教科書を持っていなくても、私は何も困りません。だから今後、忘れ物で私に謝る必要はありません。

もしも教科書がないことであなたが不便を感じるならば、それはあなたが自分でなんとかしてください。

すごくびっくりされた
学生さん
学生さん

・・・(フリーズ)

学生さん
学生さん

なんとかって…なんですか?

私

なんとかはなんとかだよ。自分の頭で考えて。例えばだけど、隣の人に見せてもらえるか聞いたりとか、今すぐ他のクラスのお友達にダッシュで借りに行くとかだよ。

学生さん
学生さん

あ・・・そういうことですよね。

そういうことや。自分のことはどうとでも、自分で始末をしろということだ。
学生さん
学生さん

わかりました…他のクラスで借りてきますけど、良いですか?

まだ言うか!良いからさっさと行ってこい!

こういうふうに、フリーズをしてしまう子供たち、許可がないと動けない子達が一定数いることに、私はすごく驚きました。

今の子だから、こうなのか?

それとも今までの学校教育の枠組みでは、指示のないことはしちゃいけないとでも言われてきたのか。昔は、私が学生時代はどうだったっけ?

もちろん潔く諦めるもヨシなのよ、教科書ナシで授業を受けても全然良いの。当人がそれでいいならば。

だけどそれは自分だけが決めれることで、誰かの指示がないと動けないのは違います。自分の振る舞いの責任者は自分の他にはいないことを、ある程度の年齢になってなお、そんなことさえ引き受けられない子供達がいることを、私は密かに危惧してしまっています。

みなさんの周囲はどうですか?

こういうことは、親の目にはなかなか届かない部分です。ちょっと様子を聞いて見て、ご意見だったり、何か分かったことがあったら私にも情報共有をいただきたいところです。

ーーー書籍紹介ーーー

数が少ない側が「異常」と見られやすいけれど、大多数側はどうなのか。視点を変えれば大多数側が病んでいるとも捉えられます。「真に普通の人はいない」「普通なんて幻想だ」と私はいつも言いますがそのとおり。大多数側は徒党を組んで幻想である「普通」という看板を掲げているに過ぎないと、そんな問題提起をする方の存在が心強いと感じます。

コメント

タイトルとURLをコピーしました