みなさんこんにちは✨
今日も当サイトを見にきてくださり、ありがとうございます✨
我が家の息子は小学5年生。このままできれば、1年半後に中学受験をするつもり。
小5の夏を終えました。息子はようやくなんとか少しずつ、勉強するとはどういうことかがやっとわかってきているような雰囲気です。(←なんか変な言い方😅)
だけど今夏、度々勃発したのは『勉強は、時間か量か』の大問題😮💨
もちろん息子は未熟だし、特性もあるので一筋縄で行かないことは分かっています。そんな息子を操縦し、小学生の間くらいは親がしっかり進むべき方向へと導くことが私の仕事だと分かっています。
分かっちゃいるけど!
毎度の“彼にしか通じない彼理論”を展開されると、私だってそりゃあ辛いものがありますよ。
さー、どうしたもんでしょうね。困った困った😮💨
気分が乗らない時はリフレッシュして、無理に勉強しなくても良いとは思うんだけどね〜。
勉強は、時間か、量か?
時間で決めることの問題点
我が家はこれまで、息子の1日の学習を概ね『時間』で区切ってきました。
中学受験を想定して通塾していると、日々の宿題、自宅学習も膨大です。さらには学校の宿題や習い事(息子の希望でアコースティックギターを習っています)の練習などもスケジュールには入ってきます。
そのような課題をこなすためのスケジュールは、毎日の分を母親である私が大まかに構築しています。
その大まかに構築した予定の中において、ある程度は息子に裁量も持たせています。たとえば今日か明日にやれば良いような課題は息子に任せます。そして任せておくと、
昨日やらなかったから、今日はこれもやらなきゃ〜
と言って勝手に課題をこなしています(←もちろん忘れていれば声かけします)。つまり私は、『やるべきことを見える化しておけば良いのだな』、という具合に分かってきました。
とはいえ息子は子供です。
加えて発達障害の特性も関係してか、彼の集中力の発揮にはめちゃくちゃ大きなムラがある。
だから我が家はリズムを作るためにもこれまでこのようなタイマー(↓)を使用して、概ね『45分の学習時間』+『15分程度の休憩時間』のサイクルで学習リズムを回してきました。
つまり、45分間はしっかり集中して取り組もう。メリハリをつけてやっていこう。
そんな意図でできたシステムでした。
だけどこのシステムは、慣れてきたらどんどん上手くいかなくなりました。
先日に書いた、トイレにこもっている間も勉強時間としてカウントしたがる等がそれです(↓)。
このシステムだと全く集中できなくても、ただそこに座っていただけで“勉強終わり!”と言い張ってしまうことを問題視。
その間に課題が全く進まなくても、時間がきたらもう見向きもしなくなってしまうことはなりません。
勉強時間内なのに立ち上がり、トイレにこもって何十分も出てこなかったり、冷凍庫を開けてのんびりアイスを漁っていたりすることもなりません。
あれ、今は何する時間だろう?
息子が立ち歩いているなぁと気づいたら私は声をかけますが、だいたいの場合は息子の屁理屈が展開します。そう、私の声かけは全く意味がないどころか逆効果であり、解決にならなくなったことも問題です。
トイレを我慢しろっていうの!?ひどい!
喉が渇いて熱中症で倒れてもいいっていうの?お母さんはそういう人間なの?それに今、体はアイスを探しているけど頭はしっかり考えてるの!(←絶対嘘、そんなマルチタスクは息子にゃ無理な芸当だ。)僕の頭の中は他人には絶対わからないのに、どうして僕が今勉強のことを考えてないって言えるのかを説明してよ!(←マジで腹立つわ!こんな言い分がまかり通ると思わせたくない!)
だけど息子がそんな屁理屈を展開しているその間にも、タイマーは刻々と動いています。
そして残り時間が“ゼロ”になれば、
やった〜〜!!終わった〜〜!!
といって息子はソファに寝転んでしまうのですよ、まったくもう。。
一旦スイッチが入ってしまえばめちゃくちゃ捗るのにさ。子供の勉強は難儀なもんですね、本当に。
量で決めたらどうなったか
とはいえ、やらなければならない『量』は決まっています。
『ここまでは今日、必ず終えなくてはならない』
そういう『期限付きの量』もあるのです。
緊急性の高い場合は夜遅くまででもやらせますが、この塩梅が難しい。だって息子は大切な成長期の真っ盛りなので夜はきちんと眠るべきだし、何より翌日の生活に支障が出てはいけません。
非常に難しいところですが、結局は時間が遅くなれば課題が終わっていなくても
もう遅いから、ここまでにしよう。
そう、打ち切らせることになるのです。
息子と話し合いました。
『今までは勉強を時間で決めてきたけど、全く集中しないで時間だけが過ぎていく勉強になっていることは良くないよね。』
『今までのように時間で決めたほうがいい?それとも勉強は量で決める?』
すると息子は即答でした。
量で決める!そのほうがいい!
なるほど、息子としても時間やペースの『枠』が作られることに不満が募っていたのでしょう。今ならそれもわかる気がします。
『わかった、じゃあその日にやる課題についてはしっかりと目標を立てること。時間は自分のペースで配分して、目標を達成していくシステムに変更しよう。それで残った時間は自由時間ね。』
我が家では、そう決まった、はずでした。
だけどそうしたら…
一体何が起こったと思います?
一つは、字がいっそう汚くなりました。雑な勉強になったのです。
もう一つは致命的。っていうか、これはマジで悲しかった。
“パッとわからない問題はとりあえず飛ばして、先へ進む”という模試版の解き方に着想を得たのかなんなのか、息子はテキストの課題をぱっと見たのち、
これ、わかんない、飛ばす。
あ、これも無理かな、飛ばす。
次も無理、飛ばす。
…飛ばす。
…飛ばす。
よっしゃー!今日の分、終わったーーー!!!
って、言ったんですよ、アノヤロウ…。
ノートは真っ白。
考えるとか取り組むとかの姿勢の片鱗も見えません。
その様子を見ていた私は悲観しつつも息子に静かに言いました。
しっかり考えないといけないよ。もう一度、座りなさい。
だけど再び息子の屁理屈が全開です…。
やったじゃん!僕はきちんと取り組んだ!
今日の分を見て、考えてわからなかったっていうことも勉強じゃん!
それに気づいたことは悪いことなの!?いったいこれ以上どうしろっていうの!!!
そう言って息子はギャーギャー騒いでいます。
私は、とても悲しかった。
息子は良くも悪くも裏表なんか持てない子です。
つまり息子は本気で、こんな自分勝手な屁理屈が通用すると思っているのだろうなと思ったことが悲しかった。しかも完全に責任転嫁、自分は悪くないの一点張りです。
不適切な言い方かもしれませんが、
私は息子の頭がおかしいのだと、
心の底から悲観しました。
よし。作戦を変更しなくてはなりません。
息子の成長を認めよう
勉強体力が付いてきたということだ
まぁそんなことが度々ありつつ今夏の私は複雑な思いはしたものの、全てはやり方次第であり、親の腕が試されているのだと思い直した。
そう、この思考回路こそがまさに息子の生きづらさの本態なのだ。息子は変わらん。ある意味仕方のないことなのだ。
だからそんな彼の特性とどう共存するかが課題であると切り替えろ!
障害は、適したサポートで個々の活躍に繋げることが可能です。視力の低い人が眼鏡をかけるように、背の低い人が踏み台を使うように。諦めてはいけない。投げ出してはいけない。きっと何か良い方法があるのです。今夏のパラリンピックを見ていても、どの選手も本当に素晴らしかったじゃないですか。
とはいえしばらく考えていました。一体どうしたら良いのだろう。
一つ思うことがあります。今夏、息子とべったり過ごしてきて息子の様子を見てきて感心したことが、息子は勉強することに慣れてきたなということです。
例えば夏休みの平日の話。朝6時前に起きて朝学習をしてから塾に行き、帰ってきてから塾の宿題、家で自主的にやる復習に加えて今は英検受験を目標にした英語の勉強もしています。(←調子が良ければ!)
元来がとても頭の良い子です。一旦理解したことの定着は良いし、どのような方法でやっているのかはわかりませんが、彼の記憶力は大したものです。地理や歴史も好きみたいで楽しそうにやっています。
そう。塾に通い始めた半年前と比べても、息子には圧倒的に“勉強体力”がついてきた。実際に模試の偏差値だって爆上がりしていて(最初と比べて、ですよ。まだまだですが。)、とにかく、この半年間の努力と伴う学力の増強傾向には本人も絶対手応えを感じているはず。
なんかさ。もっと褒めてやらなきゃなって思ったんよ。
息子はもう“勉強すること自体”はできるようになったのだと、私がもっと認めてやらないといけないなって。第一ステージはクリアじゃん。
そして次のステージとして、培った勉強体力を発揮する方法を“どう息子らしくしていくか”が課題だと捉えていけば良いのかなって。これからは息子らしく『勉強の質』を高めていくことを目指していかなくてはなりません。
息子らしい勉強の質の高め方
息子の意欲を『勉強の質』に向けるために、私はどんなアプローチができるだろう。目的意識、達成感を煽ることか?楽しさを見出せるような成功体験を積ませることか?
ちなみにトイレにこもったりする時間の使い方(浪費、消耗)に対してはあの手この手で注意をしました。
実際にダラダラした勉強に時間を取られ過ぎて、本を読めなかったりゲームができなかったりギターに触れなかったりした日は何日もありました。それを例に挙げ注意しました。
だけど息子の捨て台詞。
別に読書もゲームもギターの練習も、やらなくても死なないし!
まるで自分に言い聞かせるかのような捨て台詞ですが(笑)、このような“さもないと何かを失うぞ”というようなアプローチは息子には(現段階では)あまり効果がないことがわかりました。
やっぱり息子自身が『効率よく勉強を進めることで得られるものがある』と納得する必要があって、もっと点数が欲しいとか、もっと理解を深めたいとか、そんな欲が出てきて初めて『質』を求めることができるようになるのだろうと思います。
それまでは私がいくらくどくど言っても無駄である。その時を待ちつつ、仕向けて行かなくてはなりません。
ちょっと探ってみようと思います。
素直な息子ですから、もしかしたら何かの拍子にカチッとハマって動き出す…かも?そんな一手が絶対あるはず。
期待するだけならタダってことで👍
またこの話はおいおい書いていこうと思います。
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