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#19 相談先への連携と登校再開

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当サイトの開設に至る経緯-混乱の記録

みなさんこんにちは✨

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今日はしばらく書けていなかった昨年(2020年)の混乱、息子の異変について経緯を記録しておこうと思います。

 

2020年3月。新型コロナウイルス感染症の流行に伴い決定された“一斉休校”をきっかけに、私の息子はこれまでにない取り乱し方をしました。

食事を取らなくなり、夜も眠れていないようでした。些細なきっかけでパニックを起こし、私は暴れる息子を押さえ、なだめ、叱りつけ、全く目が離せない状況になりました。息子についてはこれまでこのようなことはなく、私もどうして良いか全く分からず家中が混乱する日々でした。

同時に実母が倒れ、身の回りの世話をする必要がありました。

混乱する息子、幼い娘、実母の介護、仕事のこと。

全てを背負い、私は自分が対応できていないプレッシャーに押しつぶされそうになっていました。

何かおかしい。

どこかに相談し、何かしらの助けがないと我が家はもうもたない。

衝動的に、ようやく私は外部に助けを求めるための電話をかけ、そこで初めて“発達障害”という言葉に出会いました。

6月になり、閉じていた保育園と小学校が再開しました。我が家もまた、少しずつ動き始めました。

スクールカウンセラーとの面談

最初の相談相手

衝動的に電話をした先で、我が家の状況は小学校のスクールカウンセラーに相談が可能であることを教わりました。

私はすぐに小学校に電話を入れ、最短でスクールカウンセラーと面談したい旨を申し出ました。窓口であった副校長先生は内容をあれこれ聞くことなく、速やかに最短の日程をご案内くださりました。

幸い、その週のうちにカウンセラーの方との面談が叶いました。私は職場に休暇を申請して、朝一番で小学校の面談室に伺いました。そこで私はこれまでの状況を、的確に伝えられたかどうかはわかりませんが、できるだけ伝わるように精一杯お話ししました。

 

最初の緊急事態宣言が明け、6月になれば小学校が再開する予定です。しかしこの時最も心配だったことは、今の息子の状態で学校での集団生活が可能なのかが全く予測できないことでした。

これについてはスクールカウンセラーの方が、

スクールカウンセラー
スクールカウンセラー

学校が始まれば、私が最初の日にクラスに行って様子を見ます。

また、この話を担任教諭と共有しますのでその上でまた相談しましょう。

そう仰ってくださり、私は少し安心しました。

それから私はつい先日知ったばかりの“発達障害”という概念について確認を得て、私は息子がそれに該当するのかどうかを知りたいのだと伝えました。

そこで区の、専門の臨床心理士さんによる発達相談が可能な相談機関(教育センター)をご紹介いただくことができました。そこでは息子の特性に基づいて、これからどうしていくのが良いのかを相談できるということでした。

区の相談機関との連携へ

スクールカウンセラーさんとの面談から帰宅し、私は速やかに紹介いただいた区の教育センターに電話を入れました。電話口であれこれ相談させていただき、話を詰めて行きました。

『最初は、親だけで行っても構いませんか?それとも子供も連れて行ったほうが良いですか?』

私がそう尋ねると、『最初は親御さんだけでお越しください。お子さんに、無理をさせる必要はありません。』と言っていただくことができました。助かりました。実際に今、息子を外に連れ出すことはかなり難しい状況でした。

半月ほど先の、6月17日(2020年)に最初の面談に伺うことに決まりました。

まずは私がお伺いして、担当者が話を聞いてくださる。そして内容によって最も適任の臨床心理士が選任され、それから継続的な相談支援が開始するのだということでした。

小学校と保育園の再開

娘の登園再開

6月1日になり、まず娘が通っている保育園が再開しました。

倒れた私の実母についても5月下旬頃から配食サービスが開始され、週に3日の訪問看護も始まりました。私はその訪問看護がない日だけ母のところに行けば良いことになり、私の負担は大きく減りました。

 

私は娘を登園させることに決めました。保育園が再開したと言っても6月中は“登園自粛”のお願いが出されていたし、なにより私は特別休暇を申請しているので出勤しているわけではないのですが、とにかく我が家はもう、どうしても無理だったのです。

6月1日の朝、私は娘を連れて登園し、帰ってきてすぐに書いたメモが私のFacebookに残っていました。

久しぶりの保育園。やっと開いた保育園。

本日より保育園の臨時休園措置が解除され、いまだ登園自粛期間ではあるものの我が家はちょっとずつでも娘を登園させることに決めました。4月上旬以来の登園でした。

この約2ヶ月間は自宅でできるだけのことをしてきたつもりでしたが、今朝に娘を預けた後に保育園の玄関を出た瞬間に感じたなんとも言い表しがたい脱力感。やはり非常に難しく厳しい期間でした。

緊急事態宣言中の在宅勤務、宣言解除により大人は通常稼働になっているところも多いだろうけど、保育園や学校の通常化と連動しないのは困りものです。とはいえ学校の先生も保育士さんも本当に熱心にやってくださっておりますし、私は私で動ける日が来ることを待つしかありません。

共働きってのはさ、保育園と小学校があってこそやで、ホンマによ(;´Д`) (一部抜粋です)

Facebookはたくさんの友達が見るので心配をかけないよう常にマイルドな書き方を心がけているつもりですが…あちこちに本音が出てますね😅

 

困ったことは、大人はもう働けと言われているのに、子供らの日常生活が戻らずどうしようもないことでした。緊急事態宣言が明けたので、私も本当であればもう出勤しなくてはなりません。事実、夫は出勤が再開しました。

しかし未だ小学校が開かないので、私は職場に特別休暇を申請し、家で息子とそっと過ごしていました。

大人の生活と子供の生活が全く連動していない。無茶を言うな、どうしろっていうんだよ。子供を育てる親にとっては、本当にどうしようもない数ヶ月間でした。耐えるばかりで消耗し、非常に難しい期間でした。

小学校の再開、しかし順調ではなかった

一方、息子が通う小学校も、一応は再開しました。

しかし児童数が多いこと、感染症対策の一環から、“6月中は分散登校で週2日、3時間のみの登校で給食はなし”とのことでした。

1日2〜3学年ずつ、さらに1クラスのメンバーを出席番号に基づいて半分に分け、“午前組”と“午後組”に分かれてして登校するのだそうです。

昼食は家で取る必要があるし、週に2日登校しても3時間ほどで帰ってくる。すなわち小学校はいまだ開かずという状況でした。

 

さらに息子にとっては悪いことに、その分散登校の区分け方で、息子はもともと多くない友達みんなと離れた登校スケジュールになりました。

その表を最初に見たのは私でした。

『ヤバい…名前を聞く子とはみんな離れている…。』

そう思ったし、実際に息子に見せても『俺1人だ…行っても喋る人もいない…』と言いました。

あれほど待ち望んでいた小学校の再開でした。

学校さえ始まれば、また元の息子に戻るに違いない。

そう思い続けて耐えて耐えて耐えて耐えて耐えてきた数ヶ月間でした。だけどそんな私の楽観は、なんの根拠もないことだったのかもしれないな思いました。

 

2020年6月3日の午後の部で、息子は昨年度2月以来の登校をするため家を出ました。

持ち物を入念に用意して、休校中の課題は全てをやることは出来なかったけれど、できるだけやったプリント類をランドセルに入れて行きました。

行っても話す人が居ない。

そう息子は言っていたけど、せめてもクラスメイトや担任の先生のお顔を見れば活気が戻るかもしれないし、隣のクラスには保育園時代から仲良くしている友達もいて、その子との登校スケジュールは重なっていることがわかりました。とにかく、家にいるよりは良いだろう。どうか楽しんできて欲しい。

心からそう願って、私は息子を送り出しました。

それに何より、緊急事態宣言が明けてから、私はただの1度も出勤できていませんでした。研究所はとっくに再開しているのに、私(だけ?)が未だなにも再開しません。仕方がないとはいえ、私はとても焦っていました。だからたったこの数時間だけだけれども、息子が学校に行っている間にせめて研究所に顔を出して上司と話をしてこよう。1時間半くらいは居られるはず。私はそう、考えていました。

 

息子が登校してから、私は昼食の後片付けをして身支度を整え、ようやく職場に行くために家を出ました。

ずっと混乱していた我が家だけど、学校が始まるまで息子を生かしておくことができたことに私は安堵し微かな達成感を感じていました。一歩ずつ、一歩ずつでも構わない。きっとこれで我が家の日常が戻ってくる。私はそんな兆しを見い出し掴んでいくのだと決心しました。

そんな気持ちで久しぶりに履いたハイヒールは心地よく、背負った仕事用のリュックは背筋が伸びるようでした。

 

さぁ、行こう!やることはたくさんある!

家の鍵を閉め、私はマンションのエレベーターホールへ向かいました。

『↓』のボタンを押してエレベーターが来るのを待ちました。

 

エレベーターを待つ間、どこからか ガサ…ゴソ… という物音が聞こえました。

 

普段なら、気づかなかったかもしれません。

普段なら、気にも留めなかったかもしれません。

 

だけどこの時、私は何か胸騒ぎがしたのです。

カチン…という小さな音が、ランドセルの金具の音に聞こえました。

 

エレベーターホールの奥まったところ、非常階段に続く通路があります。

私はあたりを見回し、普段は開けない非常階段への扉を開けました。

 

冷たいコンクリートの殺風景な非常階段。

そこには、何十分も前に登校したはずの、私の息子がうずくまっていました。

ランドセルの中身を全部出し、プリントも、上履きも、水筒も。全てがそこに散らばっていて、息子がぺたんと座っていました。

 

えっと。私は、何を見ているのだろう。

私は固まりました。

非常階段を覗いて良かったなぁという思いが湧きました。だけど、私は一体なにがどうなっているのかを全く理解することができませんでした。

息子が顔を上げ、目が合いました。だけど息子は、何を見ているかわからないような、とても不思議な目をしていました。

 

『どうした?学校…行けないか?』

私は屈んで息子にそう言いました。

『行ける。だけど荷物がわからない。』息子は無表情のままそう言って、だからランドセルの中身を全部出したのだと言いました。

時間的には、もう学校は始まっている時間でした。

だけど息子はマンションの、人目のつかない場所で座っていた。荷物だって、前日にも今朝にも何度も一緒に確認したのに、一体なにが分からない?

 

私は混乱しました。

今日は学校は無理なのかな。

私はそう判断し、息子と一緒に家に戻ろうと決め、散らばった荷物を拾い集めようとし始めました。

『触らないで!わからなくなる!』

息子はそこでまたパニックを起こしました。

 

『学校には、行きたい?行きたくない?』

息子にそっと尋ねました。

『行きたいよ!行くから家を出たし、今、確認しているの!』

息子は叫びました。

息子が家を出てから40分ほど経っていました。午後の授業は始まっています。

『わかった、学校まで一緒に行こう。お母さんの自転車で送って行くから。』

そう言って息子を立たせて、私は小学校へ向かいました。

 

途中、夫に電話をしてこういう状況だから、今から学校に行ってくると伝えました。

夫はそれは絶対に大丈夫ではないはずだ。連れて帰ったほうが良い。足が向かない何かがあるはずだ。』と言いましたが息子は『行く』と言い張るのでまずは登校してみることに決めました。

職場にも電話を入れました。今日は顔を出す予定だったが、子供の様子がおかしいので難しくなったと言いました。

 

小学校の教室まで、私は息子を送って行きました。

教室に着くと、クラスメイトが『あっ!○○くん来たよーーーー!!』と遅れてきた久しぶりの息子を歓迎するような大きな声を上げてくれました。時間になっても来ない息子を心配してくれていたのかもしれません。

その声を聞いて、息子はスッと教室に入って行きました。

 

私はしばらく廊下で見ていましたが、近くの席の子がプリントをくれたり先生が気にしてくださったりしている様子を見ているうちに少し落ち着いて見守れるようになりました。

ちょうどそこへ、スクールカウンセラーの方が様子を見に来てくれました。

そこで先程の出来事を私は話し、今後も家庭で注視して行くので、どうかよろしくお願いいたします、どうかお力添えをお願いします。私はそう何度も何度もお願いしました。

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