みなさんこんにちは。
今日も当サイトへお越しくださり、ありがとうございます。
なかなか時間が取れなくて、今「一番書きたいこと」がなかなかまとめられておりません(そのうち書きます)。しかしその他にもたくさんたくさん書きたいことや、皆さんに問いかけてみたいことも多々ありますので、今日はその一つを記録してみようと思います。
この3月のことでした。
私はギフテッドに関する講演会にお声をかけていただいて、ギフテッド児支援のための講演に登壇させていただいておりました。
私は当サイトに記録してきたような自身の経験、私に極めて類似の資質を持って生まれてきた息子の母親としての経験から、要支援児童としてのギフテッド児の実態像を、私なりにお話しさせていただきました。

今大人である我々が、
ギフテッド児の実態を正しく知ること、
そうして自分軸でしか生きられない彼ら彼女らを正しく支えようとすること、
そうして彼ら彼女らが、いつかきっと、『大人になるのも悪くない』と思える社会の醸成へとつながることを願っています。

講演後にはいくつかのご質問もいただいて、この時の参加者は多くが保護者ということで共感だったり課題などを共有できたと思います。
その中で、受けたご質問の一つにはこのようなご意見もありました。お名前は存じませんが、男性からのご意見でした。当日会場にいらした方の多くが腕組みをさせられたご意見だったと思います。

日本の公教育は、工場労働者の育成のために作られてきました。つまり時間を守るとか、足並みを揃えるとか、決まったことを決まったようにできるとかの、そういうことが社会の中では重要なわけです。
仰るような支援を認めてしまうと、社会がめちゃくちゃになってしまいます。

なるほどこれは、ギフテッド児支援の必要性はないという、代表意見の一つでしょう。
そしてあれだ、これは夫婦別姓の議論と同じ構造で、起こってもいないことに恐れすぎて進めないという代表的な一つでしょう。
いろんな意見があるのだろうと思います。
私はさ、別にギフテッド児を支援したとしても、社会は全くめちゃくちゃにはならんだろうと思いますよ。そもそも社会は時代と共に大きく形を変えていくもの。何をもって“めちゃくちゃ”なのかと言い始めたらキリがないので、

そうですね、そういうご意見もありますねぇ。
としか言えませんが。
だけどこのようなご意見の方も、事前申し込みをしていただいて、参加費を支払い、当日会場にお運びいただいているわけですから、間違いなく、ギフテッド児に関心を持っていただいている大事な方です。そう思えばこそ、貴重なご意見をいただいたと嬉しい気持ちにもなってきます。
しかし、排除は良くない。
これは別に文句を言っているわけではなくて、自分と違う人がいたとして、排除や排斥は何も産まないということです。多様な観点を持ち込まないと、誰も気づかないままになるという事例は枚挙にいとまがあありません。
もちろんね、多様性が少ない組織や社会であれば、今、その中にいる人はそれは居心地が良いでしょう。物事を思い通りに進めるためなら、内輪で完結させてしまえばそれは早くて楽に決まっております。しかしそんな社会は弱い、何かの拍子で倒れてしまう。今いる社会を、より強く、より良くと願わない人はいないだろうと思います。

まぁつまり、工場労働者になりたい人はどうぞ、そうなれない人やなりたくない人も健やかに他の道へどうぞと、『それぞれが選べば良い』というだけの話です。
友人であり、高IQ児を育てるママが言っていました。

穏やかに放置すればそのうち収まって行くのに。
いいね、この『穏やかに放置』という距離感。
もちろんギフテッド児という子供は道なき道を防御体勢で進んでいく子供ですので、迷うこともあるでしょう。そんなときには今大人である人の支えが必要になりますが、
決して過分にに干渉せず、
“普通”を押し付けたりもせず、
互いが互いを尊重し、穏やかに放置していけば、ただそれだけで良いのかもしれません。
何かご意見等がありましたら、お寄せいただければと思います。
ご不明点や質問なども、公式LINEからお寄せいただくことができます。
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