みなさんこんにちは✨
私には、10歳になる夏に発達障害があることがわかった息子がおります。
息子の発達障害がわかってから半年ほど経ちました。今日は息子の行動を振り返り、息子の特性について理解を深めていけるよう考えてみたいと思います。
促されないと出来ないの?
つい先日、用事があって息子と東京駅近くまで出かけた時のことです。
お昼頃になり、息子が「お腹が空いた」と騒ぎ出しました。彼は朝起きるのが遅くて、朝食をあまり食べなかったためです。
しかし先に済ませてしまいたい用事があること、このあと家族で昼食をとる予定もあってそんなに時間はありません。私は「もうちょっと我慢できる?」と声をかけるのですが、「どうしても我慢できない!」と息子は言います。
「じゃあどうしよっか」と相談をした結果、息子は「コンビニのおにぎりでもいい!」と言いました。
そこで私と息子は移動途中にあるコンビニに寄っておにぎりを買って、東京駅のテラスででも座ってサッと食べちゃおう!と話しながらコンビニを目指しました。
一つ一つの行動を指示しないと動けない
コンビニに入ったとたん、息子は固まりました。
入り口で動かなくなって固まっている息子に私は「おにぎりの売り場に行ってね」と声をかけます。
そこで息子はハッと意識を取り戻したように歩き出し、そしておにぎりの売り場に到着してまた固まりました。
おにぎりの前で動かなくなっている息子。視線もどこを見ているやら分かりません。少なくとも欲しいものを選んでいる様子ではありませんでした。
そこで私は再び息子に「おにぎりはどれが良いか選んでね」と声をかけます。
息子はおにぎりを選び始めました。鮭か、明太子か。でもこれは辛子明太子だ、辛くて食べられない。高菜って何?高菜はお漬物だよ、それでいいの?高菜はいやだ、梅はある?
そんな調子で、彼のおにぎりは全く決まりません。
私は「これは?これは?」と提案しますが、それは嫌、これも嫌と言うばかり。
ご想像できるかもしれませんが、私はやや急いでいるのです。器の小さい私はだんだんとイライライライラしてきています。
しばらしくして、「これにする」と息子はいい、おにぎりを一つ手に取りました。やっと決まった🌟
しかし息子は手に取ったまま、おにぎりの売り場から動きません。
私は「レジに持っていってよ」と息子に声をかけます。息子はレジに向かいます。そしてレジのお姉さんの前で、再び固まります。
「レジにそれを出しなさい」と息子を促し、ピッとしてもらって私は会計を済ませます。
そして次は「レジからおにぎりを受け取りなさい」と言わねばなりません。口調も強くなってきます。息子はレジからおにぎりを受け取ります。そこでまた固まります。
さらに続いて私は「お店から出なさい」と声をかけねばなりません。お店から出たら、「さあ早く行くよ」とも声をかけます。こうして息子の買い物はようやく実現します。
もう終盤は私のイライラが募るばかり!
「なんで一個一個言われないと動けないのよ!あんた春にはもう小学5年生でしょうが!初めて買い物したわけでもあるまいし!」
そんなグルグルフツフツとした気持ちで、器の小さい私は本当にイライラしながら息子におにぎりを食べさせることになるわけです。
息子は情報処理が苦手です
幼いからだと思っていた
実は私の息子は毎度毎度においてこのおにぎり🍙ような行動パターンを示します。一つ一つを言われないと動けないのです。
私はこれまでは息子のこのような行動パターンに違和感を感じながらも、ずっと「まだ幼いため」だと思ってきました。
しかしさすがに小学校4年生、10歳を迎えようとする頃には「どうしてこんなこともできないの?おかしくない?」と思い始め、その否定的な気持ちが息子本人に向き始めるようになっていました。
理解不足。それが発達障害が分かる前の、私の混乱の大きな要因だったと思います(「発達障害に気づくまで」のカテゴリをご参照ください)。
毎日の行動も自主的には難しい
毎朝の学校に行く用意でさえ、毎日毎日、私と夫は同じ指示を繰り返して息子を動かしています。
朝起きたら顔を洗ってきて、着替えてきて、朝食を食べて、お味噌汁も飲んでね、靴下をはいて、ハンカチを入れてね、ティッシュも持って、上着を着て、もう靴をはく時間だよ、道を渡る時は周りをよくみて歩いて、と。
しかも「顔を洗ったら着替えてからご飯を食べてね」というような複雑な指示は伝わらないので、いつも一つ一つを言っています。
「ちゃんとやってね」という曖昧な指示も伝わりません。
何年間も同じことを言ってきているのだから、さすがにそろそろ1人でできるだろう。そう思って「時間はかかっても良いから」と自主性に任せようとしたこともありました。しかし放っておくと息子はボーッとしてしまい、途中のどこかで固まって止まってしまいます。
「自分で考えて動くようにしてみてよ。大人になる頃にはね、自分で仕事を見つけて動くことができるってすごく大切になるから。」
何度も何度も息子にはそう言ってきましたが、まぁ出来ないもんは出来ないんですね〜😅
それが彼の特性なのだ、彼の脳はそういう作りなのだからと思えるようになったのはごく最近になってからです。
たくさんの物の前に圧倒されてしまうのではないか
このような息子の行動を振り返り、友達にも意見を求めて考えてみました。
その結果、おそらくですが、息子はたくさんの情報量に接すると圧倒されてしまい、何をしたら良いかを考えることができなくなってしまうのではないかという可能性考えられました。
コンビニに入ってパッと明るくなる、たくさんの物が並んでいる。
まず、その情報量を処理するために息子のCPUはいくらかの時間を要するのではないか。
移動しておにぎりの前に立ってもそう。
おにぎりがあまりにも多種類あるので、どれがどれで、その内容を想像して納得するためにそこでまたある程度の時間がかかる。
その頃には頭の情報処理システムがフル回転で動いているため、レジに持っていく、お会計をするなどの次の行動の着想に至るまでにまたさらに時間がかかる。
このため、外からは息子が一つ一つの動作で固まってしまうように見えているのではないか。でも実際は彼の中身はフル回転。
うん、ありえそう。たぶんそのイメージで大きく外れてはいなさそう。
実際、息子の心理検査(知能検査)の結果でも、彼は情報処理とマルチタスクに比較的弱いことが示されています。PCでいうとCPUとメモリがちょっとゆっくり。
このように考えてみて、私は息子の特性を一つ理解できたような気持ちになりました。
スムーズにできることもある
親が先回りするからかもしれない、という考え
しかし一方で、スムーズな行動を取れている(かもしれない)機会もあるようです。
彼は時々、友達同士で待ち合わせて外に遊びに行く機会があります。同じクラスの子と公園で待ち合わせて昼食を挟んで遊んだり、習い事の仲間に誘われて子供だけで映画を見に行くなどです。
そんな時はどうやらね、自分できちんと映画のチケットを買っているようなんですよ。
しかもチュロスとジュースもしっかり買って、映画を楽しんで帰ってくるんですよね。
これは友達のサポートがあるからなのでしょうか。
それとも親がいなければ自分でやるしかない!と覚悟を決めるのでしょうか。もしくは普段は親がいちいち先回りをして口を出しすぎなのでしょうか。
本当のところは分かりませんが、友達同士で遊びに行って固まった、困った、という話は今のところ聞いていません。
…やればできるのか?本当に?う〜ん、それでもまだ親の口出しサポートを失くすわけにはいきません。
息子の発達の目指すところ
ゆっくりだけど彼は確実に目指す形に向かい発達していると信じる
<自分で対応できない困った状況に陥ったら、周りに「困っている!」というヘルプを自分で出せる>
これはペアレント・トレーニングで言われている、息子が到達を目指す発達状態の一つです。
ヘルプを自分で出せる、という点が最も重要です。
大人になるまでに、自分の得手不得手を自分でしっかり認識し、困ったり困りそうになった時には自分で「助けてください」と言えることが目標です。
息子が友達と関わる様子を見ていると、今の私はようやく
”息子の発達の足取りはとてもゆっくりだけど、彼は着実に目指すべき方向に向かって成長しているのだろう”
と考えることが出来てきています。
そういえば、私自身も曖昧な指示が理解できない子供でした。
例えば学校の掃除当番。「ホウキ係」「机拭き係」など決まっていれば良いのですが、全員がその場でなんとなく手分けをして作業を開始する雰囲気では私は固まって動けなくなっていました。どうして良いか全くわからなかったのです。また、(息子には見られませんが)私自身はチック症もあり、そう言う時は決まって不随意運動が出ていっそう困らされました。
私の場合は、大人になるにつれ経験で理解を埋めていき、今では適当歓迎、効率重視の気質になっています。
サポートはプログラミングと一緒
友達がとても良いことを言ってくれました。
「プログラミングの仕組みを思ってみてよ。立って歩いて曲がって座る、一つ一つ指示を出さないといけないでしょう?でも、指示を入れればその通りにできるんだよ。成功体験が積み上がれば、だんだんスムーズになっていくよ!」
あぁ、本当にそうだなって思いました。
息子を促していくことは、プログラミングと一緒。そう思えばやり方(接し方)は明確に見えてくる。
このように考えて、ようやく私はもっとおおらかな気持ちで息子の特性に向き合っていけそうだな、と思えるようになりました。
(↓)プログラミングの体験授業が受けられます。我が家も一度オンラインで体験し、非常に分かりやすく教えていただきました。息子はプログラミングの基礎を私が教えてあったこともあり「簡単すぎた」と言って続きませんでしたが、私にとっても息子にとっても良い刺激となりそうです。いずれ機会があればまた受けてみたいと思います。
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