みなさんこんにちは✨
今日は先日の記事の続きを記録しようと思います(↓)
それは今年の冬休みに起こった出来事でした。私の娘は場面緘黙の克服のためにと通っている幼児教室において、たまたま振替授業のために訪れたいつもと違う校舎、メンバー、先生方の中に入った際に、きっと何かがあったのでしょう、泣いてしまってこの日の授業を受けられなかったことがありました。
講師の方も、ただ無言で泣く娘から理由を聞き取れるわけもなく、ただただ娘はその場で涙を流し、大人が促しても動かせないほど体も固まってしまっていたようでした。
私も娘に何があったのかを聞き取りたいと試みましたが、娘はその度に口を噤んでそれを話そうとはしませんでした。おそらくですが話したいのに話せない、そんな状況だろうと思われました。
私は、自分の楽観を悔やみました。
少人数の“いつものクラス”ではすでに十分安心感を得ていたと思い込んでおりました。その頃の娘は教室内で他のお子さんの前で自分の課題の発表もするし、さらにはお友達の課題発表に対し挙手をして質問までするようになっていたと聞いていました。幼児教室の先生方もそんな娘の前向きな変化を共に喜び褒めてくださり、『障害に囚われ過ぎているのでは?もっと高いレベルを目指してもいいのでは?』と提案をいただくことさえありました。何より娘自身も教室に通うことが楽しいと言い、全てが順調であるように見えていた、そんな矢先のことでした。
尚早だった、無理をさせた、私の思い込みと油断のせいでマイナスの経験をさせてしまった。
その翌週は、娘は同じ校舎で冬季の模試を受けることになっていました。その日程が迫る中、私に出来ることはなんなのか。私は不安も感じながら、出来るだけのことをしていこうと考えました。
「次に繋げるため」に模試を受けないという決断
このまま通えなくなってしまうのではないか
不慣れな校舎、勝手のわからない教室で、いつもより大人数の見知らぬメンバーの中に入った際、娘はこの週の授業を受けることができませんでした。
きっときっかけとなる“何か”があったとは思います。だけど私は娘から、それを聞き取ることが出来ないままにおりました。
なにがあったの?
私がそっと尋ねても、娘は何も答えません。苦しそうな顔のまま、彼女は俯いてしまうのです。
あぁ、これは私にも覚えがあるなと思いました。私も、自宅内であっても母に何かを問われたときに、頭の中が混乱してなんて言って良いのか分からなくて、喉が詰まって、結果的に何時間も黙っていたことがよくありました。だけどそれも、黙りたくて黙っているわけではないのです。言いたいことは頭の中に浮かぶのですが、それでもどうしたら良いかが分からなくなって何も言えなくなるのです。相手に向き合わないつもりもありません。どうしようもないのです。私はそんな当事者の辛さ、そして混乱を、思い出しておりました。
理由を聞き出そうとすることは、おそらく今ではないのだろう。
彼女も心の整理がついておらず、伝えるための準備はまだ整わない。私も娘にプレッシャーをかけてまで無理に聞き出すこともないのだろうと思いました。
だけどその翌週は、通学生の全員と外部生も受けるというそれなりに重視していた模試が控えておりました。
聞き出すことも控えたいという一方で、親としては幼児教室に何らかの事情を話さなくてはなりません。断片でも情報を得たいというのが本音でした。非常に難しいことでしたが、私は娘の気持ちを想像して言葉にしながら話すことを試みました。
もしかして、この前は男の先生だったからかな?
そんなふうに想像しながら、思うところをいくつか聞いてみましたが、娘は視線も動かしません。だけど私が、
いつもより人数が多かったから、ドキドキしちゃったかな?
そう尋ねた際、娘は小さく頷きました。よし、ここまで聞ければまずは十分。それ以上のことは分からないけれど、私は娘が確かに気持ちを伝えてくれたことを褒めました。
娘の表情が、少し和らいだと思いました。私は続けて聞きました。
そうだね、びっくりしちゃったんだね。
来週は同じ教室で模試があるんだけど、それは難しいという気持ちかな?
…むりだとおもう。
これには娘は、自分の気持ちをしっかりと言葉で伝えてくれました。私はこれを、本当に立派なことだとまた褒めました。
わかったよ。教室の先生とも、よく相談してみるからね。
そうは言えど、私はもしかしたら娘はせっかく巡り会った幼児教室にもこのまま行けなくなってしまうのではないかと、内心ではとても残念に思っていたことも事実です。
教室への相談も、今回はちょっと難しい
そうして私は、先日に娘が授業を受けられなかったことの状況説明、及び翌週の模試についての対応のために幼児教室に連絡しました。
いつもよりも、そしてそれが彼女の想定よりも人数が多いと感じたために内面での混乱があったようでした。私は先日の状況について、そんなふうにお知らせしました。
それを踏まえ、来週の模試も本人は「難しい」と申しております。せめて複数ある受験日の中で受験者数が最も少ない日時へと変更してもらうことはできませんか?オンラインでの対応はできませんか?
私はダメ元で聞いてみますが、それもすでに決まった日時で進んでいるし、いずれの日も受験者数に大きな違いはないとのことで変更などは難しいとのお話でした。
どんな場でも力を発揮できるようになることは大事です。その練習をするつもりで考えてみてはいかがでしょうか。
先生方のご意見も、まったく本当にもっともなのです。特に“受験”を意識すれば、子どもたちは初めての場、人、環境においてもいつも通りの自分らしさを発揮できなくてはならないことは分かります。
だけどそれは、今の娘にはまだ早い。
『どんな場所でも、誰とでも』というのは理想ですが、しかしそれは今すぐではなく、今しばらくの経験を積み、半年後や1年後、なんなら娘の場合はもっともっと長い時間をかけながら目指していきたい姿なのだと私としては思いました。(ちなみに同じ場面緘黙を有した私は、それが達成できたのは高校生以降のことでした。)
娘には娘のペースがある。
今はとにかく無理強いしない、娘の健やかな心と芽生えつつある自信を折らないことの方が大切です。
私の心は決まりました。
次の模試は、お休みしよう。
受講代が無駄になってしまうので、支払っている夫にも了承を得なくてはなりません。だけど夫も、『お金のことは良いから、とにかく今は娘を待とう』と言いました。
私の葛藤と支援者からのアドバイス
今回の件について、親としての対応はそう決めました。
やっぱりどうしても模試を受けることが難しいなら、今度の模試はお休みしよう。
私が娘に話をしたら、娘は幾分ほっとした表情を見せただろうと思いました。それにその模試さえ過ぎれば、その翌週からはまた少人数の教室に戻るのです。私は娘が再び楽しく通えることを願いました。
だけど私は、未だ少し不安でした。
これで、本当に良いのだろうか。
分かっています。無理をさせてはいけません。
だけど人生には、嫌でも頑張らねばならない時が必ずあります。私たちは娘のペースを守りたいと言いながら、ただ困難から逃げているだけではないのだろうか、そんな想いは消えません。他に手立てはなかったか、もしも思い切って行ってしまえば思いの外楽しめて、『行ってよかった』と成功体験になるのではないだろうか。私たちはそうなるように娘をサポートすべきではないだろうか。
私は自分で納得したはずなのに、この決定が正しいのかが分からなくて、考え込んでおりました。
親の気持ちがぶれていてはいけないのです。不安は娘に伝わります。
専門家なら、どう言うだろう?
私はすでに心は決めているのにも関わらず、ここで支援者の意見を聞きたいと思いました。私は娘のプレイセラピーを担当してくださっている療育先の先生に、相談のメールを送りました。
すぐにメールに返信があり、『来られる日に、お母様だけでお越しください』とすぐに面談のお約束をいただきました。
はい、よく分かりました。お休みして良いですよ!何も問題ありません!
本人が楽しめているかが何より大切な考え方です。次に繋げるために、今回ははお休みさせて良いんじゃないかと思いますよ〜。
そうして療育先の先生は、今の娘は話せるようになってきた“上り調子”の時だからこそ、より慎重なサポートが必要なのだとも話されました。
私も笑顔になりました。やっぱりそうだ、私たちはもう迷わない。私はその先生が言われたことを、娘にもよく伝えました。
今回の模試は、おやすみします!T先生にも相談してみて、お休みして良いって言ってたの。今はそれで気持ちや準備を整えて、そうしたら次はきっと大丈夫だって言ってたよ!
これには娘も大いに安心した様子でした。これまでのような絞り出すような声ではなく、いつもの明るい大きな声で話しました。
分かった!それにさ、娘ちゃんは困ったことがあった時にはT先生のところに行けば絶対に大丈夫になるんだもんね!
療育先の先生が、いつも自分の味方でいてくれること。それが彼女にどれだけ大きな安心感をもたらしているのかと感じました。
娘と先生の間にこんなに強い信頼関係ができていることを、私はとても嬉しく感じました。困った時にも、もちろん何もなくたって、“駆け込める場所”が自分にある。この安心感がこれまでの彼女の変化を起こしてきたし、彼女の今後の人生を通してもきっと大きな支えになるのだろうと感じました。
あの時何があったのか
私は今回の状況を、できるだけ丁寧に幼児教室にお話しし、今回の模試はお休みすることを伝えました。
専門家の支援者とも相談して決めたことです。
今回はお休みさせていただきますが、私たちは彼女の今後に繋がるようにサポートしていくつもりです。今後ともご指導のほど、よろしくお願いいたします。
そうして娘はまた楽しく少人数クラスに通い、あっという間に時は3月になりました。
そろそろ次の、“春の模試”の時期になります。あの時とまた、同じ校舎に行くのです。
ありがたいことに幼児教室の先生方は娘のことも気にかけてくださっているようで、試験日が近づくにつれ『当日の受験者数は男の子が何名で女の子が何名の予定です』と娘が見通しを持てるよう、そっと教えてくださいました。ご理解をいただけることが本当に嬉しいことだと思いました。
今度の模試は、男の子が少なくて、女の子が多いそうだよ、お友達になれる子がいるかもしれないね🎵
私は娘と情報を密に共有し、できるだけ彼女が想像できて見通しを持てるようにと努めました。
するとふと、娘が突然話しました。
実はあの時さ、
コートを着て行ったでしょ。でもあの校舎ではコート掛けがどこにあるのか分からなかったの。分からなかったから娘ちゃんはコートを鞄に入れようと思ったんだけど、コートが大きくて(←たしかに厚手のムートンコートでした😨)、押し込んでも押し込んでも鞄には全然入らなかったの。
それでどうしたらいいか分からなくなっちゃって、それで涙が出ちゃったの。
私はそういうことだったのかと驚きました。そこは不慣れな場所だったから、しかも体験に行った時は夏だったのに今回は冬、全く勝手が分からなくてそれでもなんとかしようと頑張った娘のことを、私はすごいと思いました。
私は心から共感し、そして話してくれた娘のことを褒めました。
それは本当に大変だったね。話してくれてありがとう😊いつもの教室なら入り口にコート掛けがあるのに、慣れない教室では見つけることができなかったんだね。
そうだ💡次の時には娘ちゃんが教室に入る前に、お母さんがコートを預かることにしようか?それなら安心できるかな?
うん!それなら絶対安心できる!絶対に絶対にそうしてほしい!
(彼女の場合、『コート掛けはどこですか?』って聞けば良いよねというのはもう少し先の話です。いつかきっとそんな日も来るのではないかと思っています。)
春の模試を無事受けられて、成功体験になったと思う
そうして娘は3月に春の模試を無事に受けることができました。
この日は私が上着を預かっていたため不安要素はないはずでしたが、それでも私は心配でした。遠くに行かず、近くのカフェで待機をしながら、私はいつ教室から電話がかかってくるかとソワソワしながら待ちました。そうして模試が終わる頃に恐る恐る、しかしできるだけの早足で迎えにいくと、娘はなんとスキップをしながらご機嫌な様子で教室から出てきたのです。
うまく行った!アイス買って!
だって、おうちでお母さんとお勉強したのと、本当におんなじ問題が出たんだよ!3つもだよ!お勉強しておいてよかったなって、娘ちゃん笑っちゃったんだよね!!😆
教室の先生からも帰り際に、『注意して様子を見ていましたが、普通にやってるじゃん!と心配無用な感じでした。行動観察も控えめながら頑張っていたと思います。』と一声かけていただきました。
困難の克服への道のりは、常に山あり谷ありです。
これからも、きっといろいろなことがあるでしょう。
だけどきっと私たちは大丈夫。多くの人に支えられながら、そんな“いろいろ”の多くを乗り越えて、すべての経験が彼女の背を押すものへと結実していくだろう。私にとっても、本当に学びとなった経験でした。
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