みなさんこんにちは✨
私は今、極めて高性能なヒト型ロボットを製造中です。
私の息子は、やっぱりちょっと手がかかる方なのだと思います。
息子は“非日常”に過敏であり、こだわりの強さやコミュニケーション特性、先の見通しを持つことが苦手であったり、そういった彼の様々な特性は彼の日常生活に複合的に作用し合い、時に大きな影響(困難)を及ぼします。
だけどね、そういったことに一喜一憂、やきもきしてもいけません。
だって、私は息子開発プロジェクトの主任プログラマー✨私は高性能のヒト型ロボットを作っていると思いましょう。するとあら、なんだか気持ちは楽に、視点も客観的になりますね。これまでのプログラミングで彼の行動に不具合があったのならば、修正点を探し出して適切な指示を出していくしかないのです。
悩み多き私に、そんな気の持ちようを教えてくださった素敵な方がいらっしゃいました。
そうだよね、皆様、自分だけで抱え込んではいけませんよ😊
確かに子育て(の一部)はプログラミングと言えますね。目標設定、指示の出し方、順序やタイミング。思うように動かなければ、曖昧な指示がなかったかを確認してエラー修正、やり直していけばいいのです。そんな“仕事”だと思えばやきもきすることも減りますね😊
ヒト型ロボット製造中、それが私の仕事である
子育てはプログラミングだ
先日、私は下記の記事において、息子が『余裕を持って』目的地に向かうことが受け入れられないという記事を書きました(↓)。
もうね、こういうことは我が家は茶飯事。
他にも例えば、こういうことも起こるのです。
『集中したらすぐ終わるよ!』と言い張り外出の予定があるのに宿題をしない息子→終わるわけない→息子『外出先でやるから!』と怒る→外出→タブレット等は持っていけたが待ち時間に開くと充電0、もちろん充電ケーブルも持ってきてない→息子取り乱す(なんなら私に当たる)→私うんざり😑
もうね、正直な気持ちは本当に毎度“うんざり”ですよ。とにかく息子は先の見通しが全然持てないし、彼の彼にしか分からない“強いこだわり”は私の言葉を打ち消します。
しかも先日に書いた“余裕を持って塾にいく”事件については、“急げば15分で着いてしまった”という謎の成功体験まで加わってしまってなかなか難儀な課題でした。
本当に、私は親として無力である。なんとかしたいという気持ちはそのままに、もうどうしたらいいのか分かりません😭私はそんな状態でした。
しかし今回、私がそう不貞腐れていたところに、先の記事を読んでくださったという方が一通のメールをくださいました。中学校の先生とのことです。私に面白いアドバイスをくださいました。
学校現場ではよく「10分前行動」を絶対的な前提にして、それから行動時間を計算するように指導します。あとはそこにイレギュラーな天候だったり、訪問先ごとのルールのようなものを一つ一つ「一緒に考えて」インプットさせてあげればいいのかなと。
プログラミングみたいなもんですね!
息子さんとの生活でやきもきする、これは私も多いにうなずけます。でも例えば大西さんがプログラマーで、高性能の人型ロボットを開発しているとします。
そして、プログラミングをして自分の思うように動かなかったとしても、ああ、私のプログラミンングがまずかったんだなあ~、よしこういうふうな指示をいれておこうって思うと思うんですよ。そして、そのことにイライラもヤキモキもしません。だって、プログラマーという仕事でやっているんだから。
すごく面白いし、的確な例えだなぁと思いました😊
特性のあるなしに関わらず、子育てというのは仰る通りの“プログラミング”的側面も大きいです。もちろん“その子らしさ”とかの芯の個性はそのままですが、例えば礼儀やお行儀、行動規範なんかはやっぱりプログラミングなのだと思います。
確かに私は(慣れてきたとは言えいまだに)しょっちゅう、息子の振る舞いに一喜一憂、まさに何かあるごとにやきもきしました。だけどそれは、主任プログラマーである私の指示が甘いのですよ。そう思うとね、不思議と何度でも根気強くやっていこうとする気持ちが湧いてくるような気持ちになります😊
大人になるまでに細かくこういったシチュエーションを親子で経験して説明していくしかないのかなと。
本当に、そうなんだろうね。
プログラミングって、ものすごく神経を使いますよね(←私は素人なのでとくにね…)。私はお遊び程度の経験しかありませんが、手元と頭脳、言語とイメージがシャッフル状態でフル回転になるのが私にとってのプログラミングのイメージです。
そう。私は『主任プログラマー』👍
私は親でもありますが、プログラマーでもあるのです。その両輪に責任感も分け合って、少しでも気楽にやっていこうとする気の持ちようは、本当に良い考え方だと思いました😊
抱え込んではいけません
そういえば、アメリカの研究成果ですが、このような研究があるのですって。
“知的障害を伴わない自閉スペクトラム症児の母親は、他のあらゆる病気や障害児の母親と比べてもうつ病の人の割合が顕著に高い”というものです。
参考文献(原著)はこちら:↓
このような研究がなされていることを私は本か何かで知りましたが(←父親に関する研究がされていない点については質疑をしたいですがね。)、私は最初、この研究成果の示唆するところがあまりよく分かりませんでした。だけどね、最近の私はこの研究成果の有する意味が、なんとなく分かるような気がしています。
私は今なお息子に対して、『どうして?なんで?意味わかんないんですけどー?』と、時にはそんなふうに思うのです。そういう時、私は“大きな無力感”だったり“余裕のなさ”を感じてガクッと落ち込んでしまいます。
きっと親の負い目はそんな気持ちから生まれて膨らむのだろうとも想像できる気がしています(↓)。
この研究成果では、“知的障害を伴わない自閉スペクトラム症のお子さん”が対象です。私の息子もこのカテゴリに入り得ると思います。
なんていうか、変な言い方になるかもしれませんが、うまく伝わらなかったらすみません。
私の息子も外見上は“普通”であるし、平常時には普通に話が通じて会話も弾む本当に可愛いくて愛しい息子です。だからね、親も『話せばきっとわかってくれるはず!』と思い込んだりしちゃいます。そして周りもそうやって期待します。さらには子供の特性を『親の努力だけで改善できる』ように勘違いをしていくことも、起こり得てしまうのではないかと思うのです。
だけど実際はそうではないの。その“ギャップ”が一層親を追い詰める。周囲の理解も得られづらい。だからこのような研究結果になるのではないかなと最近の私は感じています。(*知的障害を伴うお子さんの育児と比較しているわけではありません。誤解のないようにお願いします。)
つまり、“親”が抱え込んではいけないということ。子供の特性を親だけで抱えこもうとすればするほど、親の心をすり減らすことになっていくのだと思われます。
だから私たちは、“親”でもあるけど、職業としてのプログラマーでもあらねばならないという気の持ちようは一層素敵だと思ったの😊👍
我々には、お茶の水博士や真田志郎のような(←古い?笑)科学者になったつもりで、一段上から冷静に真摯に客観的に子供を見つめ、一つ一つの適した配慮をインプットしていくそんな意識が大切なのかもしれません。
もちろん育児において、一番大事にしたいのは子供の幸せです。だけどね、親の健康と幸せもまた、子供の成長に沿って伸びるものでなければなりません。
親が潰れちゃいけません。くれぐれも気をつけて行きましょう。
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