みなさんこんにちは✨
前回の記事はこちらです:
娘はいくつかの検査を受けて、その結果を踏まえて彼女には“場面緘黙”および“自閉スペクトラム症”の診断が下りました。
私もまた、かつては場面緘黙の当事者でした。私が得られなかった理解と支援を、娘には最大限に与えたい。その準備が整って、私たちはようやくスタートラインに立ちました。
今日はここで、我が国における場面緘黙の現状と位置付けについて今一度しっかり確認しておこうと思います。
場面緘黙は学校教育、医療、福祉、どの枠組みで捉えても合理的配慮の対象です。私たち保護者がどのような支援や配慮が求められるのかを知っておくことはとても大切なことだと思います。
場面緘黙とは
疾病分類上は“不安症”の一つ
まず最初に、場面緘黙のWHO(世界保健機構)が定める国際的な診断分類(国際疾病分類:ICD-11)およびアメリカ精神医学会が出版しているDSM-5における疾病分類を確認します。
ICD-11およびDSM-5については下記の記事でも触れていますので参考にしてください(↓)。
ICD-11において場面緘黙(6B06 Selective mutism)は、
“06 Mental, behavioural or neurodevelopmental disorders(精神、行動、神経発達の疾患)”の中の“Anxiety or fear-related disorders(不安または恐怖関連症群)”に分類されます。
これはICD-11の改訂時において、前版のICD-10では“F4 Neurotic, stress-related and somatoform disorders (神経症性障害,ストレス関連障害および身体表現性障害)”と括られていた疾病の中から、とりわけ不安を中核とするものを抽出して独立させたのが本疾患群とされています。
先行して刊行されたDSM-5においても、場面緘黙は不安症群として整理されているようです。いずれの疾病分類においても足並みを揃えた形だろうと思われます。
場面緘黙の中核は“話さない”ことではない
私もかつての当事者として、この“不安症”という分類について、『なるほどね、分かるわぁ…』ととても腑に落ちる思いです。
場面緘黙は話さないことのみに注目されがちなのですが、その本当の実態は“不安”だったり“強迫観念”だったりするのではないかと感じます。私自身もかつての経験を振り返りながら突き詰めて考えていくと、このような困難の実態が思い浮かんだりもするのです。
私にとっての場面緘黙は何か?:
- おかしなことを言ったりしたりしたら“一発アウト”みたいな強迫性
- 自信のなさからの不安の増強
- 不安に囚われて体も動かなくなってしまう
つまり場面緘黙というのは、不安だったりそれに伴う恐怖ゆえに自分らしく振る舞えなくなってしまうことが症状の中核だったと思えてきます。
しかしその研究の歴史は浅く、1930年代にドイツで研究が開始され、日本での初めての研究成果報告は1950年代半ばです。私の母(娘の祖母)が1950年代の生まれですので、私の母などは場面緘黙を知らなくて当然と言える世代なのだと改めて感じたくらいです。
その後日本では2000年代に入ってから当事者が協力して啓発活動が開始され、ほぼ同時期に次々と『かんもくネット(2007年〜)』や『『かんもくの会(2006年〜現在は実質的に活動を終了)』の団体が設立されました。
私もこの機会に、“かんもくネット”に入会をさせていただきました。当事者として保護者として、活動の一端に参加させていただきたいと思います。
また、場面緘黙のみならず不安症の多くに言えることかもしれませんが、
- 認知度が低いこと
- 大きな問題行動も無いので深刻視されないこと
- 本人の努力不足、気の持ちよう等の誤解
などから治療や支援に繋がれないケースが多々ありますね。
さらに大変なことは、首都圏に住む私たちでさえもそうだったように、この症状を自覚したとしても相談できそうな医療機関は極めて限定されていることも課題です。
理解と支援、環境調整。
本人が緘黙と共に生きる上で、無くてはならないものだと思います。
そして本人が自覚し、“不安”を手放していくことを目指した治療の重要性を強く感じています。
場面緘黙は合理的配慮の対象である
場面緘黙は、
学校教育では特別支援教育の対象である『情緒障害』に、
医学的には『不安症』に、
発達障害支援者法では『発達障害』に分類されて、
どの枠組みで捉えても合理的配慮の対象です。
また、2013年には障害を理由とする差別の解消の推進に関する法律(障害者差別解消法、2016年より施行)が制定され、この法律は『障害を理由とした差別の禁止』および『本人から申し出があった場合には合理的配慮を検討しなくてはならない』ことを求めています。
ところで学校教育に関しては、とても良いニュースもあります。当サイトを読んでくださる方から、東京都内の公立小学校でもこのような積極的な試みがなされているよと教わりまして、素晴らしいことだと感じました(↓)
公立の支援学級にこんな素晴らしいところがあるんだなと、羨ましく思いました。場面緘黙のお子さんの例も出ていて、おしゃべりになったそうです。良かったら読んでみて下さい。
また、入学試験や資格試験においても本人の発話が無い(困難である)という理由からは面接試験を伴うものでも受験は拒否されません。
既に合理的配慮の内容を公開している試験等もありますし、明示されていない場合でも受け入れ体制を整えられるか、“方法”や“内容”を変えて実施することができないかに関して対話の機会を求めて働きかけることは大切な権利であると心得ておくことが重要です。
保護者の情報収集と本人の努力。それらを叶えるための、周囲との環境調整を後押ししてくれる支援はたくさんのものがありそうだと感じました。
段々と、大丈夫だろうと思えてきます。
娘は自信を育みながら健やかに成長し、受験や試験等で実力を発揮することに制限も受けず、きっと彼女の生きたいように、彼女らしく生きていけるのではないかと心強くも感じます。
配慮を求め、娘を支え、私は彼女の成長を誰よりも応援したいと思っています。
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🌟関連書籍の紹介🌟
最近の私は、場面緘黙の関連書籍を片っ端から読んでいます。ちょっとした感想を添えて、これから少しずつ紹介したいと思います。
↑場面緘黙について、診断基準や状態像が客観的に書かれています。主に保育者、幼稚園や小学校の教師等の“支援者向け”です。具体例も多いので、保育者の方や「教養のために1冊だけでも読むか〜」という方にもオススメです。
↑当事者の体験談をわかりやすい漫画で描かれています。場面緘黙は話せない疾患なだけに、渦中の心情だったり考えなどを他者に伝えることはできません。支援者が当事者の心中を察するためにもとても参考になる内容です。私も一当事者として、共感できる部分が本当にたくさんありました。
↑同じ筆者による、子供の頃の“嫌な記憶”が綴られた漫画です。客観的に読むと地獄のような日々なのですが、それが当事者のリアルです。私も度々フラッシュバックが起こってしまい、辛い思いで読みました。夫も読んで、『これは…大変だ…』と娘を憂いて慄いていました。
↑こちらも当事者による経験談の漫画です。上2冊の漫画とは別の方が描かれており、場面緘黙の状態像、きっかけとなったかもしれない出来事や心情が個々に異なることが分かるでしょう。緘黙といえど、それぞれに本当に多様であることを知ることができます。
↑緘黙のお子さんを主人公にした絵本です。小学生以上のお子さんが所属する学級に対し理解を深めるために読まれると良いだろうと思います。娘には少し早かったようでまだ読み聞かせておりませんが、入学後に必要があれば読んでやりたいと思いました。
これらの書籍はいずれも図書館にもありそうです。ご興味を持たれた方は、ぜひ多くの方に場面緘黙を知って欲しいと願っておりますのでご一読をお願いしたいと思います✨
コメント
色んなコミュニティに積極的に参加されていて、尊敬しております。
母親のそういった行動を広げてくれるのも我が子のおかげ。
そして、ご自身を知る材料としても子育てとは本当に良い機会を与えてくれる嬉しい試練の時間(とき)なのかもしれませんね。
ある意味、私達は「幸せ」です。
コメントをいただきありがとうございます。
本当に、最近色々な場所へ出かけ、色々な方に話を聞き、動かない息子と成長著しい娘を思いながら“待ったなし”の生活をしております。
親のメンタルも波があることも実際ですが、私たちは幸せであるという考え方、本当にその通りだと思います😊さらに元気が出ました✨