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#17 申し訳ない、後ろめたい

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息子の特性に気づくまで

みなさんこんにちは✨

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新型コロナウイルス感染症の流行に伴う一斉休校をきっかけに、私の息子は精神的にとても大きなダメージを受けました。

さらにGW中には私の実母が急病で倒れ、その際に肺炎の所見が認められたために新型コロナウイルス感染症の検査を受けました。そのことが、未知の感染症をただ怖れる息子に一層の混乱を引き起こしました。

私は、息子の変貌に驚き困惑し、そんな息子にどう接して良いかが分かりませんでした。取り乱す息子、そして私も一緒に取り乱すような生活を送っていました。

だけど緊迫した最初の緊急事態宣言下において、私は自分の仕事を在宅でしながら、目が離せない息子を生かし、全く動けない実母の世話も担い、まだ2歳だった幼い娘の世話もしながら家庭を維持することに迫られました。

精一杯やっているつもりでした。だけど、私には徐々になんとも言えない後ろめたさや申し訳なさが募りました。

わたし
わたし

残っていたメールやメモをもとに振り返ってみたいと思います。

母の退院後と私の生活の変化

母に一人で療養してもらうことの後ろめたさ

2020年5月12日、10日間の入院期間を終えて私の母が退院しました。

退院の日、私は車を借りて必要な荷物を積んで母を迎えに行ってから、私は母をもともと入所していたグループホームの居室へ連れ帰りました。(前回の記事はこちらです↓)

母の入退院に関する諸手続きや役所等での窓口では、なぜだか方々で『お母様と一緒に暮らすことはできないのですか?』と言われました。

入院先の看護師さんなどは、おそらく悪気はないのだろうと思いますが、私が居る前で母に『今日から娘さんのお家ですか?😊』と言いました。

そしてその時、母が私をチラリと見るのです。

当時の私は、これがとても嫌でした。

 

このとき、私は本当に不思議でした。

出来る出来ないの以前に、そもそもの前提がわからない。私は娘であることは事実だが、もう完全に別家庭の人間だ。それなのにどうして“一緒に暮らす”という話になるのだろう』

 

だけど、複数の人からあまりにも度々言われるので、私がおかしいのだろうか?私が間違ってる?と混乱し始め、私はなんだか良心の咎めのようなものを感じていきました。

 

しかし、誰に何を言われても、無理なものは無理なのです。

母親といえど、私でさえ母とは18歳までしか一緒に暮らした経験がありません。血の繋がりは確かにありますが、もう22年以上の時間を別々に生きてきた人間です。何もかもが違います。

それに夫は母とは完全に他人であるし、夫が自分の家に私の母を入れる道理なんてあるわけない。私はそう考えていました。(※私の考えです。夫がそう言ったわけではありません)

ましてや今は平時ではなくて、私の最愛の息子が、世界の異常事態に混乱し、パニックを起こして生きるか死ぬかの生活をしています。

そんな時に、余計に手のかかる母を四六時中も家庭内に置いておくことなんて、できるわけないだろう!

 

私はそう強く思い直し、母には施設内の居室で一人で療養してもらうことに決めました。

この判断は結果的に正解だったと思っています。

母を私の家庭に迎え入れなくてよかったと、心からそう思いました。(詳細は関連記事をご参照ください↓)

だけど、衰弱し、ぼーっとしているか意味不明のことをブツブツ言って過ごす母を一人残して部屋を出る時、私はいつも『母にとてもひどいことをしているのではないか』という後ろめたさを感じていました。

幸いにも、入所施設のご厚意で、母の配食サービスの手配は施設の方でしてくださることになりました。他の入所者さんが利用している業者さんがあるのだそうで、一緒に届けてもらうことが可能だそうです。自分で一から調べて依頼する手間を思えば、とてもありがたい話でした。

しかしその開始までにはしばらくの日数を要するため、それまでは私が母の食事の用意をして身の回りの世話を続けました。

時間管理

このような生活を回すために、私は全てのことを両立するためのスケジュールを探しました。

私の自宅から母の入所先施設までは、地下鉄を利用して片道約45分程度かかります。

これしかない。

そう決めたのは、早朝に母の施設に通うこと。 

母の退院の翌日から、毎朝私は4時までに起床して、荷物を整え始発の地下鉄で母の入所先に向かう。5:30過ぎには施設に到着し、母の食事と服薬管理、清潔や身の回りの様々を片付ける。

そして私は子供たちが動き出すまでに、遅くても朝8:00頃までには自宅に絶対戻りたかった。だから最低限を済ませて朝7:15までには必ず施設を出て、地下鉄に乗って真っ直ぐ自宅に戻りました。

そして夫と2人体制で子供たちに食事を取らせ、午前9時から午後5時35分までは在宅勤務の形を取り繕いながら仕事をする。その間に母の入所先の職員の方からの連絡があれば電話やメールでそれを受け、何かあればそれに都度対応する。

早朝ならば、地下鉄も空いているだろう。感染のリスクはそう高くはないはずだ。なにより子供たちの活動時間に、母の世話のための時間を割かれたくはない。

だから、母のところへの行き来はこのスケジュールしかないだろうと考えました。

そして日中の勤務時間

しかし毎朝母の世話に出かけて家に帰って食事を取り、勤務時間が開始しても子供達から目を離せるわけではありませんでした。

小学校も保育園も閉じています。小学4年生の超不安定な息子と2歳の娘を自宅でできるだけ健やかに過ごさせるために、私は何をどうすれば良いのか分からなくて常にその場凌ぎの対応となりました。

私がちょっとノートパソコンに目をやり集中した隙に、2歳だった娘がレゴブロックを口に入れてくわえていたことがありました。

慌てて飛んで行って取り上げて、私の声もつい大きくなります。するとそれに反応して息子もまた取り乱してしまいます。

私は『しまった。やってしまった…。』と、ガックリと肩を落としました。

 

せめて体を動かせば、息子も少しスッキリするだろうか。

そう考えて、小さなトランポリンを買い自宅のリビングに置きました。

息子が跳ねていることを確認し、ノートパソコンに再び向かい、私は仕事に戻ろうとしました。

すると次に目をやれば息子が跳ねている横で2歳の娘が手を出しています。踏まれて怪我をしそうで、私は大きな声を出して慌てて娘を引き離しました。

『少しは気をつけてあげてよ!』

2歳の娘の不注意なのに、私は9歳の息子に当たってしまいました。

 

この頃の家の中は何から何までこの調子で、何もかもがスムーズにいかず、いつも私は神経を尖らせているかガックリしているかのどちらかでした。

何もうまくやってやれない。どうしたらいいんだろう。

無力感が募っていきました。

息子に申し訳ないという想い

この頃、息子の習い事仲間の中学生のお友達になんとかお願いして、早朝の散歩に付き合ってもらったことがありました。

家族だけではもう、煮詰まっていたのです。外部の力が必要だと思って、私は中学生でしっかりしているとは言えまだまだ子供の息子の友達を頼りました。

その時、息子は笑顔を見せました。たくさん歩いたし、公園では楽しそうにブランコに乗ってはしゃぎ回ったりもしていました。

2020年5月17日の早朝。息子の友達にお願いして一緒に散歩をしてもらいました。

友達パワーはさすがです。親にはこの笑顔を引き出せないな、ありがたいなと思いました。

一方、やっぱり息子には人との関わりが大事なんだな、きっと学校が再開すればすぐに元気なるだろうと再認識をするとともに、私は自宅で過ごす息子にこんな笑顔を引き出してやれないことに大きな無力感を感じ、息子に申し訳なくて仕方がないという思いが募りました。

 

さらに言えば、息子が家でこんなに混乱しているのは、私のせいなのではないかという考えもよぎりました。

ずっと、息子の不調は息子の問題であると思っていました。

だけどもしかしたら全てが私の問題で、私が至らないために些細なことでも息子に強い口調で接してしまうから、それこそが息子の不調の原因なのではないかとさえ思いました。そう思い至ってしまうと、私はどんどん不安になってきました。

 

そして週が明け、再び私は早朝に母の世話に行き、日中は自宅で在宅勤務をしていました。

毎日がなんだかうまくいかない状況でした。だけど、私にはどうしようもありませんでした。

早く学校が再開してほしい。早く保育園が開園してほしい。

ずっとそればかりを願って暮らしていました。

そのうちに、どうして休校にしたんだよ。どうして休園になったんだよ。それなのにどうやって親である大人が働けっていうんだよ。

私にはそんな当たりどころのない、だけど恨みのような気持ちが募っていき、気持ちがどんどん沈みました。

 

在宅勤務を終えて夜が来れば、私はその日の8時間分の勤務状況”を書いた文章を作成し、上司にメールで送信しなくてはなりませんでした。集中する時間が全然取れないので頭を使う仕事は全く出来ず、片手間の“作業”のようなものしかできていませんでした。そのため、私は毎日これを書くことがとても憂鬱でした。大人が8時間働くということは、相当なアウトプットがあるはずです。だけど、私にはこれがどうしても書けない日もありました。そんな日は有給休暇の扱いにしてもらいました。週に2日ほどずつ、有給休暇を消化していきました。

あぁ、有給休暇がなくなってしまったらそのあとは欠勤扱いにしてもらわなきゃなぁ。そうしたらどのみち仕事はクビだなぁ。そんな気持ちで毎日の報告書を作成していました。

そうして報告の文章を上司に送信し、それから家族の食事、翌日の母の食事を用意して、1日中家にいて運動不足の子供たちを寝かしつけるためにまた長い時間を要しました。

 

ちなみにこの頃、在宅勤務中の両親をサポートするシッターサービスが開始されたことを私は情報としては知っていました。

だけど、それを調べて条件を読み、体験を申し込んで申し送り・状況説明、私はその人にどんなサポートをしてほしいと思っているのか、入会の検討、契約作業、家の中に入ってもらう人なので『誰でも良い』とは言い難い…そう考えていくと、そんな時間を割く余裕は私にはありませんでした。実際に、息子はとても他人に預けられる状況ではなかったし、価格面でも毎日フルに来てもらうことは現実的ではないと感じたような気がします。

こうして私はその日その日を暮らしていました。

ルール違反

集中できていない後ろめたさ

私に直接注意をされたわけではありませんが、この頃、上司からの一斉メールの一部分にこんな文面がありました。

なお、在宅勤務は基本的に通常勤務と同じ扱いである以上、在宅勤務だからといって就業時間内に私用を入れることはルール違反です。

その場合は許可を取った後、勤務状況に遅刻、早退、有給など記録を残しておいて下さい。

勤務時間内に私用を入れることはルール違反であり、やむを得ない場合は上司に必ず許可を取ること。

社会人として、全く当然のことです。言われるまでもありません。

だけど当時の私はこのメールを読んで、とても心が乱れたことを覚えています。

私は母の世話は早朝に行っているし、明確なルール違反をしているわけではない。

そう思おうとはしていますが、やはり私が日中にまったく集中できていないことは事実であり、そのことを指摘されたように感じて大きな後ろめたさと申し訳なさを感じました。

 

私は上司に息子が不調であること、及び母が倒れた時には新型コロナウイルス感染症の検査を受けたため、私は職場のルールに則り上司と所内の然るべき担当者にその都度状況をメールで伝えていました。

だけどそんな個人の事情は、職務上は全く関係のないことです。

私はこのメールで、

『あなたは全然仕事になってないだろう』そう、指摘されたような気がしました。

『あなただけが全く成果が出ていない』そう、名指しで指摘されたように感じました。

誰よりも私自身がそのことを気にしていたから、過剰に反応してしまったのだと思います。

(同じ文面なのに今見直したら、今は悪く捉えず『許可をとってね』という確認の文章のように肯定的に読めることが不思議です…当時の私はやっぱり不調だったのかもしれません。)

 

この頃、友達(当時2歳の双子のママ)がLINEで聞かせてくれた話も印象に残っています。

双子ママ
双子ママ

うちの会社、社員は全員が在宅勤務なんだけど、

『子供と同室に居ながらの作業は禁止で、それは勤務時間とは認めない』

っていうのよ…保育園も閉園だし、だったらどうしろっていうのよ。

そうだよね。

正論だってわかっているけど、辛いよね。

うちの娘も、目を離したらレゴブロックを口に入れていたよ。別室で仕事してる間に、子供に取り返しのつかない事が起こるんだと思ったよ。どうしろっていうんだろう。有給休暇を使い切る気持ちでいくか、もう仕事はいいやと割り切るしかないのかな…。

彼女の話が、今も印象に残っています。

 

どこの親も苦労しているのだと思いました。

我が家も、朝と夜は絶対に夫と2人体制でした。

だけど私の夫はこの頃は“人が相手”の仕事をしており、いつも分刻みのようなスケジュールでオンラインでの商談や打ち合わせをこなしていました。打ち合わせの無い合間にはリビングに出てきてくれますが、再び時間になると夫は部屋に戻ってピシャリとドアを閉めました。だから、必然的に“人が相手ではない”仕事の私が子供に目を配ることになりました。

子供がどういう状況であれ、夫は時間になればPCの前に座らなくてはならいことは私も承知しています。夫は夫で、出来ることをしてくれていたと思います。しかし、私がいるから、私に全部押し付けられるから、夫は子供から離れてピシャリとドアを閉めることができるのだとも思いました。

あのピシャリとドアが閉まる音が、当時の私はとても嫌でした。

悲しくて、本当に閉ざされたように感じていました。

だけど、状況が状況だから仕方がない、今は耐えるしかないのだと思っていました。

母のことも、私の実母なのだから、私が主体で対応することが当然だと考えていました。

その中で、職場のルールも順守するよう、できるだけ気をつけていかなくてはならないと襟を正しました。

最初の電話

体が全く動かない

3月に息子の異変を感じてから、私はずっとどこかに相談しなくてはならないと頭では考えていました。

息子を連れて、小児の精神科を受診しよう。

そう思ってはいたけれど、5月の中旬を過ぎようとするこの頃も、私は未だにそれをしていませんでした。

『これも学校が始まるまでの辛抱だ』と思って耐えていたということもありますが、正直なところは、どこを頼って良いのかが分からなかったということが大きいです。

 

だけどこの頃、5月の中旬を過ぎ、私は私自身の不調をようやく自覚しました。

朝起きると胸がギューっと苦しくて、気分が沈んだままでした。なにもする気が起きません。だけどやらなければならないことは山積みなので無理矢理体を動かしました。

 

何かおかしい。

全く体が動かない。

どこかに相談しなくては。

 

そう思う一方で、こんな不安もありました。

誰に何をどのように相談すれば良いのだろう。私は何に困っているのだろう。今の気持ちを、私は自分の言葉で明確に表現することができるだろうか。

 

正確な日付は残っていないのですが、この頃の私が書いたメモがPCの中に残っていました。

子供:いつも眠いという、夜は寝ない、イライラしている、笑わない、言葉遣いが悪い、食べない、うるさいと当たり散らす、感情のコントロールができず暴れる

>自立心の強い子で、反抗期でもあり、長らくの休校で引きこもっている。

>5月に祖母が倒れ、コロナウイルスの検査を受けた際には大きなショックを受けていたようだった。

自分:子供が変わってしまったことは子供の問題だと思っていたが、これはもしかしたら全部私の問題で、私が精神的に不調なために強い口調になったり叱り方が強かったりしていることが原因なのではないかと思った。そう思うとどんどん不安になってきた。

>どうしたら良いかわからない。私が受診したり、カウンセリングを受けた方が良いと思うが受診できる機関を紹介してもらうことは可能か教えてほしい。

当時のメモより

話す内容を整理しようと、書き殴りのように書いたメモでした。

そして私は衝動的に『精神 相談 東京』とインターネットで検索し、パッと出てきた“東京都立精神保健福祉センター(TEL 03-3844-2212 平日9:00~17:00)”に電話を掛けていました。

そしてここで初めて、私は“発達障害”という言葉に出会いました。

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