みなさんこんにちは✨
子供達は夏休みですね。みなさまいかがお過ごしでしょうか?私は昨日23日にはNHKハートフォーラム「子どもの発達障害 ~今、大切なことと、将来、役に立つこと。~」を聴講し、夏休み早々にとてもパワーがもらえて前向きになる最良の機会をいただけたことを大変嬉しく思っています。
たくさんの良いお話が聞けました。
『「いま」心が健康に学んでいくことの積み重なりにこそ、将来がある』
本田秀夫先生の、そのお言葉にとても深く頷きました。
さて、先週には、私の息子の親なりの焦りとでも言いますか(笑)、ギフテッド&2Eな息子にこの夏休みの過ごし方を色々と提案しまくったことなどを書きました(↓)
焦りすぎかな?果たして私は考えすぎや期待のしすぎなのでしょうか😅
この夏、私はまず、まだまだ無気力気味な彼に対し学習へのモチベーションを持つきっかけになればと願い、経験豊富なプロの塾講師の先生に家庭教師をお願いすることにしてみました。オンラインで自宅から、彼のペースで進むことが彼を安心させたのだろうと思います。
その第一回目の授業を受けて、まだまだなんとも分かりませんが、その時の発見として一つだけでも言えることは、
外部の人に教われば、親が勉強を見ようとするよりよほど平和に話を聞いているようだ!
ということです。
その先生は私のかねてからの友人でもあり、息子にとっても幼い頃からの顔見知りという安心感もあったでしょう。
あまり人と関わることが上手ではない、やや内向きな傾向のある息子でも、
次の問題をお願いします!
えっと、このあたりはどういうことですか?よく分かりませんでした。(←相手が親なら口調も強くなってしまいそうだが、相手が他人だと息子はだいぶ落ち着いている👍)
さすがプロの先生です。進め方も話し方も彼の様子に合わせて励まし、柔軟に対応していただいたと思います。だから私も安心して、今回特にお願いしたいことを事前に話しておりました。
些細なことでも褒めてやってください。彼に自信をつけてもらいたいと願っています。
あと、息子の強みは独学が可能なことで、学校でまだ習っていないこともその場で説明されれば理解できます。この夏は頭をフル回転で考える楽しさというのを知って欲しいと狙っています。
そうなのです。
本来、学習というのは楽しさを伴うものであるはずです。私も良かれと思ってだったとはいえ、昨年私は彼に中学受験のための学習を強いたことはミスマッチであったと今は反省しています(←ごめんよ息子😭)。今の彼は、その“学習の楽しさ”を見失っていることが私はとても心配です。
だからこの夏は数学を例に、息子がほんのわずかでも『やればできる』とか『学習は楽しい』と思ってくれたら超ラッキーだと私は密かに狙っています。
なぜなら、私自身もそんな経験をしてきたからです。
今日は息子の母親であり、同じく高IQかつ成人ギフテッドの一人である私の子供の頃に学習に意識が向いた“きっかけ”について振り返ってみようと思います。
私が学習に意義を見出した最初のきっかけ
地方で育つ子供の学習機会
当サイトを読まれる方にはご存知だろうと思われますが、私自身は富山県の田舎町の出身で、当時の時代柄と地域柄もあったでしょうが、その地域ではちょっと塾とかそういう類のリソースがとにかく少ない地域で私は子供時代を過ごしました(↓)。
それに比べれば、私の息子はやっぱりとても恵まれていると感じます。両親が健康であり子供時代に都心に住んでいるために、経済的にも機会的にも、彼が何かを欲した時に取れる選択肢は多いです。もちろんそれは本人が望むか望まないかにも関わらず、ではあるのですが。
私が思うだけですが、田舎育ちだからといって何か良かったメリットなどは特になかったと思います🤔
私の両親はずっと共働きでしたので、私が子供の頃の放課後はもちろん親しい幼馴染と遊ぶことも楽しみましたが、基本的には当時の学童保育の役割を担ったであろう地域の小さな公文式の教室に週に2度ほど通うことと、そのほかの時間はずっと家で漫画を読むかファミコンに没頭して過ごすような子供でした。
そう。別に自然が近くにあるからといって全ての子供が野山を駆け巡るわけでもありません。その子その子の個性がやっぱりあるのです。当時の私自身には場面緘黙症という困難もあり、あまり社交的だったり積極的な子供ではなかったこともあるでしょう。
また、それは親のアンテナ次第でもあったかもしれません。私の両親は、二人とも最終学歴は地域の県立高校です。それでも私の両親は私に勉強の重要性を日頃からよく説いていたし、学習に意識が向くようにと期待されていた自覚は私自身にもありますが、とにかく気づきの機会もリソースもほとんど身近に存在しないことが当時の私の現状だったと思います。
勉強の仕方なんて、想像したこともありません
子供の頃の私には、場面緘黙症というコミュニケーション上の困難がありました。だから私は学校ではとても“大人しい”と見られる子供で、同時に多くの誤解だったり偏見なども受けました。
それでも私は、勉強自体が不得手だったわけでもありません。全く勉強しなくても、学校での学習自体に困ることはなさそうでした。理解度も問題ありません。私はそれを口に出しては話せませんでしたが、授業で聞く内容には『もっとこう言うふうに説明したらよっぽど分かりやすいのに…先生は何を考えているの?』と、教師の話しぶりに不満を感じることもありました。
また、私は昭和55年の生まれですが、当時の義務教育課程では全員が一斉の知能検査を受けました。とてもよく覚えています。時間を測って向き合う課題に、私は時間内に全ての課題を解いてしまって時間が余る検査でした。一方で、横目で見ると隣の席の人は課題の半分までにも到達しない。私はとても不思議でした。その結果は私自身には知らされることはありませんでしたが、当時の母は私の検査数値がかなり高いということで何度か学校に呼び出されたと言っていました。
私は幼い頃から文字や漢字を覚えることが早かったのだと、そう母が話していたことがありました。少し話せるクラスメイトからも時々『なおちゃんは頭がいいね』と評されることもあったけれど、それでも私は何かで目立つわけでも、テストの点数が特に良いわけでもありません。
頭は悪くないかもしれないけれど、その使い方が分からない。教えてくれる人もいませんでした。私は自分でも自分がよく分からない子供でした。
私はそのまま地域の公立中学校に進学し、私が初めて中学校で受けた1学年1学期の中間考査は学年の中で点数順に明確に“順位”の付くテストでした。
勉強なんてしたこともないし、そのやり方も知らないし、考えたこともありません。
そんな私の成績は、1学年約450人(←規模の大きな学校でした)の中で250番前後でした。親にしてみりゃ、なんとも複雑な想いもする位置付けでしょう。
それでも何も感じていない(わかっていなさそうな)私に対し、この時の母は、
この子は勉強には向かない子供だ、普通科高校への進学は無理だと思った。
と、中学校生活もあまり楽しめていない私に自立することの大切さを説き、農業高校への進学や園芸の道を勧めることもありました。それが私の中学生の半ば頃までのことでした。
きっかけを与えてくれる人がいることの重要性
それでも私は日々を怠惰に過ごしており、その後の定期考査では試験前には教科書を読み返すくらいはするようになり、私の試験の順位は徐々に450人中で100位程度に落ち着くようになっていました。
ちょうどその頃、私には一つの変化がありました。
私はふと、あんなに大好きだったファミコンやスーパーファミコンのゲーム類を卒業する瞬間を迎えました。
これまでの私はとにかく好きな時に好きなだけゲームをやったので、なんというか『やり切った』ととでも言いますか、とても自然な卒業を迎えました。
『たぶん、これ以上やっても得るものはないな…』
ある日ゲーム機を前にふとそんなワードが私の頭に浮かんだことを、今なお鮮明に覚えています。急激に興味が逸れました。つまり、私は飽きたのです。(←どんだけやったんだ😅)
暇になった私はそれから、本を読むようになりました。
中学校にはあまり馴染めていなくて友達もいたけどあまり上手に付き合えなくて、学生生活にも楽しさは感じていなかったので、これは良い機会でした。周囲はもうシャットアウトしてしまおう。周りのことは気にしない。私は休み時間も授業中も、ずっと一人で本を読んだり自習をして過ごすようになりました。伴い、成績は上がり始めました。
そんな私が中学3年生の夏でした。急に母が言いました。
暇なんでしょ。駅前の予備校でやる高校受験の夏期講習に申し込んだから行きなさい。
えー、遠いのに😩
その予備校とやらは、私の育った家の最寄りの無人駅から1時間に1本あるかどうかという電車に乗って少し時間がかかる場所にありました。私は気は進みませんでしたが、『申し込んだから』という母の言葉を拒否する理由も無かったし、夏休みの間は渋々とでも田んぼばかりの自宅そばから電車に乗って夏期講習を受講するため街へ出かけるようになりました。そこにはいろいろな学校の制服を着た同級生と思われる中学生が、本当にたくさん来ておりました。
今振り返ると、このきっかけは転機でした。私の勉強への意識を、一番最初に変えたものだったかもしれません。なんとも上手く言い表すことはできませんが、私は今まで閉じていた目が最初に開いた感覚でした。
へぇなるほど、これが勉強というものか。
こう考えれば済んだのか。なんだこれで良いんじゃないか。
頭の中でバラバラだった知識と理解が、急速に繋がりどこまでも広がる感覚でした。
今まで誰も私に教えてくれなかったことを、こうして教えてくれる場所が世の中にはあったなんて。
15歳の夏でした。たった数週間の経験でしたが、私は頭の中がスッキリ整っていくような、不思議な感覚を掴みました。
自信を感じることの重要性
この時の夏期講習の前と後に受けた模試の、私の点数差はまるで別人のもののようでした。たった数週間で、『私にはもう理解できない課題はない』と、私はそんな自己効力感さえ身につけていたと思います。
この短期間に、信じられない大きな伸びです。
行きたい高校にどこへだって行けますよ!
そう褒めてもらった時、母が見ていた私の顔はとても嬉しそうだったと聞きました。
あの時のあんたは、本当に嬉しそうだったよね。
あれから何十年も経ってからも、私の母はそんなことを話します。
確かに、私はあの時すごくすごく嬉しかった。
勉強するとはどうすることかの“方法”を初めて知っただけでなく、その“楽しさ”や“充実感”、何より私は自分の振る舞いが初めて認め褒められたというその事実がすごく嬉しかったと思っています。
やればできる。それを喜んでくれる人がいる。
私は初めてそう、心の底から思えました。
それからの私は、学習に向けて迷うことはなくなりました。
だけど、今でも思います。
もしも私が子供の頃に都心で育っていたら、その気付きがもっともっと早い時期に私に訪れていたならば、そうしたら今の私は今とはどう違っただろう?と想像することもありますが、それも巡り合わせでありますし、全てはもう過ぎたこと。
あの時の私は、知らなかった。知る機会が無かったのだから、挑戦すらも出来なかった。それが私の子供時代だったと思います。
だから私は、ついつい焦ってしまうのかもしれません。
私は私の子供たちに、その“知らなかった”を防ぎたいと思っています。
知っててそれでも主体的に選択しないことは自由です。しかし『知らなかった』は、後から取り返しが効かないこともあると思うと怖いです。
私は、あの時の私の母がそうしたように、私の息子にきっかけだけは与えたいと思っています。
選ぶ選ばないは子供次第で、親の期待通りになんて行かないものだとも承知です。その提案も、発する側と子供が受け取るタイミングとが揃った時にしか通らないって、私も頭では十分理解しています。
息子は息子のペースでしか育たない。それは親が出る幕ではない。
だけどそれでも。
私はいつだって息子に対し、きっかけになり得る“何か”を提示し続けることをやめたくないと考えています。
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