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#21 専門家との繋がりを求めて

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発達障害に気づくまで

みなさんこんにちは✨

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改めまして、本年もよろしくお願いいたします。お正月は私たちは2年ぶりに夫の実家に帰省しました。たくさんの準備をして迎えてくださった義両親、義妹家族に感謝です。子供たちも従兄弟たちに会えて楽しく過ごしたようでした。今年はハリガリ(↓)大会に白熱しました!😊😊家族でゲームに熱中するのも最高ですね👍

本当にとても楽しい時間を過ごしました。私もいずれ、こうして子供たちが楽しみな気持ちで帰ってくる実家を維持できるよう、ずっと元気でいたいものだと願いました。

 

さて、今日は一昨年(2020年)の我が家の混乱、息子の異変についての経緯を引き続き記録しておこうと思います。一昨年の激動は、私にとっては思い出して書くのもちょっと辛いものがあり、時々少しずつ書いてはいるのですがなかなか進まないのが実情です💧

以下の話は、2020年6月半ばの出来事です。

最初の緊急事態宣言が明けて、小学校は分散登校が始まりました。我が家ではようやく中学受験からの撤退を受け入れてSAPIXを退塾し、息子の生活を立て直していくことに集中しようと決めました。

何より私がやらなくてはならないのは、息子の学校生活を支えること。

6月中旬には専門家との教育相談の開始を求めて、最初の面談にも伺いました。

また、私の実母の移り先探しも後回しにすることはできませんでした。何の当てもなく、手探りでしたが絶対に何とかしなくてはなりませんでした。親戚に相談しても何も出来ることはないと言われ、調べてみれば介助が得られる施設の入居費用は高額でした。多少の出費も必要かもしれないと覚悟せざるを得ませんでしたが、それらも全て、子供たちの将来のためにと貯めたお金であることが私の心を沈ませました。

だけどこの頃、私と息子は少しでも気晴らしになればと久しぶりに車を借りて眺望が楽しみな日光白根山に行きました。そこで息子は心から登山を楽しんで、とても前向きな、ニコッとした笑顔を見せました。

やっぱり学校が始まってリズムが出来つつあるのだろう。息子の状態は、徐々に上向きに安定していったように感じていました。

専門家に繋がった、教育相談の開始に向けて

息子について、知りたいのです

この日、私は1人で区の教育センターへ来ていました。

5月下旬に小学校のスクールカウンセラーさんから教えていただき、息子の発達相談、そして今後の学校生活について専門家と教育相談の場をいただくための、今日は最初の面談でした。

娘は保育園に登園しました。息子は在宅勤務の夫に任せてきました。

だけど出来るだけ早く帰らなくては。私は息子と離れている間中、ずっとずっと息子が心配でならないのです。気が休まる時がありませんでした。

受付を済ませると、今日は大まかな息子の生育歴についての書類を作成、それに基づいて詳しい聞き取りのための面談が行われることを聞きました。そして相談機関がその内容を共有をした後、最も適任の臨床心理士さんが選任されて今後の相談が開始するのだという説明を受けました。

 

この日は、男性の臨床心理士さんが担当でした。

私は3月の一斉休校からの息子の異変、異常なまでの取り乱しに混乱していることを話しました。

咄嗟に電話をかけた相談先で、息子の背景には“発達障害”が隠れている可能性を知ったこと。

自分なりに本を読み、その概念が息子にも、そして私自身にも強く当てはまりそうだと感じたこと。

息子の1歳半健診で、彼には自閉傾向があるかもしれないと指摘を受けたこと。

彼は言葉が遅かったこと。手を繋いで歩くことをとても嫌がったこと。

療育機関に行くようにと言われたのに、私は私の無知のせいでそれを怠ってしまったこと。

今、我が家だけがこんなに混乱している理由がそこにあるのではないかと思うこと。

 

話は私の両親、祖父母にまでも及びました。

夫のことや、夫の両親についても聞かれました。

私は自分の父親が“ちょっと変わった”人だったと話しました。具体的なエピソード、今思えば父もまた“発達障害”を抱えていたかもしれないこと、母はそれでずいぶん苦労をしただろうこと、専門的なことはわからないが、とにかく息子は幼少時から私によく似ているのだと話しました。

そのせいで、私は息子に必要なかったはずの苦労をかけているのかもしれないこと。

私は母親なのに、これまで一体息子の何を見てきたのかと悔いている。私はこれまでずっと息子を理解せず、彼1人だけに苦労を押し付けた上に否定してきたこともあるだろうし、今も彼がこんなにも混乱しているのに私は息子に何もしてやることができなかった。私は息子に申し訳なくて申し訳なくて、一体どうしたら良いのかわからない。

だからここで少しでも息子のことを知りたいのだと、私は自分の気持ちを精一杯に話しました。

誰に一番、面立ちが似ていますか?

この日の臨床心理士さんは静かに話を聞いてくださり、上手に私の話を誘導してくださいました。さすが専門家であると感じました。とてもスムーズで的確でした。

その方が、『最後にお伺いしますが、』と前置きされてこう言いました。

臨床心理士さん
臨床心理士さん

息子さんは、ご親族の中では誰に一番、面立ちが似ていますか?

私は少し、驚きました。面立ちと発達に、何の関係があるんだろう。

私

はい。息子は私にも似ていますが、私の弟に最もよく似ていると思います。とにかく彼は、私の家系の面立ちです。

そう答えながら、『そうか、遺伝的なものがあるのだろうな…』と思えてきて、ますます自分の血に後ろめたさを感じました。

 

臨床心理士さん
臨床心理士さん

わかりました。ありがとうございます。

次回、息子さんと一緒に来ることはできますか?心理検査を行います。すぐに日程を調整しましょう。

そうして息子は、近日中に心理検査を受けるために来所することになりました。

その日は息子は登校しない予定の日。

なるべく気分の上下がない内にと、午前中の早い時間を予約しました。

 

そしてその日の帰り際、私は臨床心理士さんに再び声をかけられました。

臨床心理士さん
臨床心理士さん

次回の来所時、もしも息子さんが拒否反応を示したら無理をしなくて結構です。その時はお電話くだされば大丈夫ですから。

私

はぁ…。

私としては、何としても、担いででも息子を連れてくるつもりでおりますが…。

だけどこの時の私はまだ、知りませんでした。

プロの臨床心理士さんが別れ際に、わざわざそんなことを仰る意味を。

『今度、検査に行くよ』

後日私が息子にそう伝えると、息子は暴れて大声を出して頑なになりました。結局息子を連れて行くことはなかなかの困難を極めたのです。

そういう子では、そんなケースが多いのだろう。さすが専門家はいろいろなことを知っているなと妙に感心したりもしたものでした。(そんな話はまた次回以降に書こうと思います。)

困難を極めた施設探し

コロナ禍での転居先の施設探し

息子の生活を支えながら、この頃の私は実母の転居先探しにも奔走しました。

次の移り先は、どうされますか?

当時入居していたグループホームの職員の方からそう話をされて、私はとても困りました。

どうされますか?って言われても…一体私には何ができると言うのだろうか。

だけど、なんとかするしかないわけです。

私は地域の保健師さんに相談をして、取り得る全ての選択肢を挙げてもらうように頼んでいました。だけどどれもあまり具体的ではなさそうでした。(保健師さんを悪く言っているわけではありません。保健師さんにも、どうしようもないのだろうと思われました。)

それではと、私は区役所に電話をしました。

しかし母は障害があるけれど65歳未満だったので、高齢者向けのサポートは得られないことが分かりました。そこで福祉課の方には、いくつかのNPO団体を紹介していただきました。

だけど『こちらのNPO団体にに電話をしてみてくださいね』と紹介された先に電話をしても、『うちではちょっと…区役所に相談してみてください』と元に戻され、ぐるぐる回りになりました。

しかも電話をかける先々において、毎回のように電話口の人にこんな言葉を言われました。

『娘さんが一緒に暮らすことはできないのですか?』

それがいつもいつも、私の心を沈ませました。

無理に決まってんだろう。だから相談してるんだよ。

娘なのに実の母親と共倒れをしないなんて、薄情な人なんですね。

何も知らない人にそう言われているようで、私はとても胸が苦しく、この頃は目もチカチカと眩むような苦しさを感じていました。

 

だけど私は誰に何を言われても、息子と自分の家族が大切です。それを脅かすと明らかに判っているものを抱えるわけにはいきません。毎度毎度、私は息苦しさを我慢しながら、それでも思いつく限りの相談先に電話をかけることを止めるわけにはいきませんでした。

相談先が公的機関や区役所等であるために、問い合わせは全て平日の日中の時間帯。

相談先と、電話口で応対してくれた担当者の名前、そこで言われたことのポイントなどを全部時系列にノートにまとめて、どこかに突破口はないのかと私は真剣に探していました。とても深刻に悩んでいました。

平日。

息子が登校した半日の間に私は母の転居先を探します。どこででも同じような話をして、受け入れは可能か、心当たりがあれば紹介してもらえないかと問い合わせ続けてあっという間に時間が過ぎていきました。

私には職業としての仕事もあるのに、仕事は全くできません。仕事に行けても、とても仕事が手につく状態ではありません。母の転居は待ったなしの状態なのです。時間切れを迎えるわけにはいきません。この頃の私は、そのことばかりを考えていました。

都内の他のグループホームにも、片っ端から『空きがないか、入居は可能か』と問い合わせを行いました。

だけど空きがあるグループホームを探し出すことは難しく、さらには大半の施設において、

コロナ禍なので、新規の方の見学等は今はお断りしています

と言われるばかりの状況でした。

職場の上司はちっとも仕事にならない私に呆れ顔で『もうさ、親のことはお金で解決するしかないんじゃないの?』と言いましたが、私はそういう段階ですらありませんでした。解決できたとしても、そのお金だって子供たちのためにと貯めたもの。年老いて回復しない母のために、子供たちの可能性が狭まる悔しさを私は押さえきれませんでした。

すみません、本当に申し訳ございません、今日も仕事ができません。

私はいつもそう言いながら何も出来ない自分自身を悲観し、同時に強く責めていました。

たまに母の顔を見れば、母は『○○のCDが欲しいがだけど』などと、自分の欲求を素直に私に伝えてきました。

脱力でした。

自分の買い物くらい、自分でやってよ…

まぁでも、全てがもう、無理なんだろうな。母にはもう何も分からない。

転居先が見つかるまでの辛抱だ。

これに失敗すれば、我が家は本当に崩壊する。

その恐怖心に駆られながら、私はただただ奔走を続けておりました。

受け入れ先が本当に見つからない

この頃。私は時間を見つけては埼玉県や栃木県、関東近郊も含めたさまざまな施設を検索しては片っ端から電話をかけておりました。いくつかは見学にも行けました。

そうして見えてきたことは、私の母は、

  • グループホームに入所するには高齢であること
  • 日常生活に介助がいること
  • しかし老人用の施設に入るには若年であり、かつ要介護認定が無いこと

のため、どこでも受け入れが難色を示されるということでした。

せめて体が元気であれば、どこか受け入れてくださる先もあったのに。今思えば、個人で探すのではなく、区役所や病院から問い合わせてもらえれば対応はまた違ったのかもしれません。だけどそんな提案は、どこからもいただくことはありませんでした。

 

あ!と私は、千葉県に住んでいる親戚が介護福祉士として働いていることを思い出しました。

しばらく会っていないけれど、かつては私も母もとてもお世話になった方です。せめても何か、ちょっとしたことでもヒントになる情報を教えてもらえるかもしれません。

私はその方に電話をしました。

母が今は東京で暮らしていること、先日倒れて大変だったこと、今の施設は“通過型”であるのでもうすぐ転居しなくてはならないこと、だけど転居先探しが難航していてどうしたら良いかわからない、何か情報があれば教えてもらえないかと話しました。

だけどその方は、

『区役所には相談したの?こちらでは力になれないわ!がんばってね!』

と言って電話を切ってしまいました。なんだかとても忙しそうでした。

そうだよね。

当然だよね。

仕方ない。

最悪の場合には、と数年前までずっと母が入院していた富山県内の精神科病棟に戻ってもらうことも考えました。もう、これまでとは状況が違うのです。母の体も弱っているし、私も息子から目も手も離すことができません。

富山の病院で母が入院中にお世話になった、かつて母が東京に移る際にも転院先や様々な福祉サービスの移管においてご尽力をいただいたケアマネージャーさんにも電話をかけて相談しました。しかし返事は歯切れが悪く、

『本当にどうしようもなければ…でも、どこまで役に立てるかわからない』と言われました。

このコロナ禍です。

東京で暮らしている人間を、地方のましてや病院の閉鎖病棟内へ移したいという希望は、あまりにも無茶なようにも思われました。母の転居先探しはこうして私を消耗させました。

久しぶりの登山へ

息子の笑顔が見られたことが嬉しくて

そんな日々の中で、私と息子は緊急事態宣言が明けて本当に久しぶりに、ちょっと遠出をして山登りに出かけました。

少しでも気晴らしになればと思ったのです。

何より息子の運動不足も心配でした。

早朝から車を運転し、私たちは日本百名山の“日光白根山”を訪れました。

ロープウェイを利用できるとはいえ、日光白根山は関東以北最高峰(←関東より北の国内にこれより高い山はない)の名峰です。最初は息が切れて切れて、体力が落ちていることを感じました。だけど登山道を一緒に歩く人たちがみな、

登山客
登山客

みんな久しぶりなんだ!山に来れて幸せだ!がんばろう!

と励まし合う様子が心強くて、山を歩く人たちの一体感を感じました。

山頂直下で眺望を満喫する息子(写真中央右、赤い服が息子です)

私も息子も、なんとか山頂まで来ることが出来ました。一緒に歩いてきたのは、80代というけどとても若々しい女性でした。お若い頃から習慣のようにこの山に登っているけど、今回ばかりは数ヶ月ぶりだと仰っていました。

眼下の眺望が、本当に素晴らしかった。

広い青空。

遮るものがない視界。

心が洗われるようでした。

全身の筋肉をバランスよく使って歩く登山道。

下りは岩場で、気を抜くと危ない!という緊張感を感じました。集中する息子。彼の表情が休校中のような散漫でなく、引き締まっているように見えました。

下山してきて足湯に入ると、とても気持ちの良い疲労感を感じました。

帰り際、息子と写真を撮りました。

登ってきた日光白根山を背景に。久しぶりの達成感を感じていました。

この頃の息子は丸く浮腫んでおり、この数ヶ月の休校生活の間の食事不足や寝不足、運動不足、生活時間の乱れや不安定な精神状態、多くの気苦労を思わせました。

だけどこの日の笑顔は、彼の心からの笑顔だったと思っています。

大丈夫だ。ここから本当に我が家の生活を立て直していけるに違いない。

私はそんな気持ちになれたように感じていました。

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