みなさんこんにちは✨
これは本当にご家庭の考え方に完全に依存するものだとは思いますが、随分前に我が家で交わされたひょんな会話から、私も少し考えさせられたことがありました。
我が家の娘(5歳)には場面緘黙症という、不安障害の一つに分類される障害があります。そしてその障害を乗り越える訓練かねて、そう、それはまさに娘にとっては“療育の一環”として彼女は昨秋から一般の幼児教室に通っています。
もちろん幼児教室へ、最初から娘が自ら『行きたい』と言ったわけはありません。
だけど私はこの挑戦が娘にとって、本音では少し歩幅は大きいかもしれないなとは思いつつ、それでもきっと最適なステップになるのだろうと思っていました。
だからよくよく話して見学へ行き、見学後にも2ヶ月ほどの時間をかけて入室に気持ちが向くよう“誘導”したことが実際です。そうして彼女も最終的には『行ってみる』と言いました。
うん、行ってみる。怖いけど、大丈夫だと思う。それにうまくいかなくても娘ちゃんはT先生のところに行けば大丈夫になるんだよね…。(←最初は本当に不安そうでした)
T先生というのは、彼女がプレイセラピーの療法を受けている専門家の女性です。娘はT先生がいつも自分の味方であると心の深いところで感じられるしっかりとした信頼関係を築くことができていました。娘はT先生の存在を地盤とし、一歩さらに踏み出すことができました。
私はこれに確かな前進を感じながら、娘の勇気と周囲の支援者の皆様の心強に心からの敬意を感じていました。
はい、そこで当時の息子が一言、言いました。
もう勉強しなくちゃいけないの?かわいそう!
この当時、息子は不登校→癇癪の日々→中学受験の撤退(退塾)→思春期早発症の診断を受けたりなどで混乱の最中にあり、家事をしながらもその他のことは何もしない、前向きに言えば“エネルギーの充足期間”を過ごしていた時期でした。
親は何もしない息子になんともヤキモキしてばかり。あれやってみる?これ行ってみる?とも誘いますが、当時の息子が本当によく口にしていたことは、
大変なことはやりたくない。
というものでした。いやいやだけど何かをしなきゃ!子供の期間は有限なのよ、立派な大人になれとは言わんがせめても自分の生活を立てる自立だけはしてほしい!
例えば、今住んでいるこのおうちを確保するためにもかなりのお金はかかっているの。そういう生活を支えるためのお金は、必ず自力で得られるだけの力はつけて欲しいのよ。
現実的な親にしてみりゃ当然の意見も、この時の息子には全く伝わらないほどでした。
え?家がなかったら、何が困るの?
当時はそんな状態だった彼にとって、5歳とまだ幼い妹が塾へ通うことは受け入れ難いことだったのだと思われました。(←それでも息子自身は4歳から公文式と水泳に通っていました)
もう勉強させるの?かわいそう!
可哀想、か。
それだけ息子は登校も中学受験の通塾も、大変だったってことだろうな。
私はそうも思いました。
だけど果たして、今の娘の挑戦が本当に可哀想かと言われると、それもまた違うことだと思います。だけど私はなんとも上手に言葉にすることができませんでした。
チャンスはあるのに何もしないことと、本当は、どっちが可哀想だろう?
この時の私は息子にこう返すのが精一杯のことでした。
保育園に通っている子が塾へ行くのはかわいそう。そうなのか?だけどその子も就学すれば、その日から突然『勉強してえらいね』という評価軸に突入します。そのギャップが大きいほどに、適応には時間がかかってしまうのではないか?
私はぐるぐる考えました。いやいや、それは今は本質ではありません。
“息子がそう感じたということ”が大事だろうと思いました。
もちろんこれは当時の話であり、最近では息子の意見もだいぶ違ってきているようにも思われますが、今日は(時間もないので😅)当時はこんなことがあったよという記録だけしておこうと思います。
コメント
うふふ、コンテクストが詳しくわからないならアレだけど、お兄ちゃんたら、カワイイやきもち妬いちゃって〜って感じました。
うちは同性兄弟だからのせいか、兄は弟の達成やら環境の違いにものすごい敏感で、おもしろくなさそうにすることもかるので、そんな面もあるかなーと思いました。
そうか〜、そういう見方もあるか🤣兄弟というのもライバルでもあるのですね。
そういう視点で見ると、本件続きがあるのですがまた違って見えてくるかもしれません?🤔そんな話もいずれまた記録したいと思います🤣