みなさんこんにちは✨
今週は、東京都内でも中学受験がひと段落を迎えます。当サイトを読んでくださる方々からも、東京の御三家と呼ばれる学校への入学や(←マジですごい)、関西の学校で首席合格を果たすなど(←ホンマすごい)、素晴らしい結果も聞こえてきます。手を焼かされるばかりとはいえ、ムスコーズたちはやるときゃやるし、やはり賢い子なのでしょう。私は感銘を受けるばかりです。もちろん第一志望の学校に合格したお子さんばかりではないでしょう。結果よりも、子も親もきっと成長したことを喜びたいと思います。皆様本当にお疲れ様でございました。よく頑張ったよ、偉かった🙌
さて、そんな同級生の頑張りの一方、我が家の息子は極めて安泰の不登校生活を過ごしています🤣
御三家!T君、すげーー!おれも嬉しい!
あなたもがんばれ。そのうちどこかできっとエンジンをかけてくれよ。人の努力を共に喜べるあなたを私は心から誇りに思う。
このような我が家の状態を、不登校の“安定期”と呼ぶようですね(↓)。
以前の記事では『あんまりだ』とも書きましたが、不登校の安定期というのはある視点では不登校のステージの中でも最悪の段階であるとも言われるようです(↓)。
子どもが学校に行かないことに安定している段階であるため、不登校の6段階において最もよくない段階であると言えます。
不登校の6段階より
それでも。
我が家はこの穏やかな日々と子供達の安定や、何より私の心にも余裕があるため“安定期”と呼ばれるこの時期をとても気に入っていることも実際です。
もちろんね、そんなふうに思えるのも我が家は状況に恵まれているからなのかもしれません。我が家の息子は12歳。体も心もある程度は成熟しており、半日くらいなら安全に留守番をすることもでき、自分のことは自分で出来る年齢です。しかしそれがもっと小さいお子さんの不登校の場合には、絶対により綿密な環境調整が必要になるし、こんなのんびりしていられないに違いないので、ご家庭ごとの大変さだったり感じ方は全然違うと思います。
そんなことを踏まえてでも、私は今の平穏な生活をとても気に入っているのです。
だから私は、息子が発達クリニックへの通院の際、主治医に対してついこんなことを言いました。
とても落ち着いて過ごせています。家事も上手にこなしてくれるし、少しずつですが学習にも着手するようになっています。
もう、中学校へ行かなくても、なんなら高校も行かなくても良いんじゃないかな。
ただこの子は、大学には行った方が良い人種だろうとは思うから、それも彼は独学ででも大学受験を突破したらいいと思う。その頃には息子はより成熟しているだろうし、きっと彼の人生は広がっていくと思っています。
私は、“学校に行かない”ことと“勉強ができない”ことは同じ意味ではないことを知っています。
息子は独学で学ぶ方がペースを掴めているようにも見えますし(↓)、無理して学校で周囲に合わせることはストレスにさえなるのかもしれないと思っています。
それに大体、小中学校の不登校なんて、大人になって履歴書に書くわけもありません。就職や進学に不利でもない。むしろ独力で大学受験を突破なんて上位互換みたいでカッコいいじゃん。そうなのです。不登校だって、日々を健全にさえ過ごしていれば全然大したことじゃないのです。
しかしながら、そんな極端な(?)ことを話す私に間髪入れず、ピシャリと主治医が仰いました。
お母さん、息子君を集団に戻すことを諦めないでください。
主治医はさらに続けました。
確かに息子君は家で一人でも勉強できるかもしれません。しかし非認知能力と言われる力を伸ばすことを考えるならば、必要な時期に必要な刺激を入れることは不可欠です。
その点で言えば、学校というシステムは非常に良く作られた“箱”なのです。もちろん学校でなくとも構いませんが、今のお母さんが彼をなにかしらの集団に戻すことを諦めるのは好ましいとは言えません。
そうなのかー。
私はこの時すっかり『このままでいいや』という気持ちでいたために、それを主治医に見破られ、このご指摘にはかなりショックを受けました。
私の考えは、そんなにも間違っているのだろうか。
そんなに学校って大切か?私も小中学校は楽しくなかった。
ましてや息子は“学習”に関してのみ言えば、学校に行くよりも自分のペースでやったほうが良さそうなのです。
それでも彼を、集団に戻すことを考え続けなければならない理由がわからない。
私はしばらくこのモヤモヤを引きずったままで過ごしました。(←あの頃、私のモヤモヤに付き合って話を聞いてくださった方、ありがとうございました🙇)
この記事を書いているのはそれから1ヶ月以上が経つ頃ですが、
なんというか、
今思えば、ちょっと私は楽観的すぎたかなーと思う気持ちも湧いています。
我が家は息子の不登校を受け入れて、平穏な日常生活を取り戻しました。親の心にも余裕があって、幼い妹のこともしっかり考えてやれています。
そうして前向きな風が家の中に吹く限り、きっと息子もいつか自然と前向きになっていくのだろうと思っていました。
放っておいても息子は息子できっとなんとかなるだろう。多分、大丈夫だと思うんだよね。
それもまた間違っていないかもしれません。なんとかなるかもしれません。
だけどそれって、なんの根拠もないよなぁ🤔とも思えてきました。
つまり私は根拠もないのに問題には蓋をして、それに向き合うことから顔を背けているのではないだろうか。今の私は、ようやくそう思い始めてきています。
私は今も、不登校の安定期自体は素晴らしい時期だと思っています。
不登校は病気でもないし、その安定期に入って仕舞えば苦しさも混乱もまったくない、非常に快適で平穏です。
だけどその快適な現状に胡坐をかいてどっかり座ってしまったならば、それはただ、思考停止で問題を先送りにしているだけにしか過ぎません。
そう書いてみたら、それは良くない。それは甘えているだけだとますます思えてくるようです。
主治医の先生も、『絶対に学校に戻せ』とは言いません。それがゴールでないことはさすがに素人の私でも分かります。
だけど今得られている“安全と安心の基盤”の上に立ったまま、息子がどこか参加する場所や参画するプロジェクトへのアンテナをいつも高く張り続けろ、そういう気持ちを忘れるなと、きっと主治医はそう言ったのだろうと理解できたように思います。そんな心境に至っています。
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