みなさんこんにちは✨
先日の日曜日は、“母の日”でした。
国内外でお子様に向き合う同志の皆様、私たちは本当によくやっていると思うよね💐当サイトを読んでくださる場面緘黙症のお子様のお母様から最近頂いたLINEに書かれていたことが、本当にそうだと思いました。
世の母達は、疲れをアピールできるほど暇でもなければ労わりも期待することなく、せっせと家庭内の采配をふる生き物ですが、睡眠はしっかり確保して、明日も明後日もがんばりましょう💪
我が家では例年特に母の日は注目されず、そのため私は今年も特段に気にすることもなかったのですが、それでも一日が過ぎてみれば、
息子が家族の夕食にとブツクサ言いながらもカレーを作ってくれたことや(←最近は料理の腕前も上昇中)
出先ではふとお花を一輪もらったり、
娘からはお手紙と抱っこ権(←娘を抱っこする権利)が授与されるなど、
私にとっては思いがけずも祝ってもらった素敵な1日になりました。
別にね、母の日だからと特別に感謝を表して欲しいなんて思ったこともありません。子供たちが元気に過ごせているなら私は十分果報者✨
至らぬところも多々ありますが縁あって2人の子供の母親になれたこと、人生の中で何より大切なあなたたちに会えたこと、さらにはこの子達のおかげ様で新しい情報や学びを獲得する機会の多い面白き人生を歩ませてもらっていることも、本当ならば私こそが子供達に感謝をしなくてはいけないことです。
皆様も、母の日万歳、おめでとう🙌子供たちに祝ってもらった母も特に何もなかった母もみんな、私たちは本当によくやっていると胸を張っていきましょう。お互いに労いあって、今日も明日も通常運転。引き続き前向きに、ぼちぼちと頑張っていけたら良いんじゃないかと思います。
さて、その翌日の月曜日のことでした。
なんとなく、息子の思春期や反抗期(?)という時期もまたそう悪いものでもないのかなと肯定的に感じたことがありました。
月曜日には、普段は無欲な息子が急に、
欲しいものがある。お店に直接見にいきたい。
と言い出したので、雨の中、私たちはバスに乗って近くの大きな駅のショッピングモールまで繰り出しました。
長らくの不登校、刺激も少ない生活を継続している息子です。普段なら私がそのダンゴムシぶりが目に余っては『少しは外出でもしなさい』なんて言えば言うほど反発しまくる息子だから、最近は私もあまり言わないように(なるべく見ないようにも)していたのだけど、
この日は自分から『出掛けたい』と言って出掛けた息子は時間通りに支度もするし、ずっとニコニコ、バスでは二人掛けの席に私とぴったり並んで座り、会話も弾み優しい笑顔は大人っぽくて、なんだかそんな落ち着きように私がびっくりしちゃうほど息子がどこか好青年に見えました。
ここ数年の息子は、思春期や伴う体の変化も大きくあって、精神的にも不安定な日々が続きました。これまでなら、何かで出掛けたついでに私がふと、
お昼ご飯でも食べて帰ろうか〜?
とでも言おうものなら、それはそれは、
なんでーーー!!💢
ってものすごい剣幕での反発さえも受ける日々が続いていたのに(←なんでもなにもあるかいな!😩)、
この日の彼は自分の目的を果たすため、お店の方の説明を素直に聞いて、欲しいものを自分で選び楽しそうに過ごした上に、私の恒例の提案にも
お昼ご飯でも食べて帰ろうか〜?
良いね〜!行こう行こう!
と言いました。
最近ちょっと感じているのは、息子の思春期と反抗期もそろそろ落ち着きを見せているかなということです。
特に息子は11歳の時に思春期早発症という診断を受けるほど、思春期の訪れ(息子の場合は8歳〜だったらしいです)が早い子でした。高IQ、こだわりの強さや感覚過敏などの特性に加え、体の成長も心の混乱も息子は同級生よりかなり早く訪れました。
訪れが早かった分、抜け出すのも少し早いという可能性はあるのかしら?
詳しいことは分かりませんが、13歳の半ばを過ぎた今、息子は徐々に落ち着いてきたように感じています。息子は妹のことをよく気遣ってくれて、家のことにも彼なりに責任を持って参加しており、私も彼への信頼を日に日に強め頼もしさを感じていることが実際です。
ここ最近で、息子はぐっと大人になった気がしています。
今回一緒に出かけた機会には改めて『本当に大人っぽく笑うようになったなぁ』と私は密かに嬉しい気持ちを感じていました。
同時に、こんな嬉しさを感じられるのも息子には思春期や反抗期と言われる時期が確かにあったからだとも思いました。
昨今では反抗期のないお子さんもかなり多いのだと見聞きします。大学生くらいの年齢のお子さん側への聞き取りでは、“自分には反抗期があった”と自覚する人は100人中数人ほどに過ぎないともこちらの書籍では書かれていました。
子供に反抗期がなかったとしたら、そりゃあ親は助かります。子供は親に言いたいことがあったとしても口を閉じ、家庭の平和を維持する協力者であったということなのだから。
だけど反抗期というものを経験し乗り越えてこそ、子供の成長を一歩離れて密かに喜べるっていう面もきっとあるんじゃないかなって私はバスで息子と並んで座りながら思いました。
ここ数年、息子について悩むことも、しばらく口もききたくなければ顔も見たくないというほどに腹立たしいと感じることもありました。だけどそれってたぶんお互い様で(笑)、私たちは別の個人なのだから当たり前で、今後もまだまだ類似のことは多々あるのだと思います。
だけどいつか、息子は親の家を出ていく子です。私は息子の幸せをいつも一番に願っています。その彼が成長過程であれほど(親にしてみりゃ理不尽なまでの)爆発を全力でして、悩み引きこもり他責も当たり散らしてもきたけれど、
もしもそれが彼の成長と幸せの糸を手繰り寄せるための必須のステップであるというならば、
親としてはその被弾対象にも飛躍のための踏み台にもなれることは、むしろなかなか喜ばしいことなんじゃないかなぁと、
私はふと、そんなふうに思ったのです。
まぁそれも、渦中のヤマを超えたと感じられるからこそ言えることだと承知していますけどね、笑。渦中はやっぱり大変さ。
過ぎてみれば全てが美談になり得ます。それが子育てというものなのかもしれません。
息子の母としての役割を果たすべく、もう一息、私もなんとか頑張ろうと思います。
ーーー書籍紹介ーーー
少し前に読んだ書籍です。“高学歴親”というカテゴリには我が家も十分入っています。高学歴の親だからこそ持ち得る偏見、差別感情、視野の狭さが指摘された書籍でした。完全に腑に落ちるわけではなかったけれど、過度な受験偏重の副作用は多くの方が想像できる通りです。
本当に、親というのは難しい。頑張って頑張ってサバイブして能力を伸ばして高いレベルの教育を受けて自由を掴み、高学歴で社会に責任を果たしながら経済的にも余裕があるからこそできるその助言こそが、子供にとっては余計なお世話だというのだから🥲
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