みなさんこんにちは✨
今日も当サイトへお越しくださり、ありがとうございます。
さて、つい先日ですが、私はこのように書きました。
最近の私が注力していることの一つには、“動かない息子”を動かそうと、いや、動かない子を親が“動かす”ことはもはや不可能であるとは分かっているけど、何かきっかけを与えることはできないかと方々にコンタクトを取ったり作戦を練ったり見学に行ったり、そういうことに大いに時間を使っています。
特性のある子の目が開く時より抜粋
うん、時間は割と使ってる😎だけどどうやら、我が家の息子はそういう問題ではないらしい。1人で空回る私に応援のお言葉を寄せていただいた皆様、ありがたいです、元気が出ます、本当に😭🙏
しかし息子は、未だ全く動く気配は見えません。息子も辛かろうけれど、同時に私も相応に辛い時間を耐えていることが現状だろうと思います。
心折れそうになることもあります。あまりに私の気持ちが弱ったことを自覚してしまい、先日私は当サイトを介して知り合った、かつてお嬢様をお育ての中で類似の経験をされた先輩ママを頼りにし、たくさんの励ましをいただきました。励ましてくださる方に出会えているのは私の何よりの幸運です。元気をもらっておりますので、皆様にもその方のお言葉をシェアさせていただこうと思います。
向き合うのもなかなか大変、わかります💦
どこかで本当はもうやだーと思ってる。でも「お母さんはそんなこと思ったらいけない」と無意識に思っているから”大変”になるのです。
ハッとしました。
私もどこかで「もうやだー!」と思ってる。だけどそんなこと思っちゃいけない、私がしっかりしなくてはと気負っていたことを自覚しました。しかし親といえども人間です。未熟です。そう思うのも仕方がないと、まずは自分でそのことを受け入れることからだと思えると少し気持ちが抜けました。
そうして私は、この11月からchocoZAP/チョコザップというコンビニジム?に登録し、“逃げ場”を得たのは褒められました😎
不要なことを言いそうになったらグッと堪えて、私はそこへ逃げようかなって。
チョコザップとても良いと思います😊👌
逃げていいと思います。
心の中で
私はこんなに頑張ってるのに!
くらい思いながら楽しく汗かいてきたら良いと思います。
弱ってるとなんでもネガティブに捉えてしまいがち。
自分が楽しい気持ちでいたらまあこんなものよね😊
と余裕が出来ますね。
それに私は都内の移動も割と多くて、いつもPCを背負っているし、Wi-Fiも電源も利用可能なワーキングスペースのある店舗もあるということなので便利に使えるのではないかという期待もあります。そんなこんなで誤魔化しながら、なんとかかんとかやってくしかないのだろうと思います。
さて、不登校への対応って色々あるとは思うのですが、大きく分けて2つか3つか、くらいでしょうか。
一つは『見守り』。しょっちゅうどこでも言われるよく聞く言葉の一つだけど、その実態は実はスカスカで、捉えにくいったらありゃしない。ついついこんな疑問も湧きます。
なんか、不登校になると急に「生きているだけでいい」とかになって人としての偏りとかに目を向けないでオッケーになっちゃう。私はそうかなー?って思っていて。
もちろんね、子供が傷つき本当に動けなくなっている段階ではその通り、そっと見守る必要があるのだろうと思います。
しかし私の息子や、そう疑問を口にするママのお子さんのように、社会と離れて年単位で長い月日が経っていて、家では元気に華麗な指捌きでゲームを楽しんでいたり、学校以外では元気溌剌な子供をいつまでもそっと見守っててもあかんのではないかという意見です。
見守りって、なんだろう。見守っていると当人は、楽な方へ楽な方へと流れていくのではないかと思えてきます。もちろん子供のうちはそれで生きていけてしまう。だけど課題は先送り、刺激さえも入らなくなるのは問題です。
溺れている人を見守っていたら、溺れちゃうのでは?って思っちゃうのよね。浮き輪なり、命綱なり投げた方がいいんじゃない?と思っています。
もう一つは、『放置』でしょうか。
お子様の状態を放置されるような保護者は絶対に当サイトを訪れないと確信するので敢えて厳しく書きますが、放置って無関心だし無責任だと思います。私もこれまでそのような方に出会ったこともありますが、つまりは自分に課題対処能力がないから見ないふりをしているだけで、大人としての役割を果たしていないと思いました。
ちなみに私は『様子を見る』もまた『放置』の一つで思考停止状態であると捉えています。理解の浅い支援者などはいつも最後に「様子を見てください」と言いますが、具体的にそれはどうすることなのかの指示を得られたことは一度もない。様子を見てみたとしても、本当に、何も変わっていかんのです。
もちろん子供の人生は子供だけのものであって、それに対して親ができることはたかが知れてる、親はいつでも無力であるとわかっているけど、それでもなんとか働きかけたいと願ってしまうのが親でもあります。
もう一つを挙げるならば、『気づかせる』ことかなと思います。
自立への課題に気づかせ、目的を持たせるように導くこと。このままじゃいけないと、子供に自分を変える勇気をもたらすものです。
しかしこれは、受け手である当人の精神的な成長のタイミングが揃うことが必須であり、そうでない時期には誰が何をしても気づきどころか混乱に終わってしまう、とても難しいことでもあります。
だってそりゃそうだと思う😩家の中でこもっている分には自分に不自由は全くないし、そんな楽な世界はありませんよ、快適です。
さらに読書やゲームをしていれば時間はいくらでも潰れるし、いつかきっと動き出すと一方的な親の期待を寄せられつつも、「無理しなくて良いんだよ、苦手なことは頑張らなくて良いの」だと一度でも言われた子供にとっては受け入れ難い話なのは当然です(←私の息子がこんな感じに陥っているという反省を込めながら書いております…😭)。
『気づかせよう』とすることは、特性があるならあるでそれを踏まえて早め早めに先のキャリアを考えさせていこうという、とても難しい支援です。誰にでもできることではないのですが、私も息子にいつか気づかせてやれるようにと働きかける気持ちだけでも常に持っていたいと思っています。
理想的には、親と支援者でチームを組んで、『見守り』→『気づき』へと進んでいければ良いんだろうと思うけれどね。
だけど、すんなりと言葉が届き大人の思うようにことが進んで、子供がいつでも親の思う通りに反応するなら、誰も苦労はせんのです😩
話は少し戻りまして、“『見守り』と『放置』(様子を見るという名目を含む)は何が違うのか問題”が私の頭をよぎりました。
多分だけど、受け身で全てが後手後手になってしまう=放置→全てが本人のペースで進んでいってしまい後々が大変になってしまうことかなと思います。我が家にも似た時期があったと思う反省を込めて。
一方で、目を配らせて先手を打って向き合うこと=見守りでしょうか。
しかし見守ろうと思うほどに難儀なことも多々あります。具体的に我が家の事例を挙げるならば、向き合えば向き合うほどに息子の態度が不遜にしか見えなくて、親の心は乱され消耗してしまうこともあります😭
特性があろうが障害があろうが、それは人と人との間において『絶対に許されない態度である』と毅然と働きかけられれば良いのですが、親子の間のことでもあるし、結局は思う存分に暴れられる方(子供)が喚き勝ちをしてしまうので、毅然としていようと心がけている方の心が折れてしまうことも、どの家庭でもみなさんも一度や二度は経験がおありのことなのではないでしょうか😭
ああ言えばこう言うし、あぁ、つらい。なんなの高IQって、要らんギフトを持たすなよ!とさえ思うのが当事者の親の率直な気持ちではなかろうか。
愚痴を聞いてくれた友人が、ふと言っていました。
それだけ口が達者なのは頭の回転が良いことの証左でもあるとはわかっているが、厄介なものよね。
そう、その親にしてみりゃ“要らんギフト”も使い方次第や環境次第で役に立つ日が来るかも知れないということです。それは唯一の希望です。だけど本人の特性のみならず、今の学校や社会に受け入れ体制の余裕がなくて、了見が狭いことも要因ではあるとは思う、もっと広くなったら良いのにといつも私も思います。
そうしていつか自分なりの目を開き、目的を見つけて全力で走っていける日がくるかどうかは本人次第だし、出会いという運次第。親を含めた支援者ができることは、見守り、環境を用意して、適切なタイミングで求められた手を貸すだけの、果たしてそれは微力というのか、ものすごい労力の割りに成果が得られにくいから微力という表現になるだけなのかわからないけど(笑)、
それまでは『もうやだー!』とへこんだり浮上したりしながらも、
扱いづらいギフトを抱えさせられて生まれてきた愛息子がせめても幸せに生きていけるように、私は私でできるだけのことをしていくしかないのだろうと、
回り回って結局いつもそういう結論にしか達しないことが、今の私の現状です✨
同じような心境の人と話せると、気がまぎれるし嬉しいです。支えてくださる皆様、本当にありがとう🙏
私も、どこかの誰かにそんな気の紛らわせを提供できたらと思います。
ーーー書籍紹介ーーー
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私、この不登校対応を専門になさる早野さんという方が好きで、何度かお会いしてお話を伺ったり、メールマガジンの購読もしています。その方の最新の書籍で、さっそく目を通しました。
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