みなさんこんにちは✨
今日も当サイトへお越しくださり、ありがとうございます。
担当させていただいております新聞連載も、早いもので11回目となりました。今朝に無事に公開されておりますので、ここにお知らせいたします。
早速ランキングの上位にもなり、たくさんの方のお目に触れているのだろうと思っています。ご意見などをいただく機会もあり、関心を持ってくださる方がいらっしゃることがありがたいことだと感じています。
さて、ここしばらく当サイトの更新頻度が落ちていて、ご心配の声を寄せていただくこともあることが大変恐縮には感じています。なんやかんやとやることがあり、忙しくて時間が取れていないだけです、元気です。
最近の私が注力していることの一つには、“動かない息子”を動かそうと、いや、動かない子を親が“動かす”ことはもはや不可能であるとは分かっているけど、何かきっかけを与えることはできないかと方々にコンタクトを取ったり作戦を練ったり見学に行ったり、そういうことに大いに時間を使っています。
昨日も、私は近郊のフリースクールへ見学に行っておりました。昨日は息子も(遅刻はしたけど)同行することができました。
行って来れた。これだけでも奇跡のようです😭息子の反応は分かりません。彼は未だ、動く気配はありません。
一つ言えることは、普段はほとんど動かない息子は、ちょっと動くとすごく疲れてしまうのだということです。昨日も初めての場所へ赴いて、初めて会う人の中で教室内では自分なりにしっかり振る舞おうとかなり気張っていたようで、しかも私が先に帰ったものだから泣きそうな目でこちらを見るし、帰宅後の気疲れからかその反動がすごかった…🥲
速度0、加速度0、摩擦係数は無限大、今の息子は速度0の等速運動をしています。静止している息子は自然法則に則って常に静止し続けているのであって、その0状態から初速度が0.1でも0.01でも得られるまでに要するエネルギー量は計り知れないということです。
私も危機感を持っています。情報を得て、電話をしたり調整したり予約をさせていただいて、息子を連れ出しドタキャンや遅刻のお詫びで頭を下げて、仕事の手を止めそれでも息子を送迎しようとする私だって辛いんや!と弱る気持ちもあるのですが、
揺れ動き時に地に落ちる私のメンタルを支えてくださる皆様、愚痴をぶつけて聞いてくださる皆様には心から感謝しています😭🙏1人ではとても難しいが、支え合ってこそ進めます。そんなコミュニティを私も誰かに提供したいと思ってる😭
今更ですが、思うことがあります。
学校に行かないこと自体は大きな問題ではないと思うのですが、不登校初期に歩みを止めてしまうことや、静止状態を容認してしまったら後々がかなり大変だということです。
もちろん、思考の極端な子たちですから“最悪の状態”というのがあるので、やむを得ない場合はあるのです(我が家も一時は他人事ではありませんでした)。それでも、学校から離れても、出来るならば何かしら外とのつながりを維持することを重視したい、軽視してはいけなかったと、今の私は常に常に感じています。
今日公開された記事(↓)は、同じく中学生までの学校生活に苦痛を感じ、私の学生生活は低すぎる内申点として一方的に(?)評価され、希望も自信も見出せないまま高校生になった私が、自分の価値に誇りを感じ、将来を見つめる目を開き、 歩き出すきっかけとなった経験をベースに書いています。
このようなサイトを運営していると、特性のある大人で、すごく“うまく育った”人と出会うこともよくあります。その背景には、概ね似たようなエピソードがいつもあります。
特性を持つ子は、迷いやすい子供です。モゾモゾと過ごす、そんな数年を過ごしてしまうことにも陥りやすい。そんな子供が波長の合う大人と出会い「あれ、認められちゃった?」って経験をすると、それってめちゃくちゃ嬉しいことで、みるみる目が開くのです。
それって多分、手練れの大人から見れば『良い感じに乗せてやったぜ』というくらいのことかもしれません。だけど子供には強烈で、その方に抱く恩義は生涯忘れるものではありません。そんな経験ができた大人も誉れなことだと思うよ、たぶんね。私もそうありたいもん。
子供時代に、そんな出会いを経験できることはただただ幸運です。願っても得られるものでなく、得られないままの子もいます。
得られないままの子を減らすためにも、大人はもっと面白くあらねばならないし、世の中にはもっと余裕が必要なのだと思います。
私がそうであったように、どうか、どうかいつか息子にもそんな出会いが訪れて欲しいと、その確率を高めたいと私はただそう願っていて、どうか偶然の出会いが訪れんことをと息子を外へ連れ出すために送迎を続けているのです。
ーーー書籍紹介ーーー
軽快な文章ながらも本質に切り込む、非常に面白い書籍でした。遺伝子の影響は多大である、親がどんなに手塩にかけても環境が最低限に真っ当であるなら子はどこの誰に育てられても概ね似たようなパーソナリティに育つのだという研究成果は親の肩の力を抜くでしょう、「そりゃ、どうしようもねえよな」、と笑。
そして親もまた親独自の遺伝子を持つ人間であると自覚することから、親ができることできないことすべきことが見えてきそうとも感じました。未読の方は、ぜひ。私もまた読みたい書籍の一つです。
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