みなさんこんにちは✨
この週末は梅雨の休息、夏のような好天でした。私は個人的な趣味で登山をしますので(↓例えば昨年はこんな感じ)、
『もしかしたらこの週末は久しぶりに登山に行けるかも!?😏』と一応準備もしたのだけど、それでも土曜は友人の新築祝いの訪問や、日曜には漢字検定を受けるという息子が、
漢検のついでにさ、一緒にラーメンでも食べに行かない?
と誘ってくれたこともあり(←一緒に出かけようと誘ってもらえることはとても嬉しい🙌つまりは送迎せよ、ラーメン代を支出せよというだけの意図かもしれないが)、そんなわけで山には結局行かなかったけれどもそれなりに充実した週末を過ごしました。この時期は娘のために受験を検討している私立小学校のイベントも佳境です。私のスケジュールはなぜだかいつも過密であり、すっかり山から遠のいてしまって寂しい限り。
さて、今日は先週に書いた記事(↓)に関連し、当サイトを読んでくださる方からご感想を寄せていただきお話しさせていただく機会を持てました。そこで出た、子供の学校の課題にどこまで親が関わるか問題には考えさせられるものがありました。今日はそれを記録しようと思います。
子供に必要な“支援”とは
その提案は、アリかナシか
私の息子は、とにかく何事にも自らの納得を得られないと動き出せない子供です。「嫌だけど渋々…」、とかはどうやら専門外だというらしい😩
彼はまた“慣習”とか“伝統”とかともあまり相性が良くなさそう。計算ドリル、5分前行動、母の日だって彼はその意義をなかなか理解できておりません。『ま、そういうものだよね』とサラッと受け入れてこなしていければ済むものを、息子はいちいち、
なんで!
と憤慨。癇癪を起こすこともありました。
今回の記事の発端となった“学習計画表”もそう。
これ、絶対にやらないけど、いいよね?
うんいいよ。だけど私はこれに対し、こんな提案などもしてみました。
もしくはさ、そういう課題はお母さんが左手ででも書いておこうか?
出来ないのなら、親がやる。もちろんそれは、子供が確実に習得しているものだけだけど。
そんな私の提案は、“アリ”でしょうか、“ナシ”でしょうか?
考え方はそのご家庭次第です
もちろんそれはご家庭次第、状況次第。アリもナシもないのだけど、笑。
それくらい、親が左手で書いてあげなよ!🤣それが親のサポートってもんでしょ!
そう言ったのは私が学生時代にお世話になった研究室で秘書さんだった友人です。彼女は米国生活が長くあり、帰国後には日本の小学校に入学したお子さんのサポートを常に気にかけておられました。
確かに私も、今回の息子の学習計画表の提出が学校での成績評価に影響すると言われたならば絶対にそうしただろうと思います。彼なりには一生懸命やっているのに“こんなこと”で自己肯定感を削がせることはしたくない。
ちなみに、提出しないことで成績評価に影響などは…?
それは全然ありません👍
わかりました。成績評価に影響すると言われたら、その時は私が左手ででも書いた不器用っぽい字で適当に書いて提出させるつもりでしたよ😆
今回は成績評価には影響しないということですが、私が担任教諭にそう申し上げると、担任教諭は電話口で『ハハッ』と笑っておられました。
それは『いやいや、シュールな冗談を言いますね😆』、という意味で笑っておられたのかしら?それとも『まさか、ほんとにはやらないよね?😨』と思われていたかしら?
だけど私は本気でした。
そこで息子に無理に取り組ませ、癇癪を起こしたり自己肯定感を下げるきっかけになるくらいならばよっぽど私が書いたほうが良いじゃないかと私は心から思っています。
そんな折、当サイトを読んでくださったMさんという方から感想のLINEが届きました。これに私はいくつかの驚きだったり、子供の学校の課題に対する支援のあり方を考えさせられたように感じました。
こういう指導はやめて欲しい、というお願いというやり方も
記事を読みました。ふわっとシステムに乗っかってしまえばラクなのに、ラクなルートに乗れないもどかしさですね😭
学校は突き詰めると無意味なことが多いことには私も同意します。
そう仰るMさんは、お子さんがかなりの高IQ+大きな凹凸+特徴的な内面の激しさを持ち合わせておられます。お子さんが学校に馴染みにくいということで、Mさんご自身もこれまで本当にたくさんのことを経験されてきたのだと仰います。いつも勉強になるお話をしていただけて、私はMさんとのお話がとても好きです。
親がやったらモンスターペアレンツ扱いになるかも?
そういう時は学校に「課題をやらなくてもちくちく責めたり、見せしめみたいにクラスで発表したり、居残りとか休み時間にやらせたりとかしないでください」というお願いでも何とかなるかもしれませんよ!
子供を教室に居づらくさせることの予防です。
というのも、こちらの話ですが、以前に宿題をやってない人の名前を黒板に書いていた先生とか、宿題をした回数をシールで貼ってグラフ化して競わせていたという教師も居ました。
そういう指導は本当にやめて欲しいと思ったのです…。
ゾッとしました。本当にそういう指導をされたら私の息子はあっという間に潰れますよ…
繊細な子たちですからね。しかし相手にも悪気がないからこれまた厄介なのです!
こちらの支援級の説明会で「穴埋めプリントを写経のつもりでもいいから出してさえおけば内申つきますから!」って言われたこともあります😭がっくりきました。
『写経のつもり』って…一番無理ですよ😭
学習の理解度とか到達度で内申をつけてくれればいいのに😭
うちの子も、学習内容は理解できるタイプです。だけどかえってそのようなプリント提出やノートが書けないことが足枷なのです。そう相談してみたのですが、なかなかそういうタイプは稀なのか先生方はピンとこない風でした。
なんだかこのMさんのお話と、今回の息子の学習計画表が書けない事件は本質的には同じだろうと思いました。
書いて出す、という指導を批判するつもりはありませんが、
書いて出しさえすれば良い、となるのは安直すぎる話です。
だけどなるほど、習熟度とか到達度って数値化できないこともあるからね。提出物という成果物があることがわかりやすいのでしょう。
今回の学びは、子供が教室に居づらくなることを防ぐためにも、
子供ができない部分については着目しないで欲しいというお願いは有効だろうということでした。
それもまた環境調整の一つでしょう。
彼ら/彼女らは本当に繊細だし自分軸が強すぎて“そういうものだ”とふわっと動けない部分もあるけれど、環境さえ悪くなければ勝手に育っていけるという強さもまたありそうなのです。
学校の課題を親がやったら介入しすぎかもしれません🤣
環境を整えることで、本人なりのレジリエンスと育ちを待つことが重要だ。
今後は私もそんな視野の広さをもって、息子の中学校生活を見守りたいと思います。
『見守ること』って、『世話を焼く』よりよっぽどよっぽど難しいことですね。最近の私はそんなことを常々感じるばかりです🤔
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