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“計算ドリルやらない事件”から教育を考える

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10歳・小5

みなさんこんにちは✨

今日も当サイトを見にきてくださり、ありがとうございます✨

最近私は、息子の個性と教育環境についてを考えています。

私の息子には彼独自の個性があり、それは世にいう“発達障害”という括りにされ得るものです。息子にはいろいろな特性があるけれど、ここでは特に以下に焦点を当てていきたいと思います。

  • 興味のないことは断固としてやらない
  • 理解力は高く(高IQ)、小学校の学習に支障はない
  • 感情のコントロールが苦手
わたし
わたし

息子の個性を尊重したいのですが、どうしたら良いかわかりません…

それは本当に絶対にやらなくてはならないことか?

計算ドリルやらない事件を振り返る

以前、私は下記のような記事を書きました。

この春、小学5年生になった時、息子は確かに私に対して、

息子
息子

5年生から計算ドリルは廃止されたんだって。もうやらなくていいんだよ。

と言いました。しかし実際は廃止なんかはされておらず、これは息子の『計算ドリルを断固やらない!』という主張のためのただの小芝居だったわけです。これを一連の記事に書きました(↓)。

この事実を担任教諭経由で知り、私は担任教諭から代替課題などの提案を受けつつも息子と相談してみると言って持ち帰り。

結果的に私は、息子にはなんとか計算ドリルに取り組ませなくてはならないだろうと判断しました。だけどその理由は『小学生の当然の学習課題であるのだから』とか、『みんなやっているのだから』、さらには『成績を評価してもらうため、行動を人並みの基準に合わせることが必要だ』という、いわば完全に他人軸に沿ったものでした。私はこうして何日もかけて、少しずつ息子にドリルをやらせることを決めました。息子本人も、計算ドリルをやるしかないと腹を決めたようでした。

しかし計算ドリルをやることは、それ自体が息子にとっては大きな苦痛のようでした。その様子は、とても見ていられるものではありませんでした。

なんとかなだめ、褒め、叱り、説得し、私は息子を机に向かわせ続けました。そんな息子は机を大きな音で叩いたり、足をバタバタ、ガタガタさせては歯を食いしばり、ものすごくストレスフルな表情で計算ドリルをやりました。文字は乱れて書き殴り、計算ミスによる間違い直しが発生すればものすごい勢いで抵抗し、計算直しのために再び取り組むことをそれはそれは全力で嫌がりました。

 

私はそんな息子を見て、

んな思いまでして、息子は計算ドリルをやらなくてはいけないのだろうか?

という思いがどうしても消えません。

だって息子はその計算をすでに理解しているのです。息子はとうに理解し身につけた単元の単純計算を、ただ作業のようにやるだけです。新しい刺激はありません。そこに息子の学びはありません。

これって、息子が本当にどうしても絶対やらないといけないことなのか?

 

“みんな”がやっている、当たり前の計算ドリル。

それを出来ないことは、息子の『やりたくない』というただの我儘だと切り捨ててしまっても良いのだろうか?

『そういうものだから』とか『みんなやっているから』という大人側の理由は子供の学びには全く関係がないもので、何より私自身がそのような前提を心底毛嫌いしてきたのではなかったか(↓)。なのに息子にそれを押し付けるのはどうだろう。

私はとても悩みました。

しかし現行の小学校の評価システムにおいては、“計算ドリル”の提出は息子の成績に直結します。さらに私は息子が周囲の大人に対し『自分を認めて欲しい』という気持ちを持っていることを知っています。

すなわち“計算ドリルをやらない”ことによる通知表の低評価は、彼の自己肯定感の形成に負の影響を及ぼすことが心配されます。さらに通知表の成績は、中学受験時の参考値にまでなってきます。

 

そう考えるとやっぱり“計算ドリル”をやらせないわけには行きません。

結論としては、ここは親である私が息子をなんとかうまく操縦し、息子がなるべくストレスなくドリルに取り組むことができるような“環境づくり”をすべきであると思いました。

なによりこれから息子が生きていく社会は“そういうもの”であるのだから、自分を律し、社会に合わせるためのこれは“訓練”であるとさえ思い込み(思い込ませ)、やっていくしかないのだろう。

私はそう考えた、はずでした。

 

だけど私は、本心では今もまだこれを悩んでいます。

このような“みんなと足並みを揃える”ことを目指した教育は、息子自身の成長につながるものとはやっぱりどうしても思えないのです。

 

もうすぐ夏休みがあければ、息子は再びドリルと向き合わなくてはなりません。息子はまたあのように歯を食いしばりウーウー唸りながらドリルをやることになり、その行為を『がんばれ!』と言われ続けなければならないのだろうかと思うとなんか違うし、想像するだけで悲しくなります。

私は再び悩んでいます。

成長はあったのか

あの時。息子が計算ドリルを全くやっていないという事実を私が知ったのは、すでに7月の上旬頃でした。

それから日に少しずつドリルを進め、夏休みに入る直前には泣きながら23時まで取り組み、朝は4時に起きて計算ドリルをやりました。息子には何の刺激もない、まさに作業のような計算ドリルを。

この経験は、果たして息子の糧になったのか。

 

一応ドリルを仕上げた時、息子はある程度の“達成感”を感じたようでした。頑張ったねと、親も精一杯褒めました。

だけど今思えばそれは“やり遂げることができて嬉しい”という意味での達成感ではなくて、もうこれでやらなくて良いんだという“開放感”だったのかもしれません。息子は“頑張った”のではなく、“苦行に耐えた”だけだったのかもしれません。

また、その歯を食いしばって仕上げたドリルを担任教諭に提出した際、息子が

息子
息子

先生は受け取っただけで特に褒めてくれなかったー

と言っていたことも気になりました。(↑吹き出しの絵は笑顔ですが、無表情でした。)

当たり前です。期日までにやってくるべき課題を全くやらず、指摘されてから初めて一夜漬けのようなやっつけで何ヶ月も遅れて持ってきた人が褒められることは、一般的にはないでしょう。褒められるのは『毎日きちんとやってる人』であるべきです。そこは私も理解できる。

だけど息子はそういう子ではないのです。

息子のような子は学校で、褒められる対象ではないままなのか?

結局息子はこのドリルをやることで、一体何を得たのだろう。

 

ちなみにですが、『夏休みが明けたら、計算ドリルはできそう?』と息子と少し話しました。

息子
息子

たぶんできると思う〜。

だってあんな一気にやるの、辛いし。

今のところ息子はそう言っています。

『計算ドリルはできるだけやるべき』ということと、『溜めて一気にやるのは辛いので避けたい』ということは、息子の考えであるようです。

どうなることやらと思いつつ、どんなサポートが“適”なのかを私はずっと考えています。

意見と情報を求めて

教師をやってる友達に相談してみて気づいたこと

このような性質の息子について、私が周囲に相談できることはなんだろう。

例えば、

『息子は学習単元を十分理解しておりますので、計算ドリルはどうか免除してください。だけど成績は普通に(よろしく)つけて欲しいんですが

これ↑は私が学校に言いたい本音です。他人から見りゃ『は?自分勝手なこと言ってんじゃねーよ!』ってなもんでしょう😅

だけど私は実際、どこまで学校に要求できるのか?先生側はどこまで対応可能なのか?

その辺のことが知りたくて、私は小学校教諭をしている友達に意見を求めました。彼は私の高校時代の同級生、今も富山市内で小学生を教えています。息子のことも生まれた時からよく知っており、何より私が最も信頼する人間の1人です。きっと率直な意見を言ってくれるに違いない。

事前にLINEで『相談したいことがあるのだけど』とあらましを書いておき、その日の夜に電話で長々と話しました。

教師の友達
教師の友達

なんか小さい頃から『息子にはちょっと変わったところがある』って言うとったもんね〜。そういうことやったけ。(←富山弁)

 

そんで答える前に確認させて。

・単元を理解しているのは授業を聞いているから?それとも塾でやってるから?

・授業中の姿はどう?

私はまず、私自身がかつて地元の友達にまで『息子が少し変わっている』と伝えていたことに驚きました。ずーっと前から気づいてたのに、息子が10歳にもなるまで特性を意識しなかったことをさらに悔いた…。(『発達障害に気づくまで』のカテゴリをご参照ください)

さておき、理解をしているのは授業を聞いているからだと思うと言いました。塾は受験勉強中心で、しかも息子はまだ1年遅れのカリキュラムを追いかけており4年生の単元を学習中でした。

また、授業態度は今まで大きな問題は指摘されていなくって、積極的ではないしソワソワしたりすることもあるけれど聞けばしっかりとした発言もあり「信頼している」と先生からも言われたことがあるよと言いました。

 

私は率直に思っていることを話し、そして色々な話を聞きました。学習意欲とはどういうものか、提出物を含めた授業態度、目標設定、アプローチ、これらの総合的な指導の重要性も聞きました。

結論として、

・息子の通知表の評価については、“計算ドリル”だけのせいではないかもしれない。

・だけど通知表が全てではなく、あくまで学校での様子の一面にしか過ぎない。そこに懸念があるなら親が『通知表は気にする必要はない』と言ってあげれば済む話。

『周りが損をしても自分だけ良ければ良い』と言う自分勝手さでドリルをやならないならば相当まずいが、そうじゃないなら見守れるよ。

という話を聞きました。

 

そうか。私は自身の“内申点”とやらに対する嫌な気持ちから、息子にはそのような思いをさせたくないと、必要以上に『通知表』を気にし過ぎていたと気づきました(↓以前の記事をご参照ください)。

教師の友達
教師の友達

今の学校では「落ちこぼれ」と呼ばれてしまう子をどうするかを考えてきたけれど、その反対の子「吹きこぼれ」についてはあまり考えられてこなかった。

 

私立を中心に先進的に取り組んでいるところもあるはずだから、合う進路を選ぶのもありだよね。

そんな話を聞き、私はなにかまた一つ覚悟が決まったような気がしました。

息子は大丈夫。見守れる。彼に合う進路を探していこう。

 

さらにこの友達は、彼が研修で学んだ内容だと言い、これからの公教育を議論する講演会で聞いた話を教えてくれました。

それはとても勉強になるもので、私にとって教育とはなにか、息子には何が必要かを深く考えるきっかけとなるものでした。

そんな話は、またいつか書いてみようと思います😊

コメント

  1. hirop より:

    こんちわ。

    単純な疑問なんだけど、ドリルのような問題を解く場所は1)学校、2)塾、3)自宅、(ひょっとしたら4)試験会場?)でしょ。もしも、理解している内容を作業のように解くのに抵抗する気質があるならば、自宅以外でも抵抗すると思うんですがそうじゃないの?

    ましてや、塾では4年性の内容のカリキュラムをやっているならば、塾で解く問題は最も理解が及んでいる範囲だと思うんだけど。受験テクニックみたいな学びがあるから塾では、ドリルを解けるということなのかな。

    • おはようございま〜す。
      その違いがわかればまた対策も立てられるんでしょうが、なんなんでしょうね…😭塾はまぁまぁ前向きに行っています。この前は「塾を休んで登山に行こう!」(←ヲイ!😅)と誘ったらすごく抵抗されました💦塾にはウマの合う講師の方がいらっしゃるようで、その方とのコミュニケーションも楽しみにしている節があります。

      ちなみに去年は漢字ドリルが同様でしたが、今年は計算ドリルが全然ダメ。今年は漢字ドリルは少しずつやっています。1種類ならギリギリできるけど、2種類になると電池切れになるとかもあり得るかしら?

  2. hirop より:

    こんちわ

    場所が変われば理解度に関係なくドリルができるなら、自宅や自分の机で一人で勉強する習慣ができていないんじゃないかな。

    根気よくやらないと、習慣化は難しい。手始めに塾や学校の雰囲気をつくるために、友達を呼んで一緒に宿題をさせてみたら?宿題の答え合わせを友達同士でやり終えてから遊ばせるようにしたら頑張るよ。

    友達を呼ぶのが難しいなら、親も一緒に勉強したらどうかな。自宅で勉強するお手本を根気よく毎日見せるのも効果があるよ。

    最後に、子供は普段の何気ない親の言動や態度をよく見ているよ。子供の習慣や価値観に無意識に影響を与えるからお気をつけあそばせ。

    じゃね。

  3. hirop より:

    追加です。

    子供の集中力は長続きしないので、計算に飽きてきたなと思ったら、すぐに漢字ドリルをさせるとか切り替えさせるのもいいよ。漢字に飽きてきたらまた計算ドリルさせるなり、理科や社会の宿題に向かわせるなどしてするのもおすすめ。

    • うん、色々ありがとうございます!
      本当、集中力って大人でもコントロールできないのに(私だけか?💦)子供はいっそうですよね。まる付けなどのタイミングでテンポよく切り替えてみるとかして、夏休み明けのドリルも何かに紛れさせて(笑)なんとかやらせて行ってみようと思います。

      まぁでもいよいよ次回もダメなら、次は親としてなにかしら動かなければならないだろうとは心算もしています。そんな気持ちで明日からの登校を楽しみに待つ、複雑な心境です😅

      • hirop より:

        一応、拙速判断は危険だから注意してね。

        一度や二度の失敗で方針をコロコロ変えたら子供の方が混乱するよ。
        コツコツ何度も繰り返して、微妙な子供の変化を見つけて褒めたり注意したりして親子で
        レベルアップしていかないと(方法論に多少問題があったとしても)、永久に子育て論、教
        育論探しの旅になってしまうから気をつけてね。

        決定打となる方針が決まらない親の苦悩を、子供がどう感じるのか考えてね。
        親の姿勢はぶれないのが信頼の第一歩。間違えたかなと思ったら正直に話して子供と一緒に方針を考えるとか問題意識の共有も大事だよ。そういった問題意識や問題解決の試行錯誤のプロセス(いわゆるPDCA)なんかも子供はちゃんと親をみて真似するよ。問題解決ができなければ、子供の経験値も親への信頼も伸びないからね。

        子育ては何度も失敗なんかできない毎回が真剣勝負なのだよ(^^)。

        じゃね。

        がんばれ、かぁちゃん。

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