みなさんこんにちは✨
今日も当サイトを見に来てくださりありがとうございます✨
最近私は、東北大学において“発達障害のある学生への対応について-教職員向けヒントブック”が刊行されたことを知りました。
刊行されたのは昨年末です。ホント最近ですね。↑からダウンロードして誰でも読むことが可能。
目を通しまして、大学生活において必要となる情報が大変よく書かれていると感じました。
実際の学生対応においては、本ヒントブックを参考に、その学生をよく見て、その学生と話をして、各学生に合ったオーダーメイドの対応を心がけるとよいでしょう。
発達障害のある学生への対応について『はじめに』より抜粋
その通り。
大学もまた、動き始めました。
大学はどうか、全ての人が自分の持つ力を最大限に発揮できる環境であってほしい。多くの大学、多くの学校で同様の試みがなされることを願っています。
ぜひともご一読をお勧めします。
教職員向けヒントブックを作成した東北大に敬意を
まず、重要性を認識したことが素晴らしい
東北大学。それはいわゆる『旧帝大』(旧帝国大学、ね)。歴史ある代表的な国立大学であり、充実した環境が整備され、東北大学はまさに東北地方のひいては日本の学術の要を担っています。
その学生は、ほぼ例外なく高い知能を備えている。それに加えて継続的に学習し、自分を律し、健康管理、目標設定、それらを着実にこなしてきたという人たちです。
国立大学の入学試験を突破してくる人ってそんな人です。成長過程で養ってきた『総合力』が試されるのが国立大学、特に旧帝大の入学試験だと思っています。
それでも。
そこにも必ず“理解と支援”を必要とする人が存在します。ここで学力とは別とのところで困難を抱える人がいるのです。これは非常に重要な視点だろうと思います。
今回のヒントブックの刊行は、そのような点においてとても優れた発案であると感じました。
とにかくここでは、東北大学が発達障害を抱える学生の支援、理解を深める重要性に気づいたことを、評価したいと思います。
内容も“大学生向け”でした
一読し、ここに書かれた内容は、せっかくの高い能力、努力の軌跡を単なる無理解で潰してしまうことは互いに損失でしかないのだと訴えてくるものでした。
東北大学の大学生を想定し、その困りごとについてとても良く書かれていたと思います。
私自身も、大学こそ別ですが18歳でいわゆる旧帝大といわれる大学へと進学しました。
大学ではそれまで経験してきた学校と違って、とても生きやすいと感じました。生活全般に大きな裁量があり、やるべき責任を果たしてさえいれば自由な振る舞いが許されるのだと感じていました。私はその期間に『ここまではセーフ😎』『これは流石にアウトだったか😅』などのギリギリの境界(笑)を探りました。
なんなら旧帝大の理系学部は、学生だけでなく教員の中にも自分に似たような“同類”も多いと感じました。凹凸がある、しかし『ほぅ!』と膝を打ちたくなるような頭の良い人間との遭遇頻度が、世間一般よりも高いと感じました。振り返ってみても、凸の部分を上手く活かして生き生きとしている人が多かったと感じています。面白い人が多かった。しかもそういう人は裏表がなく、空気の読み合いが重視されない人付き合いが快適でした。
とはいえね、大学も組織なのです。自分が出来ることややりたいこと(←凸の部分ね)だけで回っていくわけではありません。
凹の部分にはどう対処をしてやると良いのだろうか。
このヒントブックは、非常に重要な書き出しから始まっています。
発達障害のある学生は、その障害の特性上、自分の特徴を十分理解することがしばしば難しく、また理解できていたとしてもそれを他者にうまく伝えることが難しいことがあります。
発達障害のある学生への対応について『はじめに』より抜粋
そう。
18歳時の私自身もそうでしたが、当事者は自分に凹凸があることすら上手く認識できていない場合もあるのですね。
コイツ、ちょっと変わってんな〜。
たとえば教員が学生を見てそう思った時に、能動的にどのような対応をすれば効果がありそうなのかが具体的に一つ一つが書かれていました。
8頁目の、『発達障害のある学生が大学生活のなかでしばしばつまずくこと』のリストは私は大きく頷きました。履修登録とか、私も全然理解できなくて、近くにいた人にめっちゃ助けてもらっていました😅
そして次の9頁目からの、そのつまづきに対する“対応例”がまた良く書かれていると思います。
・発達障害のある学生は暗黙のルールを理解できないことが多いため、授業や研究室で、やるべきこと、やってはダメなことを明示します。 ・「空気を読め」「行間を読め」「周囲をよく見ろ」といった抽象的なアドバイスは役に立たない傾向にあります。それよりも、「相手が話を終わってから自分の発言をするように」「授業が終わってから質問に来るように」といったように具体的にするべき行動を明確にしたアドバイスをします。 ・何か作業している最中に話しかけて別のことを頼んだりすると頭が真っ白になって焦ります。(←これ、私。) ・メールは見られる状態にあるが、メールに返信期日が書いていなかっ たので返信を先延ばしにしている場合もあります。(←これも私!)必ず返信してほしいメールの件名には「【必ず返答してください】」とつけるなど、返信が欲しいメールが目立つ工夫をします。メールに返信締め切り期日を書きます。
私もさー。教員になってからも驚くようなことが度々あったんですが。
かつて私は、『自分が情報を受け取った』と思ったらそのメールは私にとっては“解決済み”のメールでした。メールというのはそういう性質のものだと思っていました。しかし、時には“そんなメール”にも後で返信を要求されることが多くて困惑したこともありました。
特に医学系の方が相手の場合に多かったかも。『📨承知しました』とかの一言でももわざわざ返信してくる人たちです。
この、“承知しましたメール”は必要なのか?相手は暇なのか?
と、私は結構考え込んだものなのです😅
だけどこのヒントブックを読み、目から鱗。世間一般の人は明確に返信を要求されていないメールにも返信をするものらしいぞと私は初めて明文化されて教えてもらった気がしています😅
そういえば、話は少し変わりますが、かつてお世話になった先生から頂いたメールの中で目を見張る表現があったことを思い出します。
私が学ぶ上で有用だろうと思われる論文をご親切に教えて下った先生が、
もうお読みになられたかとは思うのですが、この論文で示されている知見はとても興味深いので〜…
と一言前置きされていたことです。
この方は明らかに私が不勉強であると気づいたからそれを指摘してくださったのに、『もうお読みになられたかとは思うのですが』となぜか無根拠な一言を添えている。これには当時は悩みました😅
親切からのことだったのだろうとは思いつつも、こういうことに混乱するのが我々ですよ😅ホンマに難儀なもんですわ😅
(↑:ちなみに私なら、その論文のPDFの重要なところにマーカーを引いてそれをそのまま相手に『これ大事なので読んでみてください』って送りつけると思います💦)
とまぁ、そんな“無用な混乱”を避けるためにもこのヒントブックは有用ですね。
そりゃあ明らかに返信を要する内容であれば速やかに返信しますさ、私だって。
だけど確認のための返信が欲しい時や、それに期日が決まっている場合はしっかり書いておいて欲しいです。
反対に、『返信不要』や『FYI!(For your informationの略ね)』という一言があるのもありがたいです(そう書かれていても、私が返信したかったらするけどね)。一方、『偉い人からのメールをいただきっぱなしにするな』とかは意味不明だったな。忙しい人ほどメールの数を減らしてあげたいって思ってたけど違うのだろうか。
こんなふうに明文化されて教えて貰えば、私は混乱せずに過ごせただろうと思っています。このヒントブックを作ろうと考え、実行した人たちの苦労と情報収集力に敬意を表したい気持ちです。
最後に、このヒントブックは発達障害を抱える学生と二次障害について度々強調していることがとても良いと思いました。
発達障害のある学生は、一見他の学生と同じようにできているように見えても、そう見せるためにその裏で多大な労力をかけているため疲れやすかったり、精神的不調が生じたりすることがあります。
二次障害を予防できるかどうかは、周りの人たちが発達障害のある人にとって生きやすい環境を作れるかどうかによるところが大きく、大学としては、発達障害のある学生が大学生活の中でできるだけ二次障害を生じないような修学環境を整えることが責務であると考えます。
私が学生だった頃。
もちろん時代は違いますが、“困り尽くして二次障害に至った人”が利用可能な『保健管理センター』などはすでに整備され利用可能な状況にありました。だけどそうなるまで追い込んでしまったり、それがどうしようもないっていう状況自体がおかしいよね。
このヒントブックはその二次障害そのものを避けることを目的として作成されている点で優れています。
教職員から見て対応に「困った学生」は、学生自身が「困っている学生」であることがほとんどです。
発達障害のある学生は、人一倍苦手なことがありますが、その反面、ユニークで素晴らしいアイデアを思いついたり、圧倒的な集中力を発揮したりと人一倍得意なこともある場合もしばしばあります。さらに発達障害のある学生が学びやすい環境をつくることは、基本的にはどの 学生にとっても学びやすい環境を作ることにつながります。
『おわりに』より抜粋
そう。その視点が、世の中を変えるのです。
どうか全ての環境においてこのような理解が広まりますように。
息子の進学先が、どうかそのような環境でありますように。
とても良く書かれたヒントブックであると感じました。ご一読をオススメし、このような環境を整備できる立場にある方にはどうか積極的に真似て欲しい活動であると思います。←私に手伝えることがあればご遠慮なくお声がけください!
コメント
すごいね!大学でこれが作られるなんて、現場でどれだけトラブルが起こってるのかが窺い知れるね(/ _ ; )コロナもあって、今の特性のある大学生たちの困難を想像すると…
素晴らしいことだけど、現場で実際に動くのは
『最終的には(主に)授業担当者が実際の合理的配慮を提供する』
…教授とかに絞られるんだよね?
もう少し人的なフォローが必要な気がする…
我が子とはレベルは違うけど、障害者への対応はただでさえ手間暇かかるし知識も忍耐も必要だよね。大学に進学するような人だと、逆にプライドとかで頼れない、弱音吐けない、特性を自分で認められない、なんかのハードルもある気がする…親も手を離す年頃だろうし…
普通だと思ってる自分でも履修登録は混乱したー!大学に縦の繋がりがないのもね。サークルで先輩見つけて情報収集して、とりやすい教授教えてもらったり…
国立文系、一般教養は大教室に百人単位で詰め込まれて講義だったし、きめの細かい対応なんて現実的じゃないなぁと感じてしまう。
次の一歩は、その部分へのもっと具体的なディスカッションがなされるといいなぁ!!!
せっかくの視点、形骸化して現場に丸投げ‼︎ではない何かを探してほしいな。Naoさんみたいに理解の深い人がその議論をつくってほしいよ!!!
働く場でも同じだよね。大学から企業にこの視点と具体的な対応策が広がってほしいねー
共感してくれてありがとう!そうだね、このコロナ禍で制限を受けて一番辛い思いをしているのは大学生の世代でしょう。大学生なんて長い長い休みには海外に飛び出してたくさんの経験を積める時期なのにそれもできなくなっているしね。ましてや特性のある子を想像すると。。とても混乱していることでしょう。。
そんな彼らを理解をするよう促す活動は大事なこと、本当に。大学進学に伴い家を出てから問題が顕在化する例も多いと書かれていたね。せめて友達ができれば良いのだけど、コミュニケーションが不得意だったりするとそれも障壁になることがあるでしょう。
私もかつて大学教員だった時、『おや?』と思う子なんかもいたのよね。普通に授業を受けていたのに指名すると顔を突っ伏して無言になってしまう子や、お昼前の授業が終わってみんな学食にゾロゾロ行くのに1人で窓際に移って(お母さんが作ったと思われる)お弁当を黙々と集中して食べている子とかね。そんな子が困っていそうだと気づいた時に、教員としてどうすれば良いかという資料があるのは心強いと思ったよ。
この資料のさらに良いのは、教員にも抱えきれないと想定されていること。ちゃんと専門の相談先に繋げるようにと書かれているし、まずは十分な情報が得られる作りだと思いました^^
現場に丸投げではない、より効果的なやり方については考えていく時期かもしれません。
大学が動いたことで、企業にも広がって欲しい。社会全体に広がっていくことを願いつつ、自分にできることを考えています。
やっぱり現場も障害も知ってるNaoさんはいいね。おや?って子に、今ならなんて言葉をかけるかイメージあれば具体的に聞いてみたい!
ちょっと工夫すれば、なんて簡単なものじゃないもんね。特性って一生モノだし。
失敗できて守られる学生のうちに自覚的に身につけ、働く場でも理解が得られる社会になればいいね。
特性は一生モノよね。もちろん努力して上手く埋め合わせた人もいるだろうし、矯正しようとストレスを抱えっぱなしの人もいると思う。
大事なのは、そんな人たちを追い込まないことだと思います。
今はないかもしれないけれど、私が学生の頃なんかは『代わりはいくらでもいるんだぞ!』『退学届もらってこい!』『病気か?精神科行ってこい!』と真顔で言う人が現存していた世代です。そんなこと言われたらフリーズするよね💦
出来ないならこうしてみようぜ、って提案が自然になされる社会になってほしいねぇ。。。