みなさんこんにちは✨
この月曜日はホワイトデーでした。私が夫にもらったのはこれね。めっちゃ嬉しかったよ😁🍶
ちなみに夫は娘には可愛らしいお菓子のセットを用意しておりました。あれ?私と娘はバレンタインデーに息子にもチョコレートを作った気がするけれど。彼からのお返しは『用意してないけど?』とシレッとしておりました。まぁね、いずれね。好きな子でもできれば変わるでしょう😊
さて、今日はちょっと視点を変えて、あるストーリーを眺め直してみたいと思います。
そのストーリーとは、先日書いた『カラサワ君』のお話です(↓)。未読の方はこちらを先に読まれてください。既読の方も、視点の確認が大切なので是非とも振り返りをお願いします。
私は先日、建前を言えない“カラサワ君”だけが不要な損をしたのだと書きました。
だけどこれについて、当サイトを読まれた方からナイスなツッコミが入りました。視点が変われば、ストーリーは大きく変わるのです。そしてそこには自分軸と他人軸という、私の特性みたいなものも関係しているようでした。これがね、本当に面白いと感じました。
カラサワ君は損をしていない
むしろ『勝っている』じゃないか、という指摘
先日、私は下記の記事でカラサワ君というお人が『もうしません』という思ってもいない方便が言えないためだけに1人だけ教師からの叱責を受け続けたという、そんなストーリーを紹介しました。私はここでこのカラサワ君という方が無用に自己肯定感を損ねたのではないか、と感じました。
私には、カラサワ君の気持ちがわかります。また、このストーリーは似た特性のある私の息子と重なる部分が感じられて、とても複雑な思いがしたのです。
だって、他者も“宿題未了の罪”は同等であるのに、ただ方便を言えないという理由でカラサワ君『だけ』が叱責を受けるなんておかしいよ。確かにカラサワ君は過剰に素直であるけれど、それは彼の生まれ持った特性であり脳機能上の個性であるとも言えるのです。そんな事情であるのに当人だけが損失を受ける社会環境はおかしいし、これからの社会にはもっとカラサワ君の、ひいては息子の特性について理解が広がれば良いと思ったの。
私はこの時、心からそう思いました。今もその気持ちは変わりません。
しかしこれに対して、当サイトを読んでくださる方よりハッとするような指摘を受けました。
カラサワ君は損してないよね?むしろ自分の意見を貫き通して、カラサワ君は勝っているんだと思うけど。
ちょっと視点を変えてみて?視点が変わればストーリーは大きく変わるの。
ここで本当に損をした人は誰かしら?
というわけで、ここから先は視点を変えてこのストーリーを再検証したいと思います。
教育、子どもの将来という視点から見える損失
このカラサワ君のストーリーは、学校現場で起こった出来事です。
1クラス約50人のうち、10人がその週の宿題ノートを提出しなかったという場面において、以下のような状況の人々がいたわけです。振り返っておきましょう。
- 宿題をやったけれど自宅に忘れて取りに帰らされた人が1名(←彼もかなり可哀想ですよね)
- 宿題未了を認めて「以後気を付けます」という方便を言うことで放免された罪人が8名。
- 宿題未了の罪は同じであるが、その方便を言えないために厳しい叱責を受けたカラサワ君
私はこのうち、②の方便を言った人は罪が同じであるのに叱責を受けていないという点に着目し、しかもおそらくはこの8名のうち何人かは再び同じことを繰り返すと予想されたことから方便の有意味性を全く感じられないということまでを書きました。そんな方便なんかに、一体何の意味があるというのか、そんなもので対応が変わるなんて酷いじゃないかと、私はそんなふうに感じたのです。
しかし、1つ目。教育という視点、さらにはこの8名の将来という視点からみてみると早速話は違ってくるということなのです。
この方便で逃れた8人は、きっとまた繰り返すよね。実力を養うという点で、この8人は大人になった時にきちんとやってきた人とは大きな差がついている。この人たちも損失を受けているよ。
なるほどなるほど、そういう視点があるのですね。面白くなって来ました。ワクワクしながら話を進めたいと思います👍
先生の視点での損失
次に、担任教諭の視点に立ってみます。
当時のこの担任教諭がおいくつほどの方だったのかは分かりませんが、コワモテの男性教諭、1時間近くも他人を叱責をできる体力があると聞く限りにおいては、わりとお若い先生だったのかなぁと思われます。
先生だって気の毒よ。怒るのも疲れるもの。
そうかー。。
私はこの教室に、先ほど挙げた3種類の状況の人間しかいないと思っていました。だけどここには第4の立場として、
- 宿題をやったけれど自宅に忘れて取りに帰らされた人が1名
- 宿題未了を認めて「以後気を付けます」という方便を言うことで放免された罪人が8名
- 宿題未了は同じであるが、方便を言えないために厳しい叱責を受けたカラサワ君
- 1時間近くも叱責し続ける羽目になった担任教諭
という人が同じ空間に居たことを追記しなければなりません。
ま、そうは言うてもこの人は大人だったわけだし、もうちょっとやりようがあったとは思いますけどね。カラサワ君に完璧に振り回されて同じ土俵に立ってしまったという点において、この方はまだまだ未熟です。きっとその後は精進されたと期待しましょう、先生も大変ですね〜。
真に損をした人
重要なのは、次です。
ここで、本当に損をした人は誰なのかしら?
引き続き、私はシーナさんの言葉を聞いていました。(←あ、彼女は近所のママ友ですのでこの時は会ってランチをしながら話していました。)
私は、カラサワ君は自分の意見を曲げることなくいられたのだからむしろ勝ったのだとも思う。
この時に本当に損を被ったのは、きちんと宿題をやってきた40人よ!
彼女が言うには、まずこの先生のやり方が大変まずい、と。教室で教諭がたった1人の生徒のことで頑なになり、叱責を続けたことは大問題であったということです。
こう言う時は、授業の後にカラサワ君だけを別室に呼んで話をすれば良いはずなのに、他の生徒の前で延々と叱責するなんてあり得ない。
この時、きちんと宿題をやってきた40人はどうしていたと思う?どうしようもなく、神妙な面持ちで1時間近くをその場で座っているしかなかったわけで、彼らは不要な嫌な思いをしているし、学習機会を奪われたっていうことだよね?
そうなのです。
きちんとやってきた40人の視点になると、このストーリーも変わるのです。
自分達はきちんとやって提出したのに、しかし自我を通しきったたった1人のクラスメイトのためにその時間の授業が丸潰れ。神妙な面持ちで座って居ざるを得なくなったではないか!となるのです。
叱責されているのがたとえ自分ではなくても、同じ空間でそういうことが起こると人間は大きなストレスを感じるものよ。本当に可哀想だったと思うわよ。
そうなのか。。この先生は、怒って疲れたという損失を受けた側の人間でもあるが、全体に損失を与えた側の人間でもあるわけですね。ここで早速、第5の立場を追記しなくてはなりません。
- 宿題をやったけれど自宅に忘れて取りに帰らされた人が1名
- 宿題未了を認めて「以後気を付けます」という方便を言うことで放免された罪人が8名
- 宿題未了は同じであるが、方便を言えないために厳しい叱責を受けたカラサワ君
- 1時間近くも叱責し続ける羽目になった担任教諭
- きちんとやって提出したのに、ストレスを与えられた上に学習機会が奪われてしまった40人
私はふむふむと聞いていました。だけど私は、彼女のこの話に対して2つの疑問が湧きました。その1つ目は、
そう言うシチュエーションならさ、その40人の中から自然と誰かしらが先生に向かって、
『良い加減にしてくださーい。カラサワの件は後で個別でやって下さーーい!』
って声が上がるんじゃない?
と言う点です。だけどこれは難しいのではないかという意見。
高校生以上ならそれも可能かもしれないけれど、小学生には無理だと思う。
2つ目の疑問。私はこれが面白かった。
その40人はさ、多分だけど、何とも思っていないのでは?
カラサワ君だけが怒られている間、きっと退室したり好きな本を読んだり自習をしたりして過ごしていたと私は思うな。
はい来た!それよ!
Naomiさん、他人に興味がないでしょう?そういう部類の人は、そう思うのよ!『自分軸』で生きてる人と、『他人軸』にも影響されながら生きている人が世の中には居るのよ!それはこの違いよね。
私は絶対、40人は揃って神妙な顔をしてジッと俯いて過ごしていたと思うよね。
…そうなのか。
確かにそうであったとしたら、真に損失を被ったのは第五の立場である『きちんと宿題をやってきて提出もした40人』であることは間違いないと思えてきます。
それででもやっぱり私はさ、カラサワ君が可哀想だとは思うけれど…。この視点の違いは私自身も学ぶべき、とても興味深い考え方だと感じました。
とても勉強になりました
私はそう学びを得て、今回は視点が変わることでいかに大きくストーリーが変わるのかということを実感しました。社会には色々な人がいるのです。それぞれの立場で感じることは違ってくるし、“違うこと”それ自体は決して悪いことでも、もちろん優劣でもありません。
私は息子を見ていて『彼は本当に自分軸でしかものを見れないのだな(ヤレヤレ…)』と何度も思ってきたけれど、それは同時に私自身もそうであったという“私の自分軸”の存在に改めて気がついたことも大きな発見であったと感じます。
まぁでもね、それらも全て『個々にそういうものだ』とそのまま理解していくことが大切です。個々に違うのだからコミュニケーションは行われるし、そうした話し合いや意見交換を重ねることで互いを理解し、決して優劣ではなく、尊重していくことが叶ってほしい。加えて、社会全体にその違いに対する“上手いやり方”が広がっていくと良いですね。それは今回の話で言えば、特性に対して叱責を続けることのないように、当時の担任教諭のような方もまた視点を変えて上手く対応する術の知識を持ってほしいと願いました。
今回のご指摘とご議論に、多くの学びをいただきました。心から感謝しています、ありがとう😊
またこのような議論の機会がありましたら、どなたでももちろんお声がけくださいましたら幸いです😊
コメント
わぁ!他愛もないランチ話をすっきりまとめてくれててすごいわ!
付け加えるならば、私はカラサワ君が大物になってる気がすること、神妙な顔してる40人も心の中では文句たれたれだったかもなぁと思ってること2点かな。神妙なのは表面上の顔つきね☺︎
カラサワ君に関しては、長い叱責に耐えてでも貫き通す意志の強さを尊敬するわ。彼は勝ったというより、棄損されなかったって感じかな。
(あくまでも記事にあった、カラサワ君が「一歩も引かない」「怒り心頭100%の担任相手に数十分の闘いをして」「迎合しなかった」という言葉から、意志が強い印象があった上での考えです。叱責に傷つかない子とは思ってません)
そのまま折れずに成長できれば、どれだけ伸びていることか。折れてしまってないといいなぁ。どんな成長を遂げたのか本気で興味があるわ。
40人に関しては、優等生、良い子、内申点の高さを求める子は、品行方正な振る舞いが求められるからしんどいかも…って。
露悪的に書けばね(^_^;)
でもまぁ、こういう考え方の違いを知れるから本当にNaoさんのブログは面白いと感じています^ ^
私も自分と違う見方に驚くし、新鮮だし、とても面白い!前向きにお互いや違いを楽しめれば良いね。そして折り合いとか相互理解の形を見つけられればいいなぁ。
多様性の時代、色んな人の考えや特性による偏りも知った上で尊重しあいたいね。簡単じゃないけど。
あと、ほんっと先生の力量大事‼︎
他愛もないランチ話ですが、私にとって大変発見の多いナイスなエピソードでした。ありがとう😊本当に、感じ方や視点の違いって面白いよねぇ😊私もカラサワ君がとんな大人になったのか、できるならば是非とも会ってみたいです。どうか折れずに、健やかな大物になっていてほしい。そう願うばかりですね。
日本人は特に多様性に馴染みづらいところがありますね。男性と女性、その違いさえ未だ調整しきれておらず、今年の男女格差の度合いを示す“グローバル・ジェンダー・ギャップ指数”もひどいもんです。SDGsの観点でもジェンダー平等に関する得点が低いなど、日本は依然として男女平等が進んでいないのはホントにホントに悲しい限り。とは言えね、ほんの10年ほど前までには女性同士の間においてさえ働くママと専業主婦とのぶつかり合い(?)が現実に起こっていたのも事実です。その争いは終わったのかな。
『私は私、人は人』でいいんだと思いますけどね。それがなぜ罷り通らないのかが私にはまだわかりません。
これから子供たちが育つ環境は、当然国内外も問わず、国内であっても外国の方と協働して生活していくことがより当たり前になります。主張しなければ居ないのと一緒、みたいな場にたくさん直面すると思うから、きちんと主張して周囲の意見を素直に聞き、尊重し合うことが当たり前という価値観を身につけていってほしいなぁと思います。
先生の力量大事、ホンマそれ!!
〉『私は私、人は人』でいいんだと思いますけどね。それがなぜ罷り通らないのかが私にはまだわかりません。
ほんとそう!その視点、身につけたいわ。
前ほどじゃないけど、私自身が人の目や同調圧力に敏感で求められるように振る舞ってしまうタイプだったから、その強さ?を知ってそうなろうと思ったよ。
息子のことで普通からは外れたのかもだけど、その分自分で切り拓かなきゃって立場になったから変われたんだとも思うしね^ ^
そうねぇ。そもそも『普通』は幻想だと思います。真に普通の人っていないよね。
私は、息子がこのような特性のある子で良かったとは思っていないけれど、息子に生きづらさのもとになりそうな特性があり対応が必要であることがわかったからそれを精一杯支えたいと覚悟が決まったのはある。
このサイトを介しても詳しい人から色々な話を聞けたり学べること、文章を書くようになったこと、人との出会いがあることは全て息子のおかげだし、私は今の自分は結構好きで気に入ってるんだよね😊
私は私、人は人よね。だけどなぜかそれが「そう簡単じゃ無い」ってのが難しいわ😅