みなさんこんにちは。本日もご訪問ありがとうございます✨
今日は前回の記事から派生して、“含みのある言い方”とコミュニケーションについてを考えてみたいと思います。
自閉症スペクトラムの傾向があると思われる私(や息子、共に未診断)は、空気が読めない(読まない)し、曖昧な言い回しが通じない上に、言葉をその通りに受け取りがちという特性を有しています。
この特性は、難儀なことが多いです。
だけどこれは決して“悪”ではないよね。反対に、いわゆる空気が読めるというのも“良”ではないし、そこに優劣は存在しないと思っています。
とはいえ、コミュニケーションには相手があるので、その間に生じるズレは調整しなくてはなりません。どんなズレが生じ得るのか。まずはそれを知ることから始めて行くことが肝要です。知ればこそ、お互いに話し方の工夫ができるからね。
そのズレを調整しようとする学問が、言語学の一つ、『語用論』という研究領域なのだと聞きました。面白そうですね✨また一つ、賢くなることができました(*•̀ᴗ•́*)و ̑̑ご興味のある方は調べてみてくださいね。
コミュニケーション能力とはなんぞや
私に会って、コミュニケーション能力が低いと思う人はいないはず
さて。当サイトはいつも多くの方にご訪問をいただきますが、中には私を直接知っている友人、知人、先輩方も含まれているような気がしています。
たまに会ったりメールなんかでやり取りしても、
たまに読んでるよ
そう言ってくれる友達なんかも多いのです。嬉しいな〜。忙しいのに、ありがとう✨
今日、私はそんな彼ら/彼女らに問うてみたい。
『“今”の私は、コミュニケーション能力に乏しいか?』
たぶんだけど、きっと私のことを、コミュニケーション能力に乏しい人だと思っている人は居ないと思う( •̀ᄇ• ́)✧
なんならわりと、よく喋る。ひょいと誰にでも話しかけるし、結構どこでもニコニコしている。研究者だったときには、学会発表やプレゼンテーションも好きだったし得意な方だったと思います。
私は子供の頃、場面緘黙という症状があって慣れない人とのコミュニケーションをとても不得手としていました。
もちろん今でも対人不安は少しはあります。だけど色々な経験を経て、克服できてきている気がしています。
私のコミュニケーションは情報処理
場面緘黙を持たなくても、自閉傾向のある人はコミュニケーションが苦手なことが多いのだと言われています。私も基本的にはそうだと思う。下手なことを言わなくて済むから1人で黙っていても苦痛ではないし、なんならそちらの方が気楽です。
その理由はきっと、こういうところにあるのだろうと私自身は思っています。私のコミュニケーションがどのような考えで発せられるかを一意見として記録するため分析しました。(↓、あくまで私の場合です)
- 事実重視のコミュニケーション
- 言葉の正確性へのこだわり
- 場違いな“今はそうじゃない感”を搭載した発言をしてしまう
- 『だいたい、適当に』という抽象的な言葉を使われると『🤔?』となる
一つ一つを見ていきます。
1)の事実重視のコミュニケーションは、事実であるのだから、言ってしまっても構わないという思考です。
少々ふくよかな人に向かって、「太っている」とか「ブタみたい」と言ってしまうアレですよ、私も子供の頃はそうでした💦
ここで重要なことは、当事者は(少なくとも私は)決して意地悪でこれを言ってるわけではありません。そこは分かってもらえたら嬉しいなぁ…すみません。なぜなら当事者はそもそも、人が傷つく姿を見て喜べるほどに他人に興味がないですから。
同時に、無根拠だったり思ってもいないことを言うことに強い抵抗を感じることも起こります。
2)の言葉の正確性へのこだわりもまた、要注意です。なぜなら、それを相手にも要求してしまうから。そんで揉めるの。
私の経験では、『1時くらいに待ち合わせましょう』と言われたら、それはもう『絶対1時!』になってしまいます。相手は1時10分のつもりだったかもしれないし、だいたい1時ね、って感じで用事を済ませてから無理なく集合しよー、早く着いてもすぐ来るから待っててねー♪、というだけの話だった可能性もありますが、私にとってはそういうことを調整することが難しいです。
1時って言ったじゃん!嘘つき!
と、こういうことになってしまうアレですよ。若い頃はよくこれで気分を乱しました😨
3)の場違いな“今はそうじゃない感”を搭載した発言というのは、注目することの多様性だと思っています。主題とは別の、枝葉の部分が気になってしまってそこに話題をフォーカスしがちなアレですね。
良い例があります。かつて同じ研究所に勤めていた同僚研究者(男性)との会話です。私は息子をこよなく愛しておりますので、何人かでお昼を食べていたときにこんな話題になりました。するとね、その方の反応がソレでした。
息子が本当に本当に可愛くて😊将来が楽しみなんですよ〜😊
男の子なのに可愛いって、化粧したり女装したりしてるんですか?そういう将来ってことで、親としては良いんですか?
その場は一瞬『エッ!?』って感じになりましたよね😅だけどその元同僚は真顔だったし、きっと“可愛い”というワードに反応して心配してくださったのだろうとは思います。とはいえそんな“ソウジャナイ”感、伝わりますかね?ここでも重要なのは、この人は視点が違っているだけであり、コミュニケーションにおいて決して劣っているわけではないということ。私にも、そういうことは時々起こっているとは思っています(←気づかれたら遠慮なくご指摘ください)。
4)の抽象的な指示語については共感していただける方も多いのではないかと思います。難しいよね!!
『大体きれいに掃除しておいて!』とか、私はめちゃくちゃ難しい😅大体ってどれくらい?生存できれば良い程度?それともお客さんが来るのか、雑巾掛けは必要かしらと悩みます。そしてしばし“フリーズ”します。(最近は慣れてきたけどね😅)
これについてはかつての上司が的確でした。『今日は外部から視察が来るので、○○(←実験の生データや私物などが入ります)は見えないようにして、○時までに整理整頓をお願いします』という指示を出す人でした。これは理解が良かった。
しかしながら、そんな私も成長と共にコミュニケーションスキルを上げてきました。
その方法は、情報処理です。さらに言えば、試行錯誤とデータの統計処理で対応しています。
説明が少し難しいのですが、まず、
私は子供の頃から“なぜかみんなと同じように会話ができない自分”を自覚して(👈重要)、相手を観察したり、うまく弾んでいる他人の会話を観察することで膨大なデータベースを構築しました。
それは、『こういう場合、こう返したら相手が笑顔でい続けた確率が8割以上』、『こういう場所でこんな行動、こんな返答をすると、年長者が気を悪くする確率が顕著に高い』というデータベース。
私はそんな膨大なビッグデータを重ね合わせて、その時々で“ああ言えばこう言う”みたいな最適解を台本として使っています。そんな情報処理が、私のコミュニケーションの基盤です。
さらに言えば、『自分が会話の流れを作ってしまえば意図しない流れになりづらい』という経験も多々してきたので、その場のムードメーカーのように振る舞うことも戦略です。これはかつて先輩研究者(←同類の匂いがする人)とも共感の嵐で盛り上がったことがあるのでアルアルなのかもしれません。
ご理解いただける人、そうでない人いらっしゃるでしょうが、『そういう人もいるのだ』ということは知っていただきたいと思います。
しかし、データにないことは対応できない
情報処理法コミュニケーションの最大の利点は、年齢や経験を重ねるほどに事例が増えてコミュニケーションが上達するという点です。
一方で、やっぱり弱いのは“データにない”事例の対応。
先日の記事(↓)を書いたとき、コメント欄より『語用論』という研究領域について教わりました(Kさんありがとう!)。
語用論は〜、一言でいえば「言葉の意味」と「話し手が伝えたい意図」を区別して考え、両者のズレを研究対象にする学問です。
「語用論」から見たコミュニケーション教育より抜粋
参考のURLを拝読し、私はとても驚きました。冒頭の例として挙げられていたのは、私も理解に苦しんだ経験があるものでした。
例えば、私が大学生か大学院生とかの若かった頃。
同じ研究所の少し先輩の人が、『今度の日曜に、温泉巡りに行かない?バスツアーで安くチケットが買えるから。』と誘ってくれて、まぁ私も温泉は割と好きなので『良いですね』と答えました。だけど当日集合したら、なぜか私の分までチケットを買ってくれてあって、手を繋ごうと言ってきたり、バスに乗っていたら『寄りかかっていいよ』とか言われて、異常に距離感が近くて不快でした。
『は?私は温泉に行くことは了承したけど、なんでデート風なの?』って混乱しました(嫌だなと思いながら温泉に入り、その後速やかに帰宅しました)。デートならデートって言ってくれれば良いのに、何考えてんの?ってものすごく腹立たしかった記憶があります。
含みのある言い方が苦手です
それは本当に誘っているのか?
そういうのだよね、語用論の研究領域。先の参考URLでも書かれていました。
例えば、男性が女性に向かって、帰りがけに「近くに美味しいワインを飲ませる店があるんだけど」といったとします。これにはどんな意図があるでしょう? 「行きませんか」とあからさまにいわず、ぼかしているわけですが、女性は「誘っているのね」と理解するはずです。この場合、「言葉の意味」と「伝えたい意図」は必ずしもイコールではありません。
「語用論」から見たコミュニケーション教育より抜粋
引用先で、『女性は「誘っているのね」と理解するはずです。』とありますが、私にとっては『え、誘っていたの?』って感じです。わかりませんて、近くにワインが美味しいレストランがあるという事実しか言ってないじゃん、って印象です。
もちろん今では私も、さまざまな経験からデータベースを持っています。『行けたら行く』は挨拶だし、『また誘ってください』をお誘いするのは機が熟した時の限定です。
だけどね、事実重視のコミュニケーションをしがちな私にとっては、“ぼかした言い方”は難しいです。そんな言い方、する必要ある?ちょっと理解が難しいです。
長所だと思っています
そんな含みのある言い方が理解できないという困難は、自身でもわりと自覚しています。また私にとって、慣れない人とお話しすることは今も昔も頭脳高速フル回転、多大なエネルギーを伴うものであることに変わりないです。
だけどね、私はこういうことも学びました。
私と話して“楽しい”と思っていただけることは、私もとても嬉しいことです。
だから私は対人不安も乗り越えて、できるだけその場を楽しく、聞き手が興味を持つ話題をタイミングを見極めながら提供できたら嬉しいなと思っています。本当は黙って座っている方がずっと楽だけれど、コミュニケーションにはそれを上回る喜びがあることに気がついたという感じです。
私としては、
- 事実重視のコミュニケーションも、
- 言葉の正確性へのこだわりも、
- 細かい枝葉に気が付くことも、
- 語彙が多いことも、
それ自体は私のコミュニケーションの“長所”であると思っています。
だけどね、曖昧な言い方をされたり、含みのある表現なんかは私はやっぱり苦手です。それはこういう思考回路で苦手なのだと、少しでも伝わりましたら幸いです。
コミュニケーションとは相手があるもの。言葉を発する側が気をつけていくしかないんじゃない?
たまにズレが生じた時には私も自責したり、気にしたりすることも多々ありますが、どうか分かるように話してほしいと思っています。
伝わらない言葉で話すことって、コミュニケーション能力とは言えないよねぇ?
コメント
こんにちは。いつも興味深く読ませていただいています。
未診断ではあるものの特性のある子どもをもち、かつ私自身にもちょっと特性があるのではないかと???と思っている母親です。
今回の内容も、うーん、なるほどと思いつつ読ませていただきました。Naoさんが、コミュニケーションを人を観察し、データーベースを作ることによりコミュニケーション能力を上げてきたということに共感を覚えました。私の場合は、高校時代に演劇部に所属し、演技者となった時に、どのようにふるまえばいいのか、人間観察を続けることにより大きく人間関係が広がっていったという背景があります。(小学校低学年には、場面緘黙の傾向あり)
ということで、これからかくことはちょっと非定型の考えなのか定型の考えなのかわかりません。なので失礼があったらご容赦ください。
さて、今回の「温泉デートの誘い」の件と「ワインの件のデートの誘い」は、ちょっと「これってデートの誘い???」と考えるには、質的(といっていいのか???)違いがあるのかなと思いました。
まず、「温泉デート+バス」というのは、かなり親密な関係でないとなかなかしないよなあと。
女性の感じからしたら、① 温泉→湯上りの姿(まあ、もちろん風呂は別でしょうが、なんだか湯上りの姿を見られるというのかちょっと抵抗があるような気がします。実際に裸を見られるわけではない、でも、一緒に行った時で服を抜いて無防備な状態(くどいようですが男風呂と女風呂にわかれようが)になる。
②バスといっても隣で「密室」な空間に、比較的「長い」時間座らないといけない。
これは、女性が受けるのには、かなりハードルの高い「デートの誘い」です。
ということで、失礼なこととは承知しながら、、、、、あえて書かせていただきます。「温泉デートに誘う」は、なかなか「定型」の男性はしないだろうなと。(爆)
(ちなみに男性誌のデートハウツー本には、まず、近場の気の置けない、それこそ、ちょっと最近できた話題の相手が好みそうな場所を選定しよう。ぐらいに書かれているのではないかと思います。まあ、実際読んだことないのでわかりませんが・・・)
それこそ、1 「近場」 という心理的負担の少ない条件と、2 「美味しい」ワインという相手の興味をそそる条件で「誘う」。のが成功率がかなり高く、そしてまた断られたときにも心理的ダメージが少ないだろうなあと。
ということで、読みながら思ったのは、1温泉デートの誘いは、「定型」ではない男性の誘いであり、2 近場のワインデートの誘いはいわゆる定型の男性の誘い
であるという大前提というか質の違いがあるのではないかと・・・
因みに、温泉デートの件では、定型の女性だったら好意のある男性の誘いでないかぎり応じないだろうし、かなり成功率の低い誘いなのじゃないかな~。
まあ、私自身非定型かも(??)と思っているのでなんともいえません。
こんにちは^^コメントをくださりありがとうございます^^
マミーさんのご考察に『ほう!』と思ったし、つい笑ってしまいました。何も失礼ではないです、非常に興味深いと思いました。演劇のご経験は素敵ですね。やはり「自分の頭で考える」ことが重要な鍵であると改めて感じました。
さて、温泉(もちろん日帰りでしたが)への誘いは一般的には成功率が低いはずだというご意見、なるほどと思いました。しかしそこを敢えて誘ってくるという思考に非定型の匂いを感じるというご考察、さらにはそれを受ける私も思慮が足りなかったかもしれないという展開は目から鱗です。
今思えば、当時の私は『温泉かー、たまには良いかもー🤔』くらいにしか思っていなかったのだと思います。誘われたのに、完全に個人行動のイメージでした、笑。それを相手は意図的に距離感を縮めようとして誘ったのかもしれなくて、それで私は思っていたのとちょっと違って不快な思いをしたという認識のズレが問題だったのだと思っていました。だけどこれはもしかしたら、“非定型同士のコミュニケーションの実態・あるある”なのかもしれないという、そんな気づきになんだかクスッと笑えた次第です。
いずれそんなシチュエーションを迎えるかもしれない息子とも、この件は共有したいと多います。息子がいつか気になる人をデートに誘おうと思った時、一体彼はどんな風に誘うでしょう🤔。自分の好きなものばかりを押し付けたりもあるかもしれない。相手側にも事情があり、希望があり、考えがあること、さらにはタイミングではなかった際にはお断りされることもあるのだよと教えておかなくてはなりませんね。想像するとなんだか笑えてきます😂
総じて、是非とも今少し考えてみたいテーマです。ぜひまたお話し聞かせていただけましたら嬉しいです!😂
お返事ありがとうございます♪
自分で書いていてああ~わかりずらいかなあと思っていたのですが、私のつたない文章の中から意図をよみとってくれてありがとうございます。
>いずれそんなシチュエーションを迎えるかもしれない息子とも、この件は共有したいと多います。
そうそう、母親としてはやはりそう思いますよね~。私も息子を持つ身ゆえなのでよくわかります。
ですがそこで母親はあまりでしょばらない方がいいのではないでしょうか?
まあ、とりあえず息子の部屋のベッドの下あたりにでもエロ本(?まあ、今だったらエロ動画かな??)でも見つけたら、そっとそのままに気づかないふりをし、しかしかつ内心ではしめしめ、色気づきやがったなあと思いつつも、
ポパイやらプレイボーイみたいな男性誌(ハウツーののっているやつ)でもちょっと目のつくとこにおいとくか。こんなのあるんだよって教えてあげればいいんじゃないですかねえ~爆
まあ、アドバイスを求められたら答えるぐらいにして。
(女性にそもそも関心をもたなかったらどうしようもありませんが。)
どんなに難解な方程式がとけても、なかなか解けない方程式。いや、より高度な難解な方程式がとける人間ほど、難しい方程式、そうそれは「恋の方程式」ですから~。
でしゃばらない方が良いのですね_φ(・_・
息子の場合、確かにそうかも。これは定型非定型問わず年頃の男の子全般に言えることかと思われますが、母親が迂闊に出しゃばると二度と相談をしてくれなくなる危険性が思われます、笑。アドバイスを求められたら答えるくらいにしておきますね🤣🤣🤣
7歳年下の妹なんかは、保育園で好きな男の子できたとか、結婚するのだとかとニコニコします。
だけど息子は今までそんなそぶりは一度もないです🤣どこかでパートナーを見つけてくれたら安心ですが、どうでしょうね〜^^
>いや、より高度な難解な方程式がとける人間ほど、難しい方程式、そうそれは「恋の方程式」
面白いです🤣なんだか研究所勤め時代の、どこか世間ズレした研究者たちの顔がパッと思い浮かんでしまいました。偏見ではないと思うけど、そんな人がたくさんいました、笑。