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続 母親が働き続けるということ: 私は逃げたのか?

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母親が働くということ

みなさんこんにちは✨

今日も当サイトを見にきてくださりありがとうございます。

先日、退職したんだよねと話した際に知人に言われた一言。

「女性は結局そうやって仕事から逃げられるから良いよね。」

という言葉に、私は違和感と複雑な思いを感じています。

その違和感の元はなんなのか。掘り下げて考えてみたいと思います。

この発言の何に違和感を感じるか-1

「女性は」という言葉

仕事をしていた母親が退職し、「女性は結局そうやって仕事から逃げられるから良いよね。」と言われた。

この発言に違和感を感じる人、いたら挙手✋をお願いします。

次に、特別な違和感を感じない人も挙手✋をお願いします。

それぞれ、どれくらいの割合でしょうね。半々くらいかな?もうちょっとどちらかに偏るかな?

 

なんで女性だからって、仕事を辞めることが逃げなのだろう』というのが最初に私に湧いてきた気持ちでした。

その”違和感”の元のまず1つは『女性は』という言葉だろうと思います。

母親が働き続けるということ

母親が社会人として活躍することは期待されていない?

話は変わりますが、ずっと不思議に思っていたことがありました。

5年前に東京に引っ越してきて、息子が新しく通い出した保育園のクリスマス会などに参加した際、なんとなく父親組と母親組で別れて話が盛り上がっていました。

見ていれば父親同士は名刺を交換し合い(←羨ましかった)、異分野類業種ひっくるめて仕事の話で盛り上がっています。

一方、母親同士は『何の仕事をしてる』という話も出てきません。

東京の認可保育園なので、そこにいる全世帯が共働きであるにも関わらず、です。

 

私と息子が札幌に住んでいた頃(夫は海外に単身赴任中)、ずっと息子がお世話になった保育園は私の職場であった北海道大学の敷地内にある職員向けの保育園でした。

そこではほぼ全ての保護者が大学教員や研究者、大学病院の医師・看護師等として働いており、多くが博士号を持ちそれぞれに専門分野がある大人として性別によらない交流が持たれていました。

その時との違いに驚きました。

まぁ以前は研究者の世界だったし、ちょっと特殊な世界だったのかもな。

しかし私は東京の認可保育園に移ったことで、社会一般の、異分野の仕事をしている人の話を気軽に聞くチャンスを得たわけです。

異分野の人の話から着想を得ることは多いです。色々な仕事をしている人の話を聞きたかった。そのため私はお父さん方の集団に参加するために混ざっていこうとしたことがありました。

しかし、私が混ざろうとすると途端にお父さん方は仕事の話を止めることが起こりました。「誰のママですか?あちらのママも今年度から入られた方ですよ」と向こうのママと話すことを勧められたりしました。

私にも社会人経験があり専門分野があるので、どのような人たちの中でも仕事の話題を十分提供できると思っていたのに、うまく受け入れられませんでした。

つまり、そこでは私は「息子君のお母さん」として存在しており、なんとなく私は母親が社会人として活躍することへの期待感が低いことを感じ取りました。

 

後日、大きな会社で管理職として働く友人(高校生の息子さんがいるママ)ともこの件を話し合いました。

『あるよ。私の年代だと、学生時代の同窓会とかでもまさにそんな感じ。女性が働いて成果を出すことが想像されていないのかもしれない。』

彼女もそう言っていました。

 

ずっと、なぜそんなことが起こるのだろうかと不思議でした。

世代は関係するかもしれません。上の世代になるほどそうだろうとは思います。

しかし私たちの世代(私は1980年生まれです)にもなれば、女性も男性に劣らず高い教育を受け、高い教養を備えているはずなのに。

女性も働くことに誇りを持っている

ちなみに先の「女性は結局そうやって仕事から逃げられるから良いよね」という発言には続きがあって、

俺だったら辞めたいからって辞められないから羨ましい」と続きます。

つまり、彼の言わんとすることは、『男は一家の大黒柱なので、自分の都合で仕事を辞めることはできないのだよ』ということなのかなと思います。もしくは、『男は仕事に責任があり、それを自分の都合で放り出すことはできないのだ』ということかもしれません。

 

大黒柱説で考えると、それは確かにおっしゃる通り。

私には健康で働く夫がいたから仕事を辞めるという選択ができたのは本当です。

知人もその意味において「女性は」という発言をしたのだと思われます。(本来は「妻である人は」とかの言い方が適当なように思うけど)

しかし、私はやっぱりその言い方は間違っていると言っておかねばならないと思います。

 

我が家がもし母子家庭だったり夫が無職だったとしたら、きっと私は休職しながらでもなんとか籍を置くことにしがみついたろうと思います。

また、たとえ大黒柱ではないにしても、私は我が家の二本柱の一本でした。これから子供2人を育て上げる上で、経済的な二本柱の一本が欠けることについては不安もありました。

視点を変えてさらに言えば、私は高水準の教育を受けた大人としてこれまで出産後も精一杯働いてきたし、これからも働いていけるという自信も持っていた。専門性を持って働くことは自分のアイデンティティの一つだと信じてきたので、これを失うことがすごく怖かった。

 

そう考えていくにつれ、私はきっと、「女性だから辞められる」という言われ方が、

女性は働くことに誇りを持っていない」と言われたように感じて、それに違和感を抱いたし傷ついたのだと思い至りました

女性も働くことに誇りを持っています。女性が仕事に向ける気持ちを軽視しないで欲しいと思います。

私は母親が働くということの大変さの実際を一通り経験してきたし、さらに、世の中の母親がみな大変な思いをして働き続けていることを知っています。

日中の子供の安全のために多額の費用をかけ、使えるものは使い、あらゆる工夫をして、毎日慌ただしくて休まらず、それでも思うように行かず公私の様々なことで悔しい思いをしながら働いている。

そうまでして母親が仕事を続けていく理由は、経済的なこともありますが、やっぱり仕事に責任とプライドを持っているからだということは、是非多くの人に理解してもらいたいなと思っています。

 

まぁそれでもやっぱり私が退職するという決断をできたのは、夫が健康で働いているからであることは重ねて申し上げておきます。これは専業主婦の妻を持つ男性には取りづらい選択肢であることは十分理解できるし、発言主の知人の奥様が専業主婦かどうかは存じませんが、発言主の言葉も理解を示すことができます。

息子の異変に直面した当時、我が家は私も参ったけど、夫自身も相当に参っていました。

それでも、夫は仕事を続けました。だから私が退職できたというのは事実であり、夫には感謝していることを付言します。

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お時間とご興味のある方は今しばらくお付き合いください。

この発言の何に違和感を感じるか-2

「逃げた」という言葉

もう一つの”違和感”の元として『逃げた』という言葉にも着目しておきたいと思います。

私は逃げたのだろうか

この言葉は、私をしばらく苦しめました。

 

私は何から逃げたのか。

仕事の責任から逃げた、ということかなと思います。

逃げるってなんだろう。

危険を回避する、という意味もあるけど、本来向き合わなければならないことに背を向けた、という意味合いで使われただろうかと思います。その後ろ向きなイメージが私を苦しめていました。

しかし逃げた結果、私は何を得ただろうかと考えれば、息子をケアすることに集中できる時間を得たと気づきました。これは大きい。そう!時間を作ることが私の1番の目的だったんだもの。

 

最近、「逃げる」ことの重要性がよく言われるようになっています。

毎年の夏休み明けの子供たちに対し、「いじめられているのならば学校から逃げていい」といったアドバイスはすっかり定番です。そもそも逃げることは動物が危険から身を守る第一の行動だし、映画のように逃げずに立ち向かっていくのはどうしても逃げられない事情がある時に限った話にも思います。

 

知人が私に向かって言ったのは”仕事に背を向けた”という意味での「逃げた」という表現だったと思われます。

しかし私はしばらくウジウジと考えてみて、私は息子と自分を守るための戦略として仕事を辞めたのだ、別の何かを得るために、私は選択したのだと自分に言い聞かせることにしました。

他人が見れば放り出して背を向けたように見えるかもしれないけれど、状況が変わり新しいスタート地点から走り出すために必要な選択だったんだとようやく思えるようになりました。

得られた教訓

今はやっとこのように思えており、いつか発言主の知人にまた会うことがあれば改めて「そういう言い方はするもんじゃないよ」と話してみたいと思っています。

日本オリンピック協会の会長が「女性は〜」と蔑視発言したことで辞任に追い込まれたことは記憶に新しいところ。我が国では女性が社会で当たり前に活躍することの認識が未だ根付いていないことが浮き上がりました。比較的若い、私たちのような現役世代でもそうなのです。

このことから下記の教訓を得ることができました。 

他人の事情は、(どれだけ仲が良くても)理解しきれるものではありません。

軽はずみな物言いはその人を傷つける可能性があり、自分の経験や知識では理解が及ばないからといって、自分の基準だけで発言することは控えなければいけないよ、ということです。

 

私が息子の様子がおかしいので仕事を休みたいと言った時、上司が言った言葉で忘れられない言葉があります。

『まぁ子供なんて、ほっときゃ治るっしょ』(私の休職は認められませんでした)

ほっといて治らなかった時になんの責任も持たない人が、どうしてそのようなことを言えるのだろうか?と衝撃を受けました。

しかしこれも発言主の”自分基準”では真っ当だと思って何気なく言った言葉だったんだと思います。でも、無理解だしすごく無責任な発言だったなぁって時々ふと思い出したりもします。

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