みなさんこんにちは✨
今日も当サイトへお越しくださり、ありがとうございます。
今日は不登校児童が増加し続けているという報道に、思うところを記録しておこうと思います。
我が家の息子は13歳、もうまもなくは14歳になろうとしています。彼は今なお不登校を継続し、もうどれくらいが経つでしょうか。
息子は家では元気に明るい顔で過ごしていますが、こうして年齢が上がっていくとどうしても…やっぱりね、親の身とすれば気がかりも、不安も焦りもまた今までとは違うものが頭をもたげてくることが実際です。
息子は思春期早発症の影響もあり、今では成人の体格です。見た目だけはもう青年で、もう彼はとても子供には見えません。
だけど彼は同世代の子がするような経験を全く積んでいないので、今の彼の生活では生産性が限りなく0に近いほどに低いのではないかと、私はつい目についてばかりで参ります🥲
もちろんそれは大人もそうなの、生産性は(内的または外的な)動機に迫られ追われるからこそ上がるものだと私は思っているのですが、息子のように、ただただ毎日時間の制約のない生活をしていりゃ誰しもそんなふうになって当然だと思います。
加えて彼は他人と接しないし観察する機会も持たないので視野の偏重、独自の人脈も交友関係も持ちません。
特筆すべき実績もない、日々をまるで努力もしていない(ように見える)のに不遜な態度だけは一級品で、自分にとって都合の悪いことに直面すれば布団をかぶってダンゴムシ、癇癪でやりすごそうとする幼さまでまだ持ち合わせていて。
いや、我が子をそんな悪し様にいうのは良くないけれど、本当に、私も時に悲観しては、目を背けたくなる辛い気持ちになってしまうことが本音です。すみません。
本当に、どうなっていってしまうんだろう。親の不安は尽きません。
それはきっと、本来の“自立する年齢”が、やや先ながらも現実として見え始めてきたからだと私なりには思っています。
通学時間帯に街を歩く学生さんの集団や、背中に背負った部活動の道具類、“目標”を持っているのだなと感じます。そういうものがとても微笑ましい一方で、胸の苦しさも感じます。どうして、どうして我が子にはあんな学生時代が得られないのか。
比べることに意味はないとは知っています。それでも家の中では不遜な大きな態度で、外に出れば自信なさげに小さくなる息子を見ると、本当に、時々だけど涙が出そうになるのです。
私は、心が健康な状態でさえあれば、いつからだって社会に出ていけるのだと信じています。
だから私は息子が学校に行くことを辞め、自宅で過ごすことを認めました。無理に学校にやらせ続けて心を消耗させてしまったならば、それこそ真に取り返しがつかないと実感として危険視したことがあるからです。
息子が自宅で生産的に過ごすことを設計してやれないのは親の力不足の一つかもしれないけれど、
それでもですね、
息子くらいの年齢では、もはや親主導で何かをやらせる時期でもないだろうし、それをすれば過干渉とさえ思わんでもありません。私は私の人生を生き、合間にちょっと本人の気づきや機会を模索するためのサポートをするくらいしかできないだろうと考えています。
不安は本音では強いです。本当にどうなってしまうのかと悲観しながら、息子の心がどうか健康であるようにと生活基盤の維持をして、私は私の心を奮い立たせて日々穏やかに過ごしていきたいと思っています。メンタルはかなりギリギリです、苦しいものだなと思いますよね。
そんな折。
つい先日の朝刊で、『小中学生の不登校児童数が過去最多』である記事が一面に掲載されているものを読みました。
言ってましたね(↓)不登校児童の数は年々増加し続けていて、全く止まっておりません。
昨年時の不登校要因の分析は、一つは“コロナの影響か”というものでした。そんなものは「たまたまだ」とウチの不登校息子はしれっと言っていましたが、私もそうだと思います。なんか的がズレてる気がした。
そんで、今年の記事では要因分析にこれらが挙げられておりました。今年も私はそこはかとない違和感を感じるのですが、いかがでしょうか、皆様の実感には合いますか?
朝刊誌面より引用
- いじめの認知が過去最多となったこと
- コロナ禍で一旦崩れ得た生活リズムを立て直すのが難しいこと
- 無理してまで学校に行かせなくても良いという意識の広がり
▶︎ いじめの認知が増えたことは、大人が本気で動いている証拠です。遅すぎるくらいですが、進歩であり前向きで期待したいと思います。
▶︎ だけど次のコロナ禍で崩れた生活リズムって、え…何年前の話?…って思ってしまう。そんなに崩れっぱなしなの?そう思うのは私だけ?だいたい今の小学生の低学年はコロナ禍直下はまだ3〜4歳だし、
そもそも、当時の家庭の大半は、生活リズムなんて崩れていません。
我が家も朝に起きて夜に寝てたし、なんなら普段より気を遣って過ごしていたし、大人はオンラインでも定時までそれなりに仕事をし、子供達は塾にも行って、東京の私立中学の受験者数も受験率も増加し続けていたし、皆それぞれに進学していきました。
だから私にはそのようなご家庭が34万人のどれほどを占めているのかと、イメージはあまり湧かないのですが、何かそういう実例がたくさんあるということならばぜひ知りたいし、提示して欲しい思います。何かデータをご存知の方がおられましたら共有していただけないでしょうか(←調べる余力がなくてすみません🙏)。
▶︎ そして何より、私が強い違和感を感じるのはその次の文で、
“無理してまで学校に行かせなくても良いという意識の広がり”
って…なんかもう、本当に悲しいと思いました。そうじゃない、まだそんなことを言っているのかと悲しいです。
私は息子の不登校は、息子の心の健康を保持するための最終的な手段であったと捉えています。
子供の自殺が過去最多であるという報道もあり、“今の学校”は子供が自死を選ぶ“一因”です。その、『万が一にも死なれるよりは…』という、真に取り返しのつかない事態を回避する、追い詰められた親の覚悟がその後ろにあることが全く汲み取られておりません。
この分析をした専門家はさ、
不登校児の家庭の朝の様子とか、知ってて言ってるのでしょうか?親の心の動きとかどれだけ聞き取りしたのだろうか、自分の家庭内で同じ経験をしたことがあるのだろうか。
知っていたら、絶対に出ない分析だとさえ感じます。もっと他の、ちゃんとした人に代わってほしい。こういう認識のズレがある限り、今の不登校支援は絶対にうまく行きはしないでしょう。
不登校の状況としては「学校生活に対してやる気が出ない」が32.2%と最も多く、次いで「不安・抑うつ」が23.1%、「生活リズムの不調」が23%などとなっています。
不登校の小中学生 過去最多34万人余に 11年連続で増加 文科省
▶︎ 状況としての『やる気が出ない』も『抑うつ』も『生活リズム』も、原因ではなく結果でしょうね。これも視点が間違っているように感じます。
心が擦り切れるまで消耗し、耐えに耐え続けた末の不登校。そういう子の方が多いと思う。
そのような、自分の中で抱え込んで、すごくすごく頑張ってしまった子が疲れてしまったり学校に失望したりして意欲をなくし、学校にも足が向かなくなっている。
そんな視点が欠けている点で、今年の報道と内容には強い違和感を感じました。大人都合だし学校都合で、学校は悪くないのにと言わんばかりで、嫌な感じ。学校で傷ついた子や家庭が全く見えていないじゃない。
誰か“だけ”が悪いわけではないのでしょう。
不登校の子供が悪いわけじゃない。学校が悪いわけじゃない。
しかしながら、その組み合わせが悪い事例が34万人もに達している現状に、子どものやる気をなくさせ、好奇心を奪っている“何か”が存在することを、今の大人の一人一人がいよいよ課題意識を持っていく時期なのかなと思いました。
選挙も終わったばかりですが、どんな政策や支援を挙げようとも、これこそが日本という国家存続の危機の根源でもあるのではないかと思います。
ーーー書籍紹介ーーー
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私、お恥ずかしながら歴史には疎くて無教養なのですが、こちらの書籍はそんな無教養な私でも引き込まれるようにワクワクして楽しい気持ちで一気に読んでしまいました。ケネディ大統領の伝記はすぐにも娘と一緒に読みたいなと思ったし、この書籍をきっかけにさらに知識を求めていけるベースになるものであるとも感じました。
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