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“期待される正解”とは

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11歳・小5

みなさんこんにちは✨

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さて、今日は前回の続きを少し書こうと思います。

前回、私は11月の初旬に書いた“息子の大爆発”に関する話(↓)について、たくさんのご意見をいただき学んだことを書きました。柔軟な考え方をすることは大変重要なことです。しかしそれは我々にはなかなか難しいことも実際です。今後意識的に取り組んでいかなくてはならないことだと分かりました。とてもためになりました。

しかしながら、私はなんだかもう少しだけ割り切れない様な気持ちが残ります。

私はこの件を通して、息子の大爆発の向こう側には“期待された通りに振る舞う”ことを訓練するような学習/教育の在り様が見えてくるように感じています。これを少し考察し、多様性の捉え方について小学生の道徳の話にも触れながら記録しようと思います。

わたし
わたし

様々な特性を持つ人がいることを当たり前に受け入れたいと思います。思いやりと一工夫でそれぞれが生きやすい社会となるのです。

“期待される正解”は訓練して答えるものか

学習とは質問者の要求する正解を答える訓練か

今回、息子の小5理科の課題を通して、私は様々なことを教わりそして考えました。

受験とは、そういう側面があるのです。これをスキルとして捉え早く正確に答えるようにすれば良い。

今回についてはそれが正解であり、受け入れるべきことなのだと私はしっかり納得しました。

だけどなんだか一方で、少しのモヤモヤ感も残るのです。

こんなにも曖昧な条件を与えただけで、人格形成期の小学生に“期待される正解”を答えさせよう覚えさせようとする学習の在り方はいかがなものかと思う気持ちがどこかにあります。

つまりね。

察して、期待される通りに答えよと。

そう言われているように感じる点で、割り切れない思いがまだあります。

いただいたメールでも、こうおっしゃる方もありました。

かくのごとく、問題設定者の恣意的意図に対して正解を答えることを訓練させられる学習とは・・・。大人社会を含むこの時代という大きなくくりで見ても同様の問題点が多々あります。

質問者の要求する正解だけが得点を受け、それ以外は零点という構造の中で解答を続けるうちに洗脳状態が形成されてしまう恐れがあります。本物に触れることができれば何の問題もありません。中学生卒業くらいまでの辛抱です。

私はこの方のご意見を拝読し、あぁ、私のモヤモヤは完全にこの方に代弁してもらっていると大きく頷き共感しました。

 

今思っても、よく考えれば考えるほど、あの問題はやっぱり『学問的には』回答不能だと思っています。

もちろんね、“本番の受験”ではこんないい加減で曖昧な問題が出るはずがないと思っているし(←このテキストのレベルが低いと言っているのではありません)、息子は今は理屈が分かっていれば十分でありすでに息子の習熟度は目標に達していることも私はしっかり分かっています。

だから解決済みってことにして笑い話にでもすりゃいいのにさ、なんだかね、なんだかモヤモヤするのです。

このモヤモヤの正体はいったい何か。

それはやはり、いただいたメールにもあったように“こうあるべき”と誰かに勝手に設定された正解を察して書いた人だけが加点となり、そうでない人は基本的に得点0になるという不条理さなのかもしれません。

『意に沿わないものは切り捨てよ、意に沿うように訓練せよ』という同調の押し付けがその裏にあるようで、それでモヤモヤするのです。

道徳『かぼちゃのつる』に見えること

ところで小学1年生の道徳で、『かぼちゃのつる』という単元があるのをご存知でしょうか。私もこれは人から聞いた話がきっかけで知りました。現在の全ての検定教科書に採用されているとのことですので、きっと息子も1年生の時に読んだのだろうと思われます。

この話を知り、私は大きな驚きと憤りを感じました。

教科書の抜粋がありましたので転載します。

教科書資料を転載しています。

この話のあらすじはこんな感じ(↓)。

かぼちゃくんはツルを地面いっぱいにぐんぐんと伸ばすので、蜂さんや犬さんから「ワガママで迷惑だ」と言われていた。ついに道路にまではみ出して車に轢かれてしまう。みんなに『ワガママするから因果応報だ』と諭されて反省した。

なんでココにカボチャを持ってくるかな…作者の無知が見て取れるが、検定者も一体全体何考えとんねん。

いかがでしょうか。

このお話には様々な感じ取り方があるようです。

私はこれに大きな驚きと憤りを感じました。だけど『かぼちゃの自業自得だよね』と特段驚かない方も当然います。多様な受け取り方があって当然であることを最初に断っておきますね。

 

私が驚き憤った理由は、このお話には先程の、『意に沿わないものは切り捨てよ、意に沿うように訓練せよ』という『同調の押し付け』がまさに透けて見えるような気がしたからです。

そもそもにおいて、かぼちゃはつるを伸ばして成長する植物です。それはかぼちゃ本来の特性です。

当たり前に、かぼちゃはにんじんやトマトなどとは別のもの。かぼちゃは横に広がることでしか成長できない植物なのです。つまりこのかぼちゃくんは、生まれ持ったその特性で精一杯に成長しながら生きています。

かぼちゃは本当に“わがまま”でしょうか?

敢えて言うなら『環境が合っていない』とは思われるけど、このかぼちゃを『わがままだ』と決めつけることはとても思慮が浅いことだと私は強く感じます。

さらには車に轢かれて死んでしまって(健全な成長が妨げられて)も自業自得で、

車に轢かれてしまいましたとさ

と言わんばかりの結末です。

あんまりじゃないか!

現行の日本の教育においては、これが全国スタンダードの小学1年生の教材です。

指導内容では、かぼちゃを『悪い人』として見立てることで子供たちに『かぼちゃはどうすれば良かったか』を考えさせ、そして『周りの意見を聞くことは大事なことです』という着地点に至ることを目標としていることが書かれています。

だけどさ、それならそれで、別の伝え方があるんじゃない?

このやり方はあんまりじゃないかと思います。個を押し殺して“誰か”に合わせろと言うのだろうか。悪しき日本の『同調の押し付け』は教育の賜物なのかもしれません。

 

さらに危険な思想がこのお話には潜んでいます。このお話が、まさに人格形成期の子供の純粋な頭に曲がって入ってしまったらどうなるか

多数派の意に沿わないないことをしている人は『自業自得だと責めても良い』。

そんな暗黙のルールが生まれることが懸念されます。

轢かれて当然であるとか、自業自得だとか、個々の事情も鑑みないで攻撃して良いということにならないか。そうでなくても教科書の影響力は大きいです。それを肯定する基盤になってしまうのではなかろうか。

実際に、昨今のインターネット上の匿名でできるコメントなどはまさに自分都合で配慮のないものも多々あると聞きます。だけどさ、きっとそんな匿名コメントを書いている人は悪意じゃなくて“自分なりの正義感”から書いているんだろうねと思われますが悲しいですね。

 

この件を私に教えてくださった方は、

ご意見
ご意見

そりゃ日本では多様性を認めて尊重する人間は育たないよなぁ…

と思われたと仰っていました。

ほんまそれ。国民性は教育によって作られるのだ。

かぼちゃくんの話に戻ります。その特性で精一杯に成長している彼を少しでも擁護したい。

そもそも畑の境界だって、所詮は人が勝手に作ったものであるはずです。『ここまでにしてね』ってかぼちゃに事前告知はあったのか、その時にかぼちゃの同意はあったのか。蜂が『こちらへ伸びては行けません』と言うのは誰の指図か、だって蜂は飛んで移動するから、かぼちゃは蜂自身に迷惑をかけているわけではありません。犬も犬です。ちょっとよけたり跨いで歩けば済む話なのに犬はそれが困難なのか。車の運転者は最悪です。全く前を見ていない。それのみならず自分の行動で誰かの健全な成長が妨げられることがあったとしても知らんぷりで通過する身勝手さ。例えばそれは『悪気はないのよ』と言いながらもあからさまに無神経なことをして誰かに大きな心の傷を付けるような行為な訳です。

本当にかぼちゃだけが悪くて“自業自得”という結論で良いのでしょうか。子供に教えて良いのでしょうか。

世の中はもっと柔軟に、個々を尊重し合いうまく回るような“工夫”を設置するべきなのではないだろうかと思います。

個々に工夫を

話は少しそれましたが、期待されるように振る舞うことを訓練させられるような学習の在り方、それに適応出来ないものは“自業自得”で得点0。

そんな社会は誰にとっても生きづらいものなのではないかなと思います。

息子には、様々な事情を抱えた人、様々な考え方の人、価値観が多様であることを話していきたいと思います。その中でどうか彼も彼らしく、自分の特性を活用しながら自信をもって育ってほしいと願っています。

先程のかぼちゃには、ツルを伸ばしながらもその場所で伸び伸びと生きられる“支柱”を数本立てやれば良いだけの話です。そんなことでも“その環境”はぐっと良くなるはずだと思います。もしくはそこにもう1人かぼちゃが居るだけでもまた違った協力関係が生まれるかもしれません。これからの私の仕事はそうやって息子の環境を整える手助けをすることだろうと思っています。

 

これらの件は誰かが設定した謎の基準に無理に合わせるような“同調の押し付け”の考え方は、別の誰かの健全な成長を妨げる可能性があることを強く示唆しています。

息子もそれでパニックを起こし、今回は辛い思いをしたのだろうと思います。可哀想でした。

そんなことをまじまじと考えてしまった“その後談”でした。

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コメント

  1. K より:

     実は、カボチャの話、ちょっと前に息子2が学習したそうです。そして、ナント「あー自業自得の話でしょ」と言ったのです!!!
     地下鉄のホームで、どこのかぼちゃ愛好家か、という熱で、「ママならかぼちゃのために支柱を作って、他のほうに行かせてあげるよ」とか「かぼちゃはツルが伸びないとかぼちゃ作れないんだよ」とか語ってしまいました。息子2は「ママ、あれはお顔のあるかぼちゃの話だからね」と冷めたコメントを言っていましたが、それにしても!
     これは数週前の話なんですが、先日面談の時に、信用する担任の先生にユーモアに包んで、このことをお話ししてみました。先生も少し困ったような表情を浮かべていましたし、他のクラスでもそんなお話があったと教えていただき、少なくとも先生間でも話題に上るトピックなんだな、とは感じました~
     正直、少し頭の回る長男は裏読みすると思うのですが、素直な坊やに限ってこういう理解しちゃうのね、道徳、テーマとトピックに興味を持っておきたいものだ、と感じてしまう、そんな年末でした。

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