みなさんこんにちは✨
今日も当サイトを見にきてくださり、ありがとうございます✨
いやぁ、先週に書いた息子の“食品ロスへのこだわり事件”が今なお我が家では続いています😅
今朝もまた、朝食を食べきれなかった息子が大変納得しない不機嫌モード全開状態で登校していきました😩
私もね、一応声はかけたんですよ。事前に練っておいた作戦どおりに、
残したらお母さんがお昼ご飯に食べちゃうから大丈夫、食品ロスにはならないのよ♪
って。
だけどどうやら不十分でした。もう一工夫が必要だったみたいです。
個々の部分しか見えず、それらの部分同士の関係や全体像を把握することが苦手なことが自閉症スペトラムにおける“こだわり”の心理メカニズムの一つのようです。まずは受け入れることが大切です。その上で私ができることを考えていかなくてはなりません。
今日も不機嫌に登校して行った息子
食品ロスにこだわる息子
先週。私は下記の記事を書きました。
この日、息子が朝食の完食にこだわって小学校に遅刻して行ったことの背景には、学校で習ったと思われる『食品ロス』の授業プリントの影響がが大きかったと思われた、という内容です。
もちろん食品ロスについてを考えることも、自分でできる対策を講じて実践することも、それら自体はとても素晴らしいことなのです。SDGsの実現に向けて、息子たちの世代には特に重く捉えて欲しい課題です。
だけどね、生活の全体像を俯瞰すると、今は生活をきちんと回すこと、すなわち時間を守ることの方が大切なのです。安全な行動のためにも、そして社会の一員として参加している社会生活の観点からも必ず時間は守らなくてはなりません。
息子は物事を構成する個々の部分に囚われすぎて、全体像が把握できていないのです。
私は先週に書いた事件を受けて、これに対する対処もしっかり考えておりました。私が考えたのは、次にまた同様のことが起こった際には、
残したらお母さんがお昼ご飯に食べちゃうから大丈夫、食品ロスにはならないのよ♪
って声を掛ければ息子は安心するんじゃないかなって思ったわけ。
もちろんね、一番良いのは食事を残さずきれいに食べた上で時間通りに登校することです。だけどそれが難しそうだとなった時、いかに気持ちよく息子に朝食を諦めてもらうかを私は考えなくてはならなりませんでした。
それから割とすぐでした。
早速、同様の事件が再び我が家に起きたのです。
登校準備に手間取った息子
この日の朝、息子はいつもの朝学習をきっちり終えて、登校の準備を確認するために自室に戻っていきました。
普段であれば短時間で準備を済ませてダイニングに戻ってくるはずの息子ですが、この日はなかなか戻ってきません。遅いなぁと様子を見に息子の部屋へと行ってみると、息子は何やら難しい顔をしながら学校配布のノートパソコンをバタンバタンと開けたり閉めたりしています。
今日の時間割を確認したいのに、パソコンが全然つかないの!
と、息子は何やらプンスカ怒っています。
パソコンが起動しない?どうしたこっちゃ。
どうしてだろう。バッテリーは?昨日の夜はきちんと充電してから寝たんだよね?それとも別の故障であればちょっと大事になっちゃうよ。お母さんが見ようか?それとも学校に行って自分で先生に相談できる?
私がなんとなしにそう尋ねてみると、息子は(彼にしかわからない理屈による)逆ギレ状態に突入しました😩
昨日!パソコンを充電してから寝ようと思ったのに!パソコンが充電されていなかったの!
僕は!やろうとしたのに!充電がされていなかっただけなんだよ!
…あんたそれ、『やってない』ってことと何が違うん?
ってか、時間割の確認も含めて昨夜のうちにやっておく約束でしょう。
今夜からまた気をつけて。(このアホタレが…)
そんな“息子あるある”な毎度のやりとり(←自分の不手際を隠そうとして理不尽に興奮する息子。自己防衛であろうが、うんざりします😩注目してはいけません。)を交わした後に、それから息子はPCのバッテリーの充電を開始しました。そしてPCが起動できるようになってから息子は登校準備を始めたために、この日は朝食の開始時間が遅かったのです。
やっぱり食べ終わらなかった
案の定、この日も息子が朝食を食べ終わるより先に、朝食の終わりの限度の時間の方が先にきました。
朝ごはんはそこまでにして、準備をしなさい。
私は息子にそう声をかけたけれど、やっぱり息子はこんな反応を返してきました。
食べるの!!残せないよ!!
残したらお母さんがお昼ご飯に食べちゃうから大丈夫。食品ロスにはならないのよ♪
私は先週から考えて温めておいた対処法を、含み笑いで繰り出しました。
!
すると一瞬息子は怯みました。よし、効いた!👍🌟
だけど惜しい!
これは自分の責任なの!お母さんが食べたら意味ないの!
たぶんあれやな。息子が私の声かけで安心するには、ちょっと息子は別の要因で既に興奮し過ぎていたってことだろうな。だけど方向性としては悪くなかった、ということで次回からは効くでしょう。
息子の興奮はおさまらず、息子はガチャガチャと食器をキッチンのカウンターに下げたと思ったらラップを出して食器にラップを張り始めました。
しかもそれが、生来不器用+ラップなんて日常的に扱わない息子のやることでありますので、ラップも出したそばからグチャグチャになってみたり、お皿に上手く張れなかったりしてこれまた時間がかかります😂
それを私は冷静さを保ちながらも見守ります😂
ぜんぜん上手くはれないよ!ラップが悪いんだよ!
もともとイライラしていた息子はもう“爆発”の寸前です。
あぁもう…そうこうしてる間に登校時間はどんどん過ぎてゆく…😭
だけど言わない。着目しない。好ましくない言動には反応してはいかんのです。(←ペアトレの基本👍)
だいたいさ、そんなにイライラしながらラップをはることに何分間も苦戦をするなら、いっそ残りをバッと食べちまえば良いものを…頑張ったらあと二口くらいで完食できるんじゃないんですか?
…っていうのも、言いたいけど言わない😩
あとね、夜まで置いておくならば、せめて冷蔵庫に入れなさいよ!
…って思うけどそれも言わない😩
もう息子には一刻も早く登校してもらわなくてはならない時間でしたので、私はここで余計な刺激をいれるべきではないのです。全体の利益(間に合うように登校する)が最優先。
そんなこんなで、この日も結局息子はやや遅れ気味で登校し、息子が朝食に残したカレーは私がお昼に食べちまったけれど(←😂)夕方に帰宅してきた息子はそんなことはあまり気にならないようで蒸し返すことはありませんでした。(←息子にとって重要なのか重要じゃ無いのか分からんけれど、私から見た事実としてはそうでした。)
こうしてこの日も無事に(?)我が家の1日が終わりました。
こだわりの心理的メカニズムから検討する
これも“こだわり”の為せる業だと受け入れる
このような息子の“木を見て森を見ず”のような状態になりがちなことは、彼は幼い頃からしょっちゅうです。
そのこだわりは、幼い頃は靴の履き方だったりミニカーの並び方だったりしてきましたが、成長に伴いこだわりの質も変化していて今は彼は『食品ロス』に大いにこだわりを向けています。
かつて、息子の特性に対する私の理解が不十分だった頃。
細部にばかり拘ってしまって優先順位をつけられなくなり混乱する息子に対して、私は『もう10歳なのに、そんなこともわからないの!?』というイライラの気持ちを抑えることができませんでした。
これは、悪循環以外の何者でもありませんでした。
だけど、今はそうではないです。少しは私の理解が進んでいます。
今の私は、
『今最も達成しなければならない大目標は何であるのか』、『何から開始することが適切か』一つ一つ説明し、息子に“やり方”を示しながら教えることも可能です。そのためにはどのような言葉がけが適切なのかを、ずっと探究しています。
重要なことは、息子は“息子の当たり前”の中で生きていることをまずは受け入れることだと思っています。
食品ロス(細部)にこだわってしまって学校に遅刻してしまった(全体像が見えていない)としても、それをさせるのが息子の特性なのです。まずはそれを受け入れる。
決して言ってはならない言葉があるはずです。
今回の例で言えば、具体的には、
『食品ロスなんて今はどうでも良いでしょ!』
というような、本人のこだわりを軽視するような言葉がけ、さらには『今は』などという臨機応変な条件付けは一気に彼に大混乱を引き起こすだけで、本人にも周囲にも利点は一つもありません。
これも全て“彼の特性”が為せる業なのです。
特性ならば仕方なし。受け入れるしかないのです。
そのこだわりは止められないと、まずは周囲が認めることが大事なのだと私はようやく気がついてきたのです。
弱い中枢性統合説、というらしい
先日に読んだ本に、このような“こだわり”のメカニズムを説明する認知心理学的概念が書かれてありました。まだ途中ですが、自閉症スペクトラムの状態像が多角的に記述されており、彼ら/彼女らをどのように理解すれば良いのかが体系的に書かれており、さらにはおのずとその対処について見えてくるような非常に充実した書籍です。
私はこの本で、弱い中枢性統合説という言葉を知りました。
“弱い中枢性統合説”というのはDr. Uta Frithにより提唱された認知心理学的概念で、自閉症スペクトラムの人たちは物の見方が全体像を把握してから部分を見るのではなくて、“個々の部分しか見えていないため、それらの部分同士の関係や全体像が見えづらい”のだとする仮説です。
中枢性統合が弱い人は、多くの情報や文脈の中で何に注目するべきかの処理が独自なのです。息子のような人は、そんな独自の思考のために全体的な意思決定が影響を受けるのだということです。
“独自”と言う単語を使いました。決して“劣っている”のではないことをここで強調したいと思います。
ほらね。
息子の“木を見て森を見ず”の状態像は、こんな分厚い書籍にもしっかりはっきり『説』として書かれているような特性なのです。
こんな記述を目の当たりにすると、『意味わかんない!』とか『どうでもいいでしょ!』とか言えなくなるよね😅
それを言う方が無知なのですよ、って無知の罪を思い知るような気持ちになります。
周囲の理解は重要です。
彼のこだわりは止められないと受け入れて、その上で私は何を彼にしてやれるかを考えることが必要なのです。
息子に納得を形成させるために
こだわりを止めることは不可能である。
しかし、周囲に支障が出ている(今回で言えば学校に遅刻する)ことは実際起こっているわけです。
私ができることは、大きく分けて2種類です。
- 他のことに支障が出ていることを認識させて、本人に対処方法を考えさせる
- こだわりから一歩離れるために、彼に新しい納得や意味づけを形成させる
今回の場合、まず①として、
食品ロスはとても大事な問題だよ。しっかり考えられて素敵だと思う。その意識はずっと持ち続けて欲しいと思っているよ。
それでも、学校に遅れてしまっては困るよね?
そう言ってまずは視点を変えて、『他のことに支障が出ている事実』をただ本人に認識させれば良いのだろうと思っています。
すぐには難しいかもしれないけれど、支障の事実を認識できれば息子には対処を考える能力は備わっていると信じています。
並行して、こだわり自体への新しい意味づけを形成させることも大事かなって思っています。
これについてはお友達が息子にナイスなアドバイスをくださいました。
『食べきれないのに大盛りを注文して残すのは罪だよね。ビュッフェで食べきれない量をお皿に取ることも罪である。しかし通常の食事を、事情があってどうしても食べきれないシチュエーションも発生するだろう。その時は感謝をもって対応すればOKなのだと僕は思う。』
食品ロスと一言に言っても、罪になる場合と感謝に置き換えることが可能な場合があるんだよと明示した点において、非常に分かりやすい伝え方だと思いました。
とにかく、このエピソードは息子の特性を非常によく示す、極めて息子らしいエピソードだと改めて感じる次第です。
これからも息子は様々な価値観に接するたびに、このような混乱を起こしながら成長するのだろうと思っています。
だけどいつか、きっと息子自身の内面から『どうしたら上手くやれるか』と考えるモチベーションが起こってくると信じています。それまで私は息子のこだわりを否定せず、私は息子が気が付きづらい全体像を知らせながら認識を持たせていって、息子ができる工夫を促し続けていければ良いのだろうと思っています。
長い目で見ていくことになりますね。
ええ、わかってますとも。
必要とされる限りは、いつまでも見守りたいと思います😊
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