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突然ですが、今日は『自閉』という言葉について考えてみようと思います。私は予てから、自閉症スペクトラムの『自閉』って言葉の意味合いが難しいなってずっと感じておりました。
何が閉じているんだろう?
どういう状態を表して、こういう言葉になったのだろう?
私は息子を見ていて、“閉じている”感じはしないのです。むしろ時にはバーーン!と感情を開放するし“開いている”感じの方がするけどね。だから『自閉』の意味がしっくり分からず、ずっと頭のどこかでこれをモヤモヤと考えてきた気がします。
だけど先日、息子の様子を見ていてふと『あぁ、こういうことかもしれないな』って、理解の一端が見えたような気がした出来事がありました。本当に些細な話です。
自閉症スペクトラムの“自閉”ってさ、
『自らの趣向や興味関心が向くもの以外のチャンネルは閉じている』
ってことなんじゃないかなー?って思ったのだけど、どうだろう。
誤解や偏見を避ける意味でも、言葉の意図は大事だろうと思っています。事実、無知は勘違いを呼ぶことを私は経験しています。
今日は“自閉”という言葉について振り返ってみたいと思います。
自閉ってなんだ?
何が閉じているんだ?
字面の話になりますが、自閉症スペクトラムの“自閉”って、すごく難解な言葉のような気がしませんか?
いったいどういう意味だろう。
私はそれがなんだか引っかかり、ずっとどこか頭の隅でそれを考えていたような気がします。
一つは、従来からの呼称である“自閉症”、すなわち古典的な狭義の自閉症、発見した医師の名を取り「カナータイプ」とも呼ばれる症候群のイメージが強いだろうと思います。
この症候群は、長期にわたり社会的相互作用に重大な障害または不可能状態が続くものです。このことから“自分の中に籠る”とか“自らと世界の間を閉ざす”という表現の意図において『自閉症』という呼称になったのだろうと想像することは可能です。
しかし現在、このカナータイプも含めて自閉症は“自閉症スペクトラム”と呼ばれています。
自閉症に特徴的な症状はいずれも連続性を持つほど幅広く個々に表出するので、グレーゾーンや障害ではないタイプの人たちまで含めて考えるところが“自閉症スペクトラム”という言葉の特徴です。
しかし、カナータイプの症状から生まれた“自閉”という単語がスペクトラムの根幹に据えられていることで、私はどうも自閉症スペクトラムの捉え方に難解さや誤解が生まれているのではないかと感じて来ました。
これまで、私自身にも自閉という言葉に対する誤解がありました。その誤解のために、かつての私には“受容の拒否”が起こったことも事実です。今の私は、このようなことは起こらない方が望ましいと思っています。
私の息子が1歳半検診の時に医師から指摘を受けた時です。
『自閉傾向があるかもしれないので、療育機関に相談に行ってみてください』
そう言われても…
私にはなんのことかサッパリマッタクわかりませんでした。
だって息子はめちゃくちゃ可愛い子供でした。
保育園でも愛されていて、いつもニコニコ、発語は少し遅かったですがそれも成長に伴いすぐに気にならないほどに追いつきました。
そりゃあ癇癪を起こしたり拗ねると長いとか、なかなか寝ないとか手を繋いで歩くことをとても嫌がるとかはあったけど、お友達との関係も良好でしたし、好きな物、興味や好奇心も人並みだったと感じていました。
その彼の、一体何が閉じているの?
って私は心から憤ったのです。
この件は当時の息子の担任保育士にも相談しました。
よく笑うし、自閉傾向なんて感じませんよ!
彼女は確かにそう言いました。
この時、私も、そして担任の保育士さんも、
『自閉』=『人付き合いをせず、自分の中に閉じこもっている』
という意味で根本的に誤解をしており、“自閉症スペクトラム”を完全に履き違えていたのだろうと思っています。
無理もありません。カナータイプの自閉症の症状のイメージがどうしても強いのです。その症状と日本語の字面も見事にマッチしています。そのイメージに囚われてしまうことは、素人である一個人にとっては無理の無いことなのだろうとは今になれば理解できます。
しかしながら“自閉症スペクトラム”にまで目を広げると、『自閉』は決して人付き合いをしないとか自分の中に閉じこもるとか、そんな意味合いは薄れて来ます。
だから私たちは、より現状に近い意味合いを持って“自閉症スペクトラム”を理解しなくてはならないのかもしれないなって、そう私はずっと考えておりました。
一部のチャンネルだけが閉じている
息子はむしろ“開いている”と思うのに
私が息子を見ていて、息子が“閉じている”と感じることはほとんどないです。
関心のある事柄に対する好奇心や集中力なんかは割と強い方だと思うし、情報を求めて探求したり試行錯誤も上手なもんです。
もっとやってみたい!
そう言ってくることも多々あります。むしろ息子は“開いている”と思うのです。
だけど息子は、これまで機会と必要性が無かったために未診断ではありますが、『自閉症スペクトラム』の傾向が強いだろうとは思われます。
自閉、すなわち彼に“閉じている”という表現が当てはまるとしたら、それは一体息子のどんな面を指して言うのだろうか。
それが先日、ちょっと分かったような気がしました。些細なことです。だけどきっと、そういうことなんだろうなぁって私が妙に腑に落ちたというかなんというか😂
テストの“自由回答”が書けなかった息子
つい先日、息子が受けた模試の結果を受け取りに行った時のこと。
その結果について私達は塾の講師から説明を受けて、今後の課題を洗い出すための面談を受けておりました。
模試は全体的に良くできていました。息子は賢い子です。勉強自体にも慣れてきて、最近ではテストでもしっかりと点数を取れるようにもなってきました。
しかしこの時一つだけ、息子が白紙のままで回答を書かなかった問題があったのです。講師はそれに言及しました。それはこのような問題でした。
【問】 水を大切にするために、あなたは普段の生活の中でどのような行動ができますか。具体的に説明しましょう。ただし、生活が不便になるような行動は除きます。
言わば“自由回答”の問題でした。
このような問題には、正解は定められておりません。自らの意見を文章として何かしら書ければOKです。いわゆる『自主性』をはかりたいのか、とにかくこれはサービス問題みたいなもので書かないことは損でしかない問題なのです。
しかし息子はこれに対して何も書かなかったようなのです。
塾の講師にも言われました。
これは何か書いて欲しいところでしたね。
「雨水を溜める」とか「蛇口をこまめに閉める」とかでも配点の満点分がもらえるのですから。
だけどこれを聞いた息子がなんとびっくり大混乱!
いきなり涙を流して泣き出しました。
ひどい!精一杯がんばったのに!
わからないから、わからないんだよ!
私もびっくり驚きました。だけど一応、息子の理解を助けるために私が言えることを言ってみました。だけど息子には伝わらない。
泣かないでいいのよ。これはさ、自由回答なんだよ。何を書いても内容に沿っていれば良いみたい。
こういう問題も存在するから次からは何か書こうね、ってそういう話をされただけだよ。こういうパターンの問題に出会ったのは初めてだったんだよね。あなたを責めたり、否定しているわけではないんだよ?
責めてるよ!
僕は!僕の考えがあって書かなかったの!
何にも知らないくせにひどいよ!
私も夫も、もちろん講師もびっくりです。
だけど息子は聞く耳持たず。
完全に泣き出してしまって涙を流しながら、
わからないものはわからないんだよ!
と泣くばかりでした。
自由記述の指示は苦手である
私が何を言っても、もはや息子には届きません。夫が落ち着くようにと諭しましたが、それも完全に火に油。塾の講師も戸惑っています。
さぁ困ったね。まさかこんな流れになるとは。
何か書いて欲しかったところですね。
はい、次回からはそうします。
ただ、そういう流れになるんだろうと思っていたのに。
その場の大人たちは困ってしまいました。
息子は一体、何がそんなに受け入れられないと言うのだろうか。
とはいえね、実は私には息子の気持ちもわからんでもないのです。
私自身もそうだったのです。
自由作文などの“お手本や正解のないもの”を作り上げることを私はとても苦手としました。息子にもまた、同様の傾向があるのだろうと思うのです。
私には自由作文や絵などにおいて、『何を書けば良いのか皆目検討もつかないよ…』という気持ちでずっと下を向いて座っていたような経験が多々ありました。
『なんでも書いて良いんだよ』という指示を、子供の頃の私は全く理解できませんでした。
『これを書け』と言われた方が、よっぽど対応が可能でした。
そんなことを思い出しました。
今回の息子も、突然にテストの中で『節水のためにできることを、自由かつ具体的に書きなさい』と問われてきっと混乱したのだと思われました。
外部の声が届かない
もちろんこれは成長に伴い、経験でカバーできる技能です。心配する必要はありません。私自身も子供の頃はこういった類のものをとても苦手としていましたが、ある程度の場数を踏んでコツと要領を得ていくうちに少しずつ対応可能になりました(今では何かを作ることはむしろ得意だし楽しいです)。
とはいえね。
目の前の息子は大きく取り乱しているわけです。
塾の講師の、
ただ、思ったことを書けばよかったんだよ。
そんな言葉も彼には全く届きません。
わからないものはわからない。思ったことも何もない。想像さえもできないのに、どうして回答が書けるのだろうか。
きっと息子は頭の中でそう思っているのだろう。私はそんなふうに感じていました。
さらに困難なことに、息子自身はそんな自身の混乱を自分の言葉で説明することができません。
息子はそれをきっかけに泣き通しました。
それは完全に外部からのアクセスを許容せず、何を言っても彼には受け付けられていないように見えました。
自閉とはこだわりに反するものを受け入れづらくさせる特性である
自閉症とは、DSM-IVにおいて以下の3つの特徴的な症状を併せ持つことを定めています。
- 対人的なコミュニケーションに質的な障害がある
- 意思伝達に質的な障害がある
- 強いこだわりや固執行動、常同行動がある
これらの症状の表出の仕方が多様で幅広く、かつ連続性を持っているために出来た言葉が“自閉症スペクトラム”です。
中でも私は、彼ら/彼女らの言動の常に中心に位置しているのは『強いこだわり』という部分かなと思っています。何だかね、息子を見ていて彼の言動は概ね『こだわり』と『感覚過敏』で説明されるような気がしていますよ、最近は😂
今回の件も、息子の『こだわり』が影響していそうです。
こだわりとは自分の関心、やり方、ペースの維持を最優先させたいという本能的志向のことです。
彼にとっては、自由に回答することは本能的にどうしても難しいことでした。
すなわち本能に反するものを全て受け入れづらくさせてしまう。それが“自閉症スペクトラム”における“自閉”の本態なのかもしれません。
自閉がなければ、
はい、次回からはそうします。
って言えるのだろうと思います。
だけど彼のそのチャンネルは閉じています。きっとどこかには備わっているのだろうとは思われますが、今は完全に“閉じて”いるので、周囲のアドバイスを受け入れることができません。
だから今回の講師の言葉に、泣き出すという過剰な反応になったのだろうと思ったのです。
そんな“自閉”は、彼の大きな特性です。
一方息子は、閉じたチャンネルも存在するがオープンなチャンネルも備えています。それは大きくてどこまでも遠くまで広がっていると感じることも事実です😊
仕方ないよね。
そんな偏りも含めて、彼は彼らしく育っていったらいいじゃないかと思えてきますね😊
今回はちょっと大変な面談ではありましたが、私にとってはそんな”自閉”という言葉に対する自分なりの解釈を得たような、ちょっと心がスッキリしたような機会となりました。
偏りのある子であることは、ずっと前から知ってたことです。今更どうとも思いません。
むしろ面白いものだね〜って、彼への興味は一層強くなる感じ。本当に面白くて、可愛い大切な息子です😊
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