みなさんこんにちは✨
今日も当サイトを見にきてくださり、ありがとうございます✨
いやー。なんかバタバタ。
今日の私は息子の通塾(夏期講習)が佳境なことと、息子の夏休み満了に向けた宿題の片付けが佳境のため(忙しいなヲイ!💦)あまり時間がありません。この辺りの地域は来週から学校が始まります。始まるまでが忙しい😭
そんなわけで今日は書きたいなと思っていた、先日に書いた“大人になればマシになる?-私の場合-”シリーズ(↓)について反応していただいたことへの感謝だけお伝えしようと思います。先のシリーズはなぜか(?)アクセスもちょっとだけ多くて、これに対するいくつかの反響のメールもいただいています。
当サイトの記事に目を通していただいたのみならず、思い思いを私に伝えようと思い立っていただいたこと、さらに実際にメールをくださるまでのアクションに繋げていただいたこと、全て大変ありがたく拝読しています。中には最後の話を読んでいただき自身の経験についてすぐにメールをくださった方もおり、嬉しく思いました。
お返事は順次と思っておりますが、私がPCに向かえる時間も1日の中で限られておりますので少々お時間いただいております。交流や意見交換は私にとってとてもありがたいことです。まずはここでお礼の気持ちだけでもお伝えさせていただきたく存じます。
ありがとうございます!またよろしくお願いします!😊
ところで。先の記事は、まぁ誰か興味あるのか知らんけどとりあえず書いてみるか、くらいの気楽な気持ちで書き始めました。長文になって恐縮でしたが、これでもだいぶ短くしました😅(端的な文章が下手ですみません💦)
メールをくださった方々は、ご自身が発達障害(思い当たる、傾向があるなど含む)、もしくはお子さんや近いお身内の方が同様などで“なんだか上手く行かない感じ”や“生きづらさ”を感じた経験のある方がほぼ全て。
私も『わかる!』と共感しまくりのこともあるし、私のかつての言動がご自身(お子さん)に重なり『なるほどそういうことだったのか』と腑に落ちたと言ってくださる方もいらっしゃいました。
メールを拝読していると似たような青年もいるんだなぁと思って不思議(+がんばれよ)な気持ちなったり、反対にもっと周りに頼ればいいのにって心配になってしまう話も聞きました。
また、私に対するいろいろなご意見もいただきました。あくまでご意見の一つとして紹介(引用をお許しいただきました)しますが、『私はなんだかんだ上手く生きてきた(←そう見える?)のだし、私のそれは発達障害ではないのではないか』と言われる方もありました。なるほど、私の場合は“困難”が軽度に見えるとのこと。それに私は確かに診断を受けたことはありません。これまで診断を受けようとする機会がなかったのです。
ここでふと、私はこれに含まれる重要な視点を感じました。
我が家でも、息子に診断を受けさせるかどうかは先日までの検討事項でした。息子本人は必要ないという意見でした。また、担当の臨床心理士の方も、息子の困難は今のところ家庭でサポートし吸収することが可能なため診断は必須ではないというご意見でした。
発達障害かそうじゃないかを区別することって、実はそんなに意味がないと今の私は考えています。そもそも発達障害はグラデーションの個性です。困難は困難としてそこにあるものだし、それが軽いとか重いとかは誰にも計れない。そんな議論は誰も救わないなと思います。
今、ここでは相互に承認し合うことが重要なのではないかしらと私は思います。そういう人もいるのねと認め合い、そして各人が幸せになるための力を育むことを応援する。さらに可能であれば、そんな土壌を拡げるために協力する。当サイトは私の息子の成長記録(+情報発信・収集)のためのものですが、併せてそんなことも目指していければ良いんじゃないかなぁと思ったことも今回得られた学びの一つです。
さらにところで、当サイトは以前よりコメントを寄せていただく機会よりもメールを直接いただく機会の方が多いです。(どちらも嬉しいでーす!)
コンタクトがメールに偏ることを、以前は『なんでかなー?』って不思議でした。しかし先日の一連の記事に対していただいたメールもそうなのですが、私への話は大体『個人的な内容』が関わってくるため、誰もが見るコメント欄には書きづらいものなのだと納得しました。なるほど。
とはいえ“コメント”と“メール”は相互に関係するところも面白いです😊
先の記事を書くきっかけになった
『Naomiさんがどうやって丸くなっていったのか知りたいです』
というコメントに対し、今回メールをくださった方のうち何人かが『私も聞きたいと思っていました』など書いてきてくださったことは面白いなと思いました。
顔は見えない同士だけど、なんだかゆるーい相互作用があるのねぇ。と、これを興味深く感じました😊
ちなみにメールはこちら。当サイトについて思うところありましたら、ご遠慮なく『お問い合わせ』(↓)よりお知らせください。少しお時間いただきますが、時間がある時にお返事差し上げるようにしています。
なお、いただいたメールの内容について、特に個人的な部分については絶対に他言しないことをお約束させていただきます。お名前なども伏せていただいてOKです。
だけどね、もしお許しいただけるようでしたら、私に対するアドバイス等に関わる部分や印象に残った&勉強になった文言については、あくまで差し障りのなさそうな部分においては当サイトの端々で引用させていただくことがありますことご了承いただけるとありがたいです。(その際は一声相談させていただくようにしています(事後のことあり💦)。嫌だったらご遠慮なく言ってください。)
今夏の息子の夏休みの宿題は、なんとか数日の余裕を持って概ね出来たことは私にとって大きな安堵、大変喜ばしいことでございます。自由研究はなんやかんやと息子が強いこだわりを発揮してしまって少し時間がかかりましたが、それも今日の確認と仕上げで完了予定!
がんばったぞ、息子!(私もがんばったぞーー!)
そんなわけで時間がないので今日はここまで。
皆様におかれましては、どうか今後ともご指導のほどよろしくお願いいたします!
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コメント
書いてくれてありがとう!Naoさんのこのシリーズにはとても励まされました^_^きっと我が子もいつか気付くと信じていいかも、って望みをくれたよ🌟
「成功すればギフテッド、躓けば障害」←こんな表現していいのかわからないけど、私の認識。
“困難”の軽重やら他人からの見え方も、結果論かプロセス重視かで変わるかもね。
そこに至る「途中の努力の過程」が側からは見えないことが認識が相違する原因のひとつでは、と今回の記事を見て私は思ったよ。
このシリーズで、経緯を知ったら努力の賜物だと思うけど、
今のNaoさんの姿や生活、肩書きなんかだけを見ると困難があったなんて気づかないもの!
Naoさんの人生は連続してるのだけど、「幼い頃の瞬間」を切り取って見るのか、努力の結果として存在する「今」のNaoさんを見るのかでも判断はかわるよね。
もちろん努力できる力があったという「土台のあるなし」は絶対的に差が出るのでしょうけど…
まだ幼い息子の「今」だけではなく、連続した先の「未来」を信じさせてくれてありがとう(๑˃̵ᴗ˂̵)
コメントいただきありがとう〜!案の定?長文になったけどお付き合いくださりありがとうございました。書いてみて私も気づくところいろいろあって勉強になったの。きっかけをくれて、本当にありがとう!
「躓けば」という言葉、怖いけど真実だと思います。深刻なのはやっぱり二次障害だろうね。また、まさに「二次障害」ってやつじゃなくても心根が卑屈になってしまったり、人の幸せを喜べないとか意見を聞けないとか、そういうものも全力で避けたい事項。ストレス少なく、できるだけ素直に育ててやりたいなぁと思うけど具体的にどうすれば良いのかは手探りなのよね…
息子君は笑顔で挨拶もできるし(←子供の頃の自分に爪の垢などもらいたい!)、将来がとても楽しみだよ。私、挨拶ってすごく大事だったと思ってる。挨拶ができれば社会に入れるし、きっと助けてくれる人も現れる。何より息子君は受け答えもしっかりしてるしお顔も綺麗な美男子だし、そりゃあママは毎日大変だろうけど、きっと素敵な未来が待っていると思います^^