みなさんこんにちは✨
今日も当サイトを見にきてくださり、ありがとうございます✨
東京も、だいぶ秋らしくなってきましたね。標高の高い山は紅葉が始まっているようです。
ところで、当サイトをよく読んでくださっている方々からよく言われる感想・ご意見には何となくキーワードがありそうです。
一つは“共感”。
『わかる、うちもそう。私もそう。』など。
そういう感想が多いです。
もう一つは、ちょっと意外なんですが“文才”というワードが散見されます。
『文才でカモフラージュされているけど、命が削られそうなほど大変だったのでは?』『毎度の文章力にうっとりしてしまいます。』など。
もし私に“文章力”というものがあるとすればそれはひとえに昔っからの読書好き&研究者時代のトレーニングの賜物なんですが、頭の中にあることを率直にアウトプットすることってやはり結構難しいなと都度感じています。でも褒めてくださる方がいるのは嬉しいです。褒められついでに調子に乗って、もっと精進したいなと意気込んでいます😊
さて、今日は私の重要な使命:“息子についての理解を求める(=誤解を減らす)”ことについて記録しておこうと思います。
万人に理解される必要はありません。だけど『この人には極力誤解されない方がいいだろう』という相手が必ずいます。今回は息子の担任教諭についての話です。
それが彼の生きづらさ
計算ドリル隠蔽事件を受けての教育相談
息子に関して。
彼が異変を呈した2020年の一斉休校。
我が家は様々な専門家・支援者の力を借りて、なんとかかんとか体勢を立て直しながらやってきました。
その一つは臨床心理士による教育相談。区の教育センターによる支援の一つで、私たちは2020年の6月から今も定期的に通っています(↓)。
当初、全くの無知であった私にとってこちらの機関に繋げていただいたことは幸運でした。私は今もこちらを心から頼りにしています。どんなことでも相談します。
息子についての理解を深めるべき困った言動への対処の仕方を相談し、息子の心理に基づく接し方についての議論をする。知りたいことや確認したい事柄についてを尋ねることや、専門家からの意見を求め、時には私の勘違いや思い込みにストップをかけてもらったりもして、毎回とても有意義な相談時間を得られています。
今夏の夏休みの少し前、我が家で発生した“計算ドリル隠蔽事件”がありました。
これについて私は息子の特性を根本から考え続けました。そして自分なりの一つの結論として、画一的なやり方は息子には合わない、今後は息子の“成長”を基軸とし、彼にとってのBetterな方策を探していこうと決めました。
その上で、私は今月の教育相談において担当の臨床心理士さんは何とおっしゃるかが聞きたいなと思っていました。
私は息子のことや自分の考えを率直に話し、『どう思われますか?』とお尋ねしました。
担任教諭には誤解されない方がいいというアドバイス
担当の臨床心理士さんはとても息子を理解してくださっていると感じます。この方は実際に息子の心理(知能)検査を実施してくださった方でもあり、専門的な数値の意味合いを知っているという点においては、この方はもしかしたら私よりも息子の心理を学問的に把握している方なのかもしれません。
この方から得られたアドバイスは率直でした。
意欲が『(計算ドリルを)やる』という方向に向いていないのですね。計算ドリルが本人にとってどんな意味があるのか、なぜやるのかが本人には全く納得ができていないからです。実際に彼の心理検査の時でも、繰り返しの単純作業に入ると途端に嫌な顔をしていましたよ😅
おそらく今後、彼にはますます画一的や一方的なやり方は向かなくなります。
そこが、彼の生きづらさなのです。
夏休み前に計算ドリルを仕上げたことは、本当に精一杯の努力の結果だったのでしょう。先生は特に反応を返してくださらなかったとのことでしたが、担任の先生には彼の精一杯の努力の形であることを分かってもらった方が良いと思います。担任の先生には、誤解されたくないところです。
その上で、担任教諭から学校教育的に“なぜこの課題をやるのか”を説明してもらってはどうでしょう。やりたくなる意欲、やる意味、やった結果認められるという経緯で彼も変わるかもしれません。
この時に受けたアドバイスが、私にはとても腑に落ちるものでした。
そう。
息子は息子の最大限の努力を尽くしているのだ。
それが他の人とは少し異なる表出になるかもしれない。
『一体何がそんなことに難しいことなの?』
他人が見ればそう思われるようなことかもしれないけれど、息子にとってはすごくすごくハードルが高い作業であり、それが息子の生きづらさの本態なのだ。
このことを、担任の先生には分かってもらった方がいいだろう、誤解されたくないところだ。そのアドバイスは私のやるべきことを明確に示しました。
わかりました。近いうちに担任教諭に面談をお願いしてみます。
それが良いと思います。
あと、今後の親子関係を考えると教育課題に関することは先生の力を借りた方がいいでしょう。親には無理なんですと率直にお伝えしても良いと思いますよ。
確かにこれもおっしゃる通り。
学校の教育課題として課される計算ドリルについては、やる/やらないを含めて先生側に頼ってみる。親子関係が悪化してまで家庭で抱え込むことではありませんよと言われたようで、どこかホッと安心したような気持ちがしました。
そんな教育相談での助言を受け、私は担任教諭に面談を申し込もうとタイミングを伺っておりました。
しかしある日の夕方に職員室に電話を入れても担任教諭はちょうど退勤された後ですれ違い。それからもなかなか都合が掴めなくて、1週間ほどこの件は保留状態になっていました。
担任教諭からの電話
突如得られた面談機会
そんなある日。
ちょうど我が家で息子のスマホ解約事件(↓)が発生したたった2日後に、息子の担任教諭から私に電話がありました。
その内容は、息子が学校配布のChromebookに過集中してしまい、体育の移動や帰りの会といった全体行動に支障が出たためChromebookを一時的に預かっている、というものでした。
私はショックを受けました。
家でスマホに依存して、それを取り上げた途端に学校でChromebookに夢中とは…
担任教諭からのお電話は『Chromebookを預かっておりますので』というお知らせだけでしたが、私は先生と話す機会を待っていました。
これは良い機会だろう。日頃の様子も聞きたいし、この場で面談の約束を取り付けよう👍
これ幸いと、私は先生に申し出ました。
息子に関しては、教育センターで教育相談を継続して受けています。そこで担当の臨床心理士さんより、『必ず担任教諭に伝えた方が良い』と言われたことがありますのでお会いしたいと思っていました。
直接お話する機会をいただけないでしょうか?
勤務時間中であれば今日でも明日でも大丈夫ですよ👍
なんて柔軟なんだ。ありがたい。
『ありがとうございます、それでは本日これから伺います。』
そうお返事をして私は着替え、化粧を直し、この面談に備えて前もって作ってあった資料を印刷し、速やかに自宅を出て学校に向かいました。
ちょうど下校してきた息子とすれ違ったので、
先生からお電話をいただいたから、お母さん学校に行ってくるよ。宿題しててね。
そう声をかけましたが、息子は何かを察した様子。
ごめんなさい…
Chromebookの件ね、それは今度から必ず気をつけなさい。その件じゃないから。
そう言って私はバタバタと学校へ向かいました。
息子の“過集中”という特性
小学校に着くと、職員室ですぐに担任教諭に会えました。
まずChromebookの件について詳しい状況を伺うと、担任教諭は“過集中”という言葉を使われました。
主にscratchに夢中になっています。
集中すると全く周りの状況がお構いなしになってしまうし、周りの声も届いていないようです。彼に悪気はなく、“過集中”という状況であることは分かるのですが、全体行動に支障が出ることが起こります。
これを聞いて、私は『なるほど、彼の場合は依存というよりも“過集中”という特性なのかもしれないな』と思いました。
実は最近、家庭でもスマホを取り上げたところです。
読書もそうです。
ところ構わず時間も構わず、スッと集中してしまうと日常生活に支障が出ます。
私たちも困っているのですが、何度言っても彼の真の納得を得られないため、改善には至っていません。何事も自分なりの納得がないと行動につなげることができない子であり、それが彼の大きな困難になっています。
私はそう話をしながら印刷してきた資料を渡し、計算ドリル隠蔽事件へと話を広げていきました。
“普通”の評価軸には乗ってこない子なんですね
私は計算ドリル隠蔽事件の実態を率直にお話しました。
そして母親の正直な想いとして、
ドリルを溜めた息子が悪いことは承知の上で、しかしドリルをやったことが息子の成長につながったとは思えない、と話しました。
息子は息子に合ったやり方で学んで行く方がいいのだと思う。それが学校のやり方や評価軸に合わなければ、私たちはそれで構わないと考えている。
息子自身は真っ直ぐだし良いところがたくさんある子供だけれど、一般社会の中では彼にはどうしても生きづらさが生まれてしまうことが実際で、彼はそれに苦しみながらも努力をしている。それが彼の最大の困難なのだということを、どうか誤解なくご理解いただきたいのです。
以前にも少し書きましたが、今の息子の担任教諭は”個々に子供は違うのだ”ということを当たり前に知っていてくださる先生で、以前に息子の学用品について相談した際にも“サラッと当たり前”に対応してくださったことに助けられました(↓)。
今回も担任教諭はしっかりと捉えて受け止めてくださったように思えました。
計算ドリルは最大公約数的な宿題であって、もちろん全員に最適というわけではないんです。
学校の評価も様々な観点から行います。通知表は本来作らなくても良いものであって、お手紙程度で気にする必要はないでしょう。
なんだか分かる気がします。いわゆる普通の評価軸には乗らない子ですね。突き詰めていく研究者タイプでしょうか、将来がとても楽しみな子なのかもしれませんね。
ええ、実は私も息子のような子供でした。必然かわかりませんが、私も博士号を取り研究者の道へ進みました。息子もそんなタイプなのかもしれません。
そうでしたか。研究者目線で彼を観察したら、さぞ面白いでしょう?😊
そうなんですよ、見ていて飽きません。本当に面白くて、どこまでも興味深い子供です。
彼がどんな青年になるのかと思うと楽しみで仕方ないんですよ。
分かる気がしますね😊
まさかこんな和やかな会話ができるなんてと私はあまりのスムーズな話の伝わりっぷりに驚きつつ、先生にお願いしたいことをお伝えしました。
息子には、信頼する人に認められたいという思いが強くあります。多様をご理解しただいている先生は、息子が信頼する数少ない大人のひとりであることは間違いありません。
その信頼を利用してください。先生から学校生活の全てにおいて『意味づけ』を丁寧に説明していただきたいのです。計算ドリルを含め、これをやることで何が得られるか(意味・結果)が理解できれば息子も変わっていくのだと思います。
わかりました。褒めて認めることもやっていこうと思います。
そんなわけで、まずはしばらく様子を見て、また気づいたことがあれば相談させてくださいということで御礼を申し上げました。
どうだろう。私は意図をきちんと伝えることができただろうか。誤解されたくないのです、息子は息子で頑張っていると伝えたかった。
だけど私の話を聞いてくださり、子供は個々に違って当たり前だということをよくご理解いただいている先生のご指導のもとにおいて、息子はある程度の距離感を取りつつ、誤解さえされなければきっと上手くやるのではなかろうかと思えました。
今のところ息子は登校を嫌がることはありません。
学校にいく意味はしっかり見出しているし、きっと色々な経験をしているのだろうと思います。
引き続き、様子を見ていきたいと思っています。
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