みなさんこんにちは✨
今日も当サイトを見に来てくださりありがとうございます✨
私には、少し前から“違和感”を感じていたことがありました。我が子らにはどうして“なぜなぜ期”が来ないのだろうか?
それについて、息子から聞き取りができたことで『へぇ〜』と思ったので記録しておこうと思います。
どうやら私の子供たちは、外界への関心が他のお子さんよりちと薄い?ってことなのかな?
些細なことなんですけどね。きっとうちの子らは自分の中で色々考えているのだろうし、それぞれだなぁということで見守りたいと思います。
『なんでなんで』と聞いてくる子
そんなに気になる?笑
少し前のある平日。
この日は午後早めの時間にかかりつけの歯科にて息子と娘の定期検診の予約があったために、私は普段よりもずいぶん早い時間に娘を保育園に迎えに行きました。
おやつを食べ終わったと思われる子供達が、楽しそうに遊んでいました。私が教室の入り口から、
どうも〜。お迎えに来ました〜。
とひょいと顔を出しましたら、すぐに何人かの子供達がワーーーっと勢いよく私の方に走ってきました。
そして口々に私にこう話しかけてくるのです。
ねー!なんで今日はお迎えが早いのーーーーー?
なんでって、予定があるからだよー。
なんで予定があるのーーーーーー?
今日は歯医者さんに行くんだよー。
えーーーどうしてーーー?
どうしてって…歯は大事だからね。(すでにタジタジ)
(さらには私のバッグにチャームが付いていることを見つけて)
なんでかばんにそういうのつけてるのーーーーーー?
私がそんな質問攻めにあってタジタジしている間に娘は支度を整え、トコトコと教室から出てきました。私も『じゃーね、バイバイ✋』って手を振りながら退散です。
まぁそうだろうね。
お友達のママが普段とは全然違う時間にお迎えに来たものだから、子供たちは物珍しくて気になってしまったということでしょう。
だけれども。私はこういうシーンが実は少し苦手です。(←注:保育園のママ友の中にも当サイトを読んでくれる方がいるので付言しますが、決して子供らを悪く言っているのではありませんよー!分かってもらえると思うけどー!)
苦手っていうか、私には全く理解が及ばないのです。
どうして今日だけ早く迎えに来たか、本当に知りたい?
どうして歯科に通っているのか、そんなに知りたいの?
だってそれらは全て、あなたたちには全く関係のない話であることは間違い無いし、
それでも聞かずにおれない理由というのは、一体どんなことだと言うのだろうか?
『なぜなぜ期』がない我が子たち
もちろん私も分かっています。
子供には成長過程において『なんで? どうして?』と大人を質問攻めにする“なぜなぜ期”という時期があるらしく、これはとても大事な成長の証であることを私もきちんと分かっています。
そして答えても答えても終わらない子供の『なんで?』攻撃は、湧き上がる好奇心を満たすためであることも、もしくは相手の反応を見て学ぶための、即ちコミュニケーションのための『なんで?』だったりするらしいことも知っています。
だから幼児期の子供達が今日のように、他所のママに自分には全然関係のないことを『なんでなんで?』と質問攻めにすることだって十分起こり得るだろうと私はしっかり分かっています、頭では。
それでもふと思いだすのは、私の息子の幼少期にはそんな“なぜなぜ期”はなかったことです。(↓以前の記事に書きました)
そしてこの時思いました。
言われてみれば、娘にも“なぜなぜ期”は来てないなぁ、と。
どうして私の子供たちには、そうやって他人を質問攻めにする“なぜなぜ期”とやらが来ないのだろう?
私は不思議になりました。
今日のお迎えの場面を思い返します。
私が子供たちに囲まれていたことを娘本人も見ていただろうに、彼女自身はそんなことには全くお構いなしの素振りでした。
興味がないのかな?気にならない?
目の当たりにしたわけではありませんが、娘はきっと他のお子さんがするように、他所の親御さんに向かって積極的に『なんで!なんで?』と言い立てることもしていないのではないかと思われました。
私はとても気になりましたので、娘本人にも聞いてみました。
あなたは今日みんながしていたみたいに『なんで?なんで?』って言わないよねぇ。どうしてだろう?
だけど娘はポカーンとして言いました。
わかんなーい…
まぁ娘にはまだ難しい質問であったでしょう。答えるための語彙もまだ十分でないためかもしれません。
うちの子たちは『気づいていない』
ならば、と私はすぐに歯科で合流した息子にも同じことを聞いてみました。
もちろん息子の幼児期にも、息子が通っていた保育園では同様の出来事はありました。
異年齢保育の時間であれば、他のクラスの子がワーっと私に寄ってきて、
ねーねー!だれのママなのーーー?
とニコニコ聞かれまくったものでした。
私は内心では『(誰のママでもええやんけ…)』って思っていたけどニコニコ答えてきたつもりです😅だけどね、やっぱり当時を振り返ってみても、息子自身はそういう活動に参加することはなかったのではなかろうかと思えてきます。
私は歯科の待合室で、息子に今日の出来事を説明しました。
そして『あなたも妹も、そういうことはなかったのだけどどうしてだろう?』と聞いてみました。
え?他の子がいつお迎えに来ているかなんて知らないよ!
そんなの全然気が付かないよ!
なるほどねぇ。『気付いていない』。
やや理解し難いような、しかしどこかで『なるほどねぇ、言われてみれば…』と思えてくるような私にとっては割と納得できた返答でした。
つまり、それが我が子らの本態だろうと思いました。
興味のあること以外に関心が向かない
自分の世界で生きている
息子も娘も、保育園ではお友達にも恵まれており集団遊びも一見不自由していない程度には出来てきたと思っています。
娘は今、保育園ではおままごとなどで遊んでいるようです。お友達とお母さん役とお姉さん役を取り合ってみたり、男の子に茶々を入れられたりなどした様子などを喜怒を交えて話す様子を見守るたびに、『楽しそうにやってるなぁ😊』と私はニコニコしています。
だけどきっと、娘もおままごとしか見えていないのではなかろうか。
だから、他所の親御さんがお迎えにきたことにも気がつかない。
自分の興味が向いていることしか視界に入らない、とそういうことなのかしらねぇと今の私は思っています。
そのことと、“なぜなぜ期がやってこないこと”に関連性はあるのだろうか。
これもちょっと、自分の幼少期を思い返して気がつきました。
おそらく『なんで?』と思うことはあるのだろうが、1人で抱え込んでいる可能性が考えられます。
よく覚えている私の『どうして?』
私自身の幼少期、と言っても大昔ですのでそんなに記憶が残っているわけではありません😅でも一つだけ、なぜかはっきり記憶に残る私の『どうして?』を覚えています。
(前置き:以下、くだらない話を書きますが、小さい子供の考えることですのでご容赦ください😅)
私が幼かった頃。就学前だっただろうと思います。
私は新聞を見るのが好きでした。もちろん難しい漢字は読めませんが、文字への興味はあったし自分なりに調べたりして新聞とは付かず離れず付き合っていました。
私はとても不思議でした。
『どうして“人”という時は、何人というふうに“にん”とも読むし、日本人というふうに“じん”とも読むのに“人人”と書いて“ニンジン🥕”と読まないのはどうしてだろう?』
これが私の記憶の初期にある、最初の大きな疑問でした。(←くだらなくてすみませんが、幼かった私には深刻な悩みだったんですよ😅)
この時の私は、“人”という字の読み方が間違っているかもしれないと思って、色々な人に聞いた記憶があります。
だけど大人はみな確かに『“にん”とも“じん”とも読むよ』とは教えてくれましたので私の理解は正しいだろうと思っていました。ではなぜニンジン🥕は人人と書かないのか。謎すぎます。私はあまりにも不思議で、ずいぶん長い間考えていたような気がします。
ある日。家族でどこかに出かけた車の中で、私はようやくふと母に質問しました。どうしてなの?って。
その時に母がなんと答えたのかは覚えていません。だけどその回答は私を満足させるものではありませんでした。幼かった私は『誤魔化された!』とショックだったし、なんだか心が傷ついたことだけを覚えています。
疑問は自分の中にある
うちの子供たちに“なぜなぜ期”が来ないことを考えながら、私はハッとそんな出来事を思い出しました。嫌だったなぁ、はぐらかされた。そんな思いが蘇りました。
同時に、やはり自分も子供たち同様、他人事には関心が低い子供だったと気がつきました。だけどそれは疑問が無いわけではなく、『なんで?』と思う事柄自体が他の人とは違っていたし、その表出の仕方が違っただけの話だろうと思いました。
『どうして普段とお迎え時間が違うのか?』
そんな“他者のこと”には関心を持たず、私は私の関心が向く自分だけの疑問に囚われて、スッと深く沈んでいくようにその疑問を考え続けたのではなかったか。
もちろん私と子供たちは親子とはいえ他人同士です。私の経験が子供たちに当てはまるとも限りませんが、想像することは可能であるし、この考えは実態をさほど大きく外していないのではないかと思っています。
さらに考えていくと、私が私の子供たちから『なんで?』と積極的に聞かれないのは、その必要がまだないからか、もしくは当てにされていないかのどちらかです。(←たぶん前者だと思いたいけど強制はしまい😅)
息子も娘もおそらく疑問を抱え込んで消化するタイプの人間なんだろうね。咄嗟に『なんで?』って聞かないけれど、自分なりの疑問は自分で噛み砕こうとしているだろうとは思われます。それでも疑問を言語化できて、その気持ちが溢れ出た時にはたぶん聞いてくるのだろうしさ、それまでそっとしておけば良いんじゃないかという結論です。
そして私が気をつけるべきは、『なんで?』と聞かれた時に息子や娘を失望させないことだね。難しそうだけど全力を尽くしたいとは思います。
発達はそれぞれ。人と違うことは認めて受け入れ、本人らしく健やかに育つことを応援したい。
私はやるべきことが明確に見えた気がして少しスッキリしました。
それで良いんじゃないかしら♪
って思えた、そんな歯科検診の日の出来事でした。
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