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#15 何を優先し、何を手放すか

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当サイトの開設に至る経緯-混乱の記録

みなさんこんにちは✨

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新型コロナウイルス感染症の流行に伴う一斉休校をきっかけに、私の息子は大きく調子を崩しました。

さらに2020年のGW中に私の実母が倒れ、祖母が新型コロナウイルス感染症の検査を受けたことで息子の混乱は一層深まり、我が家の状況は最悪でした。

GWが明け、私は絶不調の息子と元気一杯の幼い娘から目を離さずにかつ病気で動けない母の世話をして、さらに研究者としての自身の仕事にも取り組むことが求められました。

もう、手一杯です。

だけど全てが、一切の待ったなしの状況です。

他人の些細な言葉が私の心を大きく揺り動かすようになり、私の精神面も、段々と不安定になりつつあることを感じました。

GWが明けるまでに

何を優先し、何を手放すか

そしてGWが明けるまでに、私は少しずつ状況を整理しました。

実母について。少なくとも母が入院している間は、母のことは病院に任せて完全に忘れても大丈夫。退院となった場合はまた対策を立てれば良いからと先延ばしにしました。

息子について。彼が何より最優先で目が離せない。だけど実母の感染症検査が陰性であるとわかり、息子は少しずつ精気を取り戻しました。徐々に食事をとるようにはなったのです。私たちはこの少し前から息子を自室で一人寝させることをやめて、家族4人、一つの寝室で一緒に眠るようにしていました。息子のメンタルはどん底まで落ちましたが、上向きになる兆しが見え始めていました。

娘は元気いっぱいだが、これは夫と手分けをして見るしかない。

そして、私の仕事について。

これは本当にどうしたものかと悩みました。

正直なところ、私はこの頃、もう自分の仕事に興味が向かず、集中して取り組むことが難しくなっていました。

かといって辞めるという判断は尚早です。私は相変わらず”学校が再開したら息子はまた元気になるに違いない、それまでの辛抱だ”と考えていたからです。

幸い(?)今は在宅勤務であるので、勤務態度を誰かに見られているわけではありません。その日になって仕事ができる状況でなければ有給休暇を申請する。そして、できる仕事は少しずつ自宅で取り組んでいく。些細でも”何かやっているテイ”を保ち、なんとか日々の在宅勤務報告書を書いて所属長に出すことを目指す。所属長には家庭の事情を話しておこう。学校が再開するまで、そうして何とかやっていくしかないだろうと考えました。

だけど仕事は仕事。

目に見える成果は、今の私には出せないだろう。評価も低くなるだろう。だから近い将来に仕事はクビだと言われても私は承服する。そう覚悟して、出来ることをしながら今は職を維持することにしがみつく方向でいくしかないと決めました。

 

そんな折、職場より『小学校等休校に伴う特別有給休暇の付与』についてお知らせをもらいました。

厚生労働省の「小学校等の臨時休業に伴う保護者の休暇取得」の一環で、臨時休業した小学校等に通う子の世話をする職員は、申請により特別有給休暇が付与されると言うのです。

助かった…。上司に話して、最大限にこれを利用させてもらおう。

私は安堵しました。

しかしその内容は『月毎に、5日間を上限とする』というもので、その時の私には決して十分ではない(足しにはなるけれども)制度でした。

職場からのお知らせメールの抜粋。親が働くということは、子供が健康でかつ学校と保育園が開いてこそ可能になるのだ!と叫びたい。

仕事のことを考えずに済む日は、月のうちに5日間しかないのか。残りの平日はどうしよう。

だけど、できることをやるしかない。がんばろう。

漠然とそう思いながら、私はなんとかその日その日を暮らしていました。

母の退院

思ったより早かった

2020年のGWが明けて、私は5月7日(木)はなんとか在宅勤務のテイをなし、5月8日(金)は早速有給休暇を申請しました。

母の入院費用の精算のために、当時母の住所があった豊島区に『高額療養費限度額適用認定証』を申請しに行く必要があったためです。

事前に電話で豊島区役所に確認したら、『感染症の流行のために、今は特例で郵送での申請を受け付けている』とのことでした。

私は母の保険証や必要書類を整理して、まずはそれを申請するための準備をしていました。

そしてその日の午後、母が入院している病院から電話がありました。

退院の打診でした。

 

母はすでにICUを出て経過は順調であること、『明後日(5/10)の日曜か、来週早々にはもう退院しても構わないが、一人では帰せないので家族が迎えに来れる日を決めてほしい。

ということでした。

思ったよりも、ずいぶん早い。

私は焦りました。

 

病院もベッドを空けたいのだと思いました。自宅療養で構わない人は退院しなければならないのだと。

これに対し私は、

『子供が不調なのですぐには迎えに行けない、来週月曜は仕事のため(機械のメンテナンスのために出勤予定でした)、退院は来週火曜(5/12) 以降でも構いませんか?

できるだけ先延ばしにしたいと、まずはそう提案し、母の退院は5月12日で調整されることになりました。

 

母の退院日が、決まってしまった。

私はため息をつきました。

だけど状況は待ったなしです。

緊急事態宣言の発令下であるので、遠方の弟や親戚を頼ることもできません。私一人で、なんとか対応しなくてはなりません。

 

豊島区への『高額療養費限度額適用認定証』を郵送で申請していたのでは間に合わない。

私は至急子供たちを夫に任せ、地下鉄に乗り豊島区役所に向かいました。

その際、母が入所していた施設に連絡を入れ、退院日が決まったことと、今後の生活のサポートがどこまで得られるかについてを相談しました。

退院日

2020年5月12日(火)。

私は再び有給休暇を申請し、我が家は自家用車を持っていないので、退院する母を迎えに行くためにまず車の手配をし、朝から板橋区内の総合病院に向かいました。

病院に着き、入院費の精算をして、母の病室まで上がりました。

病室では痩せた母がベッドで寝ていて、自分で食事が取れるため点滴などは全て外れていました。また、会話はできますが極めて反応が薄く、私には”ボーッとしている”ように見えました。

 

なるほど、これは1人では帰れないね。

って言うか、歩けるのか?

 

私は母をなんだか母として見れなくて、とりあえず荷物の整理、病棟から借りたものの返却を確認してから母は10日ぶりに退院しました。

そして母を病院から借りた車椅子に乗せて車まで連れて行き、車中では特に会話もなく、私は母を入所先の施設の居室に連れ帰りました。

 

この時私は、母を私の自宅に連れ帰ることは絶対にしないと決めていました。

退院するときにも看護師さんに『今日から娘さんのお家ですか?😊』と言われたけど、私は『いえ、そうではありません』と返事をしました。

それこそ我が家が崩壊してしまう。

それこそ本当に取り返しがつかなくなる。

  

だから母には悪い気もするけれど、生活の世話は私がするので、今まで通りの施設の居室で1人で静かに過ごしてもらう。それ以外の選択肢は、あり得ないと思っていました。

施設の方もサポートをくださると言って下さっているし、何か異常があれば誰かがすぐに気づくだろうと考えていました。

 

結果、この選択は正解だったわけです。

母はその後、施設の居室で順調に回復しました。

 

何を優先し、何を手放すか。

私は息子と自分の家族を優先し、それ以外の全てから距離を置くことに決めました。

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