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発達障害: 大人になればマシになる?-私の場合 その3

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息子の特性を理解する

みなさんこんにちは✨

今日も当サイトを見にきてくださり、ありがとうございます✨

今日は先日の続きをまた少し書こうと思います。

 

先日、私は当サイトの記事(↓)で

と書いたことをきっかけに、『では同じような発達障害傾向を持つ私の特性は、成長に伴いどうやって丸くなったのか?』というコメントを投げかけてもらいました。

そこでここ最近は私自身の特性について考察し私の意識が変わったきっかけを追っています。

今日で“その3”となります。なんだか本当にシリーズ化してきたわね💦

わたし
わたし

中学生の時の様子を振り返ろうと思います。

周りが子供っぽく見えて仕方がなかった中学生時代

つるまない私

中学生になりましたが、私には相変わらず友達は多くありませんでした。

幼馴染は別のクラスだし、私はクラス内で自分から話しかけられるようなタイプではなくて、いつも概ね一人で居ました。

授業中は発言もせずに授業を聞き、休み時間にはトイレに行って水分を摂り、残りの時間は本を読んでいるか復習等の簡単な勉強をしていました。

何度か、女の子に『大西さん一緒にトイレに行こう?🤗』と誘われたことがありました。

『どうして、一緒に行かないといけないの?』

私は、それだけを答えました。

それが、どうやら感じが悪かったようでした。

中学生の頃、男の子もですが、特に女の子はよく複数人で固まって動いていました。だけど私はそれに参加する必要性を感じなかったので自然体で動いていたら、やはりそれが異質だったのか、私はきっと孤立していました。

『トイレは行きたい時に行けばいいのに、どうして誘われないといけないの?』

本当にわかりませんでした。

たまたまトイレに行って、幼馴染や話せる友達と一緒になれば楽しく話しながら休み時間を過ごすこともありました。そんな時間は好きでした。つまり誰かと一緒が嫌なのではなくて、目的もないのに誘い合って固まって動くことが嫌だったような気がします。

 

そんなわけで、私はいつも余っていました。

体育の準備運動の組も、遠足の班も、宿泊学習の班決めも。

担任教師が、

『おーい、だれか、大西さんを入れてやれ。じゃないと終わらないし帰れないぞー。』

そう言われてようやく私はどこかの班に所属するような子供でした。だけど私自身はそのシステムで特に不自由は感じていませんでした。班決めの話し合いが始まれば、それが終わるまで自分の席で座っているか本を読んで待っていれば、私の配属先はいずれそのうち決まるのです。特に一緒になりたい人もいないので、私はそれでいいと思っていました(相手はどう思っていたかはわかりませんが)

中学生の時の遠足かなにか。木彫りに熱中している私は写真を撮られても気づかない。そして、やっぱり一人。

抽象的な指示は相変わらず理解できない

中学生になり、面倒見という点では小学校とは大きく違うようになりました。ましてや一学年の人数が多いので尚更だったのかもしれません。

私は、一斉に出される具体的ではない指示がやっぱり理解できなくて、私には本当にどうしたら良いかが分からないまま、怒られたり注意されたりする機会が多くありました。

その一つが掃除の時間。

クラス内でも掃除の“班”というのが決められて、班ごとに掃除場所が割り当てられて、決まった時間にゾロゾロとそこに移動して掃除をするようになっていました。

掃除場所に着くなり、班員は箒を手に取る人、ちりとりを持つ人、雑巾がけをする人、ゴミ捨てをする人にパラパラと別れていくことが私は不思議でした。私には、そんな臨機応変な動きが、どうしてもすることができませんでした。

私がモタモタしている間に、箒はなくなり、ちりとりもなくなり、掃除はなんだかんだと進んでいきます。

だから私はこう思いました。

『道具もないし、掃除はちゃんと進んでいる。もう手は足りているのだろう。

私はそう判断し、それから掃除の時間は邪魔にならないように端の方に座っていました。

 

そうしていると、ある日先生に呼ばれました。

先生『お前なぁ、掃除の時間、なんにもせずに座ってるんだって?何考えてんだ。他の班員が俺のところに言いにきたぞ。

 

私は、とても驚きました。これまで何週間も同じメンバーで掃除をしてきたのに、私は班員の誰かから直接何かを言われたことはなかったからです。あの時は、まさに晴天の霹靂のような衝撃でした。

だから私は“自分は掃除に参加している、これで良いのだ”と本気で思っていました。だけどもしそんな私の行動に問題があったのならば、問題だと思った人が何がどう問題なのかを直接私に言ってくれればよかったのに

 

先生に呼ばれて話を聞きながら、私はこんなこと(↓)を考えていました。

『私に直接言えば良いのに、どうしてその人はいきなり先生に言ったのだろう。私はずっとその場にいたことは間違いない。席を外したことがあったっけ?あったとしたらいつだろう?いや、一度もないと思うけどなぁ〜…いやまてよ、風邪で休んだあの時か

 

とにかく、私はどうして自分に直接言われずに先生を経由することになったのか、その理由がとても知りたいと思いました。そしてこれは考えても仕方がない類の問題であると判断し、あとでその人に直接理由を尋ねてみようと思いました。

だから私は、その場で先生に聞きました。

『それを先生に言った人は、誰なんですか?』と。

すると先生は怒りました。『そんなことは、お前に関係がないだろう!!』と。

 

私は再び驚きました。この日2度目の青天の霹靂です。

えっ!?私のことを言われているのに、一体何が私に関係がないのだろう?

何よりどうして先生は大声を上げたのだろう?

 

この時の私は結局、事の顛末を全く理解することができませんでした。だけどどうしようもないので、掃除はそのまま続けました。その場に行き、邪魔にならない場所に座り、終わったら教室に戻る。そうするしかなかったのです。

だけどある日、誰か(←確か通りすがりの家庭科の先生だったと思う)に『ここを雑巾掛けしてください』と言われました。その日から私は、掃除の時間は毎日ずっとその場所を拭きました。ピカピカになったので、私はとても満足していました。翌日に汚れていたら、『よーし!』とやる気を出して拭きました。そんな掃除の時間でした。

クラスメイトの態度が意味不明だと感じていた

これは、私がものを話せるようになったきっかけです。

中学2年生の時だったような気がしますが、あまり確かではありません。英語の授業でいつもの英語専科の先生に加えて、外国人の先生がクラスにきました。

外国人が目の前で英語を話していることを見る。それは平成初期の地方の公立中学においてはなかなか刺激的な機会でした。

クラスの何人かが指名され、その先生とロールプレイをするような機会がありました。

しかし指名された女の子は恥ずかしがり、さらになぜか指名されていない友達も誘って前に出て行き、その二人はくっつきながらニヤニヤ笑いながら、

『ないす? とぅー? みーと? ゆー?』(←マジでこんな感じ。単語を一つ一つ言っていたように聞こえた)

とちょろっと喋っては『キャハハ』と笑い、『え〜〜!!』と言って手を叩き合っていました。

 

私は、そんな謎の様子を見せられながら過ごさないといけないことにものすごくイライラしていました。

《なんでキャハハと笑う必要がある?どうして誰も注意しないのだろう、普通にやれよって誰か言ってくれよ。

だけどクラスの雰囲気は微笑ましいままです。

まぁ関係ないわ、知らん知らん。そう私が思ったところで次は私が指名されました。

私はイライラしていて感情が昂っていたことも相まって、早く済ませよう、あんな不恰好なことはしたくない、そんな思いで授業で教わった通りに、できるだけ普通に流暢に対応しました。外国人の先生はいくつか私に簡単な質問をして、なぜかなかなか引っ込ませてはくれませんでした。

『Great!』

大きな笑顔でそう褒めてくださり力強い握手をしました。さらにはいつもは関わりの少ない英語の先生も褒めてくださり、

『大西さんのように、しっかり英語を意識して話しましょう、とてもよかったですね』

と言われました。

『ほらね、絶対こうした方がいいんだよね。』私の心の中で、何かの回路が繋がったような思いがしました。

 

また別の日、社会科のグループ学習で北方領土の歴史についてをグループごとに調べて発表することになっていました。

発表の場で、他のグループはおそらく発表内容を箇条書きにまとめており、4人グループのメンバーが入れ替わり、立ち替わり、おそらく手元に箇条書きにされているであろうメモを一つ、また一つと読んではニヤニヤ笑いながら次の人次の人へと回転しているのです。中には1枚のメモを見ながら、女の子が二人で声を揃えて『ほっぽうりょうどは、にほんの、〜〜』と、まるで幼い子供が初めてひらがなを読んでいるかのように喋っています。中学生なのに。

私はそれを聞きながら、再びイライラしていました。

《なんだこれは。言葉が全てブツ切れに聞こえてしまい、グループとして調べたことの関連性やつながりが全く生かせていない。書いてあることを読むなら書いて貼っておけば良いのに。こういう発表が普通なの?先生がそうしろって言ったんだっけ?私がなにか聞き逃した?だけどこのままでは私が所属する班もそんな発表スタイルになるのだな。それは絶対いやだなぁ。》

だから私はグループの発表順が来た時に、勝手に一人で前に出て、

『私たちのグループでは○○のことについて調べました。その理由は○で、得られた意見は○です。特に○の点では〜〜』

と、概ねをまとめて一気に話してしまいました。声に抑揚をつけ、できるだけ堂々と振る舞いました。

私が話し終えると、他の3人の班員は『…以上です』と言って下がりました。

あー終わった。ちょっと勝手だったけど、あんなくだらない発表をさせられるよりはマシだった。

そう思っていたところ、社会科の先生が、

『今の発表はすごくわかりやすかったですね。みなさん、発表というのはああいうふうにするのです。』

と言われました。

『ほらね、やっぱりそうだ。こういう要領で良いのだったら、次はもっと上手くやれるかもしれない。』

私は心の中でそう思い、なるほどとやり方がわかったような気がました。

 

この頃。

他にも私は社会科で作成したレポートがよく出来ていると何かの代表に選ばれたり、理科の実験の段取りが良いと褒められたりしました。自分なりに精一杯書いた書道や絵で賞をもらうこともありました。

このような経験を重ねていくうち、私は『そうか、こうすれば良いんだ。私は大丈夫。やり方さえわかれば、臆する必要はないじゃないか。』と思えるようになりました。

私は相変わらず口数が少ない子供でしたが、私の考えはおかしくないし、むしろ尊重される価値もあるのかもしれないと徐々に気がつき始めました。

しかし集団行動が出来ていないことには変わりはないし、同時に『周りがあまりに低レベルなのではないか?』と見下す気持ちも芽生え始めたことはとても良くないことではありました。

 

今回も少し長くなりました。また次の機会には、そんな私の高校受験と高校進学後についても追ってみたいと思います。

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