みなさんこんにちは✨
今日も当サイトを見に来てくださりありがとうございます✨
先日に息子の通知表に関することを徒然と書いてみながら、そう言えばと私は昔の出来事を思い出しました。
いや、“思い出した”というのは少し違うかな。
今も心に引っかかっているし、子供だった私が重大な大人不信に至るきっかけの一つになったことは間違いない、そんな私にとっては忘れられない出来事でした。
それについて、せっかくなので“通知表”つながりで書いてみようかな、と思って記録します。
教師は、子供をいつも正しく評価できるのですか?本当に?
納得がいかない評価だった通知表
場面緘黙、アウトプットが少ない子供
今日は私が子供の頃の話です。
私は子供の頃、いわゆる“場面緘黙”というもののために口数がとても少ない子供でした。もしご興味がありましたら以前の記事(↓)をご参照ください。
子供の頃、私は『言いたいことは頭の中を高速でスラスラ回るのに、それがどうしても口から出ない』ということに苦しみました。それを“場面緘黙”というものだと最近知り、なるほどねと合点がいったところです。
また、“自由作文”や“自分の意見を言う”など、正解のないものを作ることを私はとても苦手としました。そのようなものを要求されると何をして良いかわからなくなり、頭の中が真っ白で静かなパニックのようになりました。
そんなふうに、私はコミュニケーションや自己表現が極めて苦手な子供だったのです。
ちなみに大人になった今ではまぁ、調子がよければ割とよく喋る方です😅今なお興奮すると言葉に詰まることもありますが、落ち着こうとすれば言葉は戻るし、緘黙については自分なりに克服できたと思っています。
同時にチックの症状も無くなりました。私の場合、緘黙とチックは連動していたなと思っています。
どうして克服できたのか。
それは少しずつ自分に自信を育んだことが何より大事だったと思っています。
さらに様々な人と接することで私は事例を観察し、『こういう時はこう言う』という場数と経験を積むように努めたことも私には良かったのだろうと捉えています。
さておき、そんな私の子供の頃の“通知表”。
私の毎学期の通知表は、小学生を通して5段階評価(5,4,3,2,1)のオール『3』、体育や図工においては『2』も散見される。そんなようなものでした。
『1』がついたことはありません。『4』や『5』がついたことも、一度を除いてありません。
私自身は、学校の勉強でわからないことは無いと思っていました。
理解できないものはない。なんならもっと知りたいけれど、そのためにはどうしたら良いかは知りません。だからずっと黙っていました。
クラス内で“頭がいい”と言われていた男の子の発言も『いつも幼稚で分かりきったことを、なぜわざわざみんなの前で言うのだろうか?』と私は不思議に感じていました。そしてその男の子をよく褒める先生についても『どこが褒めポイントだった?お芝居かなにかか?』と私は不思議に観察していたような気がします。
つまり私は学校の授業の内容を、『それって全部、当たり前のことじゃないの?』となんだか冷めた目で捉えていたのだと思います。
母は私を『賢い子やね』と言って育てました。また、親しい友達にも『なおちゃんは頭がいいね』と言われてきたと思います。
私は授業の内容を理解していたしテストでも不足ない点数を取っていたにも関わらず、一度を除いて通知表に『4』や『5』という評価をもらったことはありませんでした。
すなわち。小学校の教諭から見た私は、
“特筆すべきところは特になく、特に出来ないわけでも無い”
そんな子供だったのだろうと思います。
実際私はそうでした。何より私はアウトプットが極端に少ない子供だったので、先生方もどう評価をして良いかわからなかったのだろうなと、だから当然の評価であったと今では重々納得です。
だけどたった一度だけ、私は通知表で『5』の評価をもらったことがありました。今日はその時の話を書いてみようと思います。
ある晴れた日の、理科の授業で
私が小学4年生だった時。
ある晴れた日の理科の授業で、クラス全員が校庭に出て時間経過と太陽の位置を記録する授業がありました。
確か、事前に指導がありました。こうしてこうすると記録できます、というような。教科書に書かれたありきたりな観察図の書き方の指導が教室内の授業においてあったような気がします。
しかしこの時、私は授業で教わったやり方よりももっと良いやり方があることに、何かが天から降ってきたように私はハッ✨とひらめきました。
そして私はその発想を得たことを自分でもとても喜ばしいと思ったし、今すぐ試してみたいと心からワクワクしたのです。
だから私は校庭に出て、太陽の動きを時間ごとに観察して黙々とデータを取りました。そしてその“思いついた独自のまとめ方”を何度も何度も検証し、おかしくない、載せるべきデータは載せている、さらに授業で教わった観察図よりもより情報量が多いかつ論理的であることなどを確認し、最新の注意を払いつつ1人で黙々とノートにそれを書きました。
その時のことは、今なおとてもよく覚えています。
私はすごく楽しくて、心からワクワクしながら集中し、授業の時間内においてノートのページを作成しました。(何を書いたのかは残念ながら覚えていません。楽しかった記憶とその後の落胆、不信だけを覚えています…😭)
他の人と少し離れて1人で作業をしていた私は、授業の時間が終わりに近づいたことを呼びかけられてようやくみんなのところに戻っていって、担任教諭にそのノートを見せました。
すると担任教諭は言いました。顔をしかめて言いました。
こんなんで、何がわかるが?(←富山弁:こんなもので何がわかるのですか?)
私は、ショックを受けました。
確かに教えた形じゃないものが、そこに描かれているわけです。
だけどそんな言い方で否定されるとは思わなかった。10歳だった私は、先生にはもう少し興味を持ってもらえるのではないかと思っていました。
すごいね。そうは言われなくても、『どうしてこんなふうに書こうと思ったの?きっかけは何?』とかそういうふうに言われるのではないかと予想していたのだと思います。
だけど下らない、ダメなもののように捉えられ、私は大きなショックを受けてそれまでのワクワクした気持ちがシューーーッとしぼんでいくのを感じました。
そして私は途端に恥ずかしくなり、顔をあげていられなくて下を向いてしまいました。
『…だって、この方が絶対に良いと思ったから。』
私は精一杯の声を振り絞って担任教諭にそう言いました。だけどそれ以上内容をうまく説明することが出来ませんでした。
何かを言おうとするけれど、言葉に詰まって喉から先まで声が出ていかない、そんな状態で私は校庭の隅で黙り込んでしまいました。
みんなこうやって書いているよ。わかる?みんなと同じように書き直してきて。
先生はそう言って誰かのノートを“正しい例”として私に見せ、書き直すようにと指示をしました。
私はその後休み時間を利用して、理科のノートを言われた通りに書き直しました。
なんだかとても低レベルなものを書かされているようで、とても虚しくてとても悔しい。
そんな気持ちがしたことを、今なおよく覚えています。
意味不明の『5』と大人不信
しかしこの学期。
私の通知表には、理科で唯一、『5』という評価がついていました。
それは私が生まれて初めてもらった、結果的にも私の人生において最初で最後の『5』となったのですが、だけど私はそれがなぜ『5』であるのかが全く理解ができません。
母はそれをみて異様に喜んでいました。そんな母を気に留めるでもなく、
『意味がわからない。どうしてなのか先生に聞いておいて。』
と私は母に頼みました。
後日、母は担任教諭に会う機会があったようで、そのことについて尋ねてくれたようでした。
すると先生は、
『発想力が良かった!本当なら6でも7でもあげたいくらいだったんですよーー!!』
と言っていたよと母は私に言いました。
それを聞いた私は、『なるほど。先生は馬鹿なのだな』と思いました。
他に思い当たる節はありません。だから、あぁ、あの時のことだろうな、とは察しました。
だけどそれを後から謎の評価をするなんて。
ものすんごく気持ちが悪いし、それはとても卑怯で許し難いことだと私はその時思いました。
客観的な事実はこうです。
『これは何?書き直して。』つまり私はそんな内容の指示を受け、そして私は従った。それだけが事実であると認識していました。
それが、『6』でも『7』でもあげたかったという中身だろうか?
この人、アホなんじゃなかろうか?
それが私の感想でした。とても気持ちが悪いと感じました。
頭の中で考え込んでしまって、私は無口になりました。母は急に黙り込んで動かなくなった私を心配していました。
(もしかして、あの時のノートのことで、内容の良さにあとで先生は気づいたんじゃないだろうか。だけど大人なのにその場で気づかないっておかしくない?小学生が書いたものの内容を。もしかして先生は国語が専門だって言ってたから理科はわからないのかな。いつも話の内容も薄いしな。今度何か質問をしてみよう。そうしたら先生は馬鹿だって確信するだろう。だけどそれに意味はあるのか。先生を貶めることは私にはなんの意味もない。では、もしもノートの良さに気づいたのならどうして私にはそれについては何も言わないで、なんで母にだけ言うのだろう。『6』でも『7』でもあげたかったというのなら『7』って書くか、私本人に言えばいいんじゃない?それとも何か言えない理由があったのか、それともこの評価には何か他の理由があって私がそれに気づいていないだけなのか、だったら他にどのような可能性があるだろう…)
私は考え込んでしまいました。
母は私を謎に慰めようと、その日の夕食は私の好きな天ぷらでした。そこまでは覚えています。
結局、あの時の『5』がどういうものだったのかは分からないままで、その理由を特に知りたいとも思いませんでした。
この時以来、私は『大人はみんなくだらない』と心から思うようになりました。誰も信じない、誰も尊敬できないという大人不信が始まりました。
そして次の学期からは私の成績は『オール3』にまた戻り、私はそのまま小学校を卒業しました。
そんな大人不信は私がのちに高校に入学し、今でも“恩師”と慕う先生方に出会うまで、それまでずっと続いていました。
そんな私の経験から、どうしても思ってしまいます。
教師が子供を評価すること。学力や、それ以外の意欲や態度を評価すること。
教師は、本当に子供を正しく捉えているのだろうか?
大人よりも(ある部分において)突出した子供は、絶対にクラスの中に何人もいるのが事実です。
教師はそのことに正しく気づいているのだろうか、正しく気づく能力が、本当に教師に備わっていると言えるのだろうか。もしも間違った捉え方をして、大人が子供の能力、意欲、動機までもを潰すことが起こっていないか。子供を見る際、“みんなと一緒”を指標にしすぎていないだろうか。
そんな私が息子の通知表を目にした際、どうしても穿って見てしまっていけません。今週にはそんな話を書きました(↓)。
少し前には、高知能もまた障害である、という話も書きました。
高知能を障害としている子供は、一見、目立たなくておとなしいのだろうと思います。私は絶対そうだと思っています。
そんな子を正しく見い出し、正しく支援することは、実際とても難しい。
だけどせめて彼ら/彼女らの意欲や動機を潰すことのないように。どうか大人にはくれぐれも気をつけてほしいと願っています。
そうして『世の中にはいろいろな人がいて当たり前なのだ』という認知を少しずつでも広めていき、私は息子が生きやすい社会を探っていきたい。
それが今の私の願いです。
コメント
こんにちは!興味深いね!
私は真逆で先生受けのいいとっても良い子だったから笑笑
そういう良い子はどういう気持ちでいい子してるのかを考察してみても面白いんじゃないかな😙今のNaoさんなら分かるんじゃない??
私は空気を読むって感じなんだろうけど、先生が求めてる答え、反応が分かるからそのように振る舞ったってのが正直なところかなぁ…それで先生は褒めてくれるからさ。役割っていったいいかな…お芝居は言い得て妙だわ😆
今思うとひねくれた子供だったかも。
子供って難しいよね。未熟でもあり早熟でもあり…
アウトプットがないと評価できない、ってのは息子に対して心底思っていることです。ほんとは出来る(やらないけどやる能力はある)のにねぇ…ってもどかしさ‼️
ナゼヤラナイノカ⁈ではなく、ヤレナイノカナ?
この視点はNaoさんから学んだよ。
ヤレナイって可能性を考えてあげることで、もう一歩進めるかなぁ。
コメントありがとう😊
“良い子”の気持ちはまだわからんなぁ…私は今もそうかもだけど、『どう期待されているか』はあまり読めなくて諦めている状況です😅私も結局息子と一緒、『やりたいこと』しか出来ないんだよね。
でもその“良い子”の気持ちは興味あるね。周りをそんな視点で観察していって、何か気づいたことがあれば学びとしていければいいのかな?とは思ってる。得るものは多そうなのでこれから意識してみようと思います😊
なぜやらないの!?
↓
こうしたらできるかしら?
この転換を繰り返していき、目指すところは『自然と出来てしまう』だと思ってます。
研究者時代のプレゼンでもこれはすごく大事なことだと教わったよ。
『自分が話したいことを話す』のは三流、『聴衆にわからせよう』と思って話すのは二流、『聴衆がついわかってしまう』のが良いプレゼンだって。
“息子が動いてしまう”という状況を探っていくのが道筋かなって。だけどそれも難しいよね〜😅