みなさんこんにちは✨
先週水曜に更新した下記の記事において、最近私は息子とのコミュニケーションに問題を抱えていることを書きました。
この問題について私はこれまで専門家に意見を聞いたり、また、私をよく知るママ友などに話を聞いたり、さらにはこの記事を読んでくださった方からもたくさんのご意見ご感想などをいただいいて、私なりに自己分析を進めながら少しずつ理解しようと努めています。
その中で、私側の問題点として“合理性の追求”というキーワードが浮かび上がってきています。今日はそんな話を記録しようと思います。
思春期に近づいた子供に対しては、『手を離して抱きしめる』という心構えで接することが大事なのだと教わりました。難しいけど、意識してみたいと思います❗️
反発する子供への対応
かつての当事者、親側のご経験談
先日に更新した記事において、私は息子の何でもかんでも反発すると言うコミュニケーション上の問題点を書きました。
これに対し、読んでくださった方々からもご意見やご感想などをいただくことができました。そこから見えることは、どうやらこのような事象は少なくない子供が(一時的にでも)経験することなのかもしれません。
私にも彼に似た行動をとっていた時期がありました。ほんの些細な言葉や行為に「怒り」「反発」「くやしさ」を感じ、それはもう、とてつもないパワーで抵抗しました。今考えてもその根源が何だったのか、その発端が何であったのかは分かりません。
否定的コミュニケーション!
それですよー!うちの長男の最大の問題点😭
私が息子の様子を見るに、この“「怒り」「反発」「くやしさ」”という感情には共通点がありそうだと感じました。反発する息子は、なぜかとても怒っているように見えるのです。悔しさという気持ちもまた、そこには見えるような気がします。
また、Sさんのご長男さんは今は大人になっておられるとのことですが、ご長男さんはなんとこれを自ら気づき、自力で対策を取ることで乗り越えられたということです!すごい!そんな希望もあるのね!
そのうち困って、自分で友達に相談していたのです。
その様子を見て安心して、それからは心配するのも助言するのもやめました。その頃から友達も増えたので親がしてやれることと自分で気づくしかないことがあるんだなぁと思いました。
親がしてやれることもあれば、自分で気づくしかないこともある。
そのことは親であっても子供を変えることは難しいという事実を明確に示していると感じます。親としてはせめても笑顔で親子関係を触媒していくことが出来れば最高じゃないかと、そんな今すぐ実践できそうな素敵なアドバイスもいただきました😊それはなら私にも少しずつでもできそうです👍本当に心強いと感じました。
ついつい口を出してしまう
本当にそうなの!?
とは言いながらも、私の自己分析の経緯なども書かせていただこうと思います。
先週の記事(↑)でも書きましたが、私はついつい、息子にあれこれ言っちゃうわけですよ😅
2Bの鉛筆を使って塗ってごらんよ。バッグは大きなリュックで行こうね。腕時計は持った?
私としては、とても当たり前のことを言っているつもりではあるのですが、しかし息子はこれらに大きく反発をするばかりです。とても良くない状況です😭
どうしたものかと、私は今月の教育相談においていつもの臨床心理士さんにご意見を伺うことにしてみました。臨床心理士さんは、こんなふうに仰いました。
腕時計を忘れてもそれまでじゃないですか!
言うから反発するのです。そっと目につくところに置いておけば良いんです。持っていくも持っていかないも彼の自由だと任せましょう。
また、当サイトを読んでくださった方からも同様の意見が寄せられました。
すっかり拗らせてしまっているようで、大変ですね💦
それで本人が失敗したらそれまで。「お母さんは指摘したよ。」でいいのでは?
そうなのですよね。悪循環に陥ってしまうくらいならば、私がここで口数を減らすことも十分選択肢になるでしょう。
専門家である臨床心理士さんからも、そして息子よりも少し大きいお子さんを持つ思慮深いAさんからも同様の指摘をいただきました。きっとこの選択肢は有効であろうと思います。これは多くのご経験に基づき得られた教訓であると、私も頭では理解できそうにも思うのですが、だけどなんだか私にはまだ腑に落ちていないという印象でした。
うん、分かるのよ。いや…正直に言えば、『分からんでもないが』というのが私の率直な気持ちでしょうか。
どうして私は腑に落ちないのか。
しばらく考え込んでおりました。
私が恐れていること
そこで私はきっと、その選択肢の先にある、こんな事態を恐れていると気がつきました。
硬い鉛筆を持っていくことも腕時計を持っていくことも、もちろん息子に任せたって私は全然困りません。しかしその結果、息子は試験会場において“当然の事態”に直面することになるのです。
今回、息子にとっては何ヶ月もかけて準備をしてきた英検でした。お友達も別会場ではありますが一緒に受験をしているし、試験の日には彼はとても緊張していた様子でした。
ところで私は、“本番前に緊張する”ということはとても大事なことだと思っています。自分なりにしっかり準備をしたのだと言う自負が緊張を生むのです。そしてそのことが力を発揮する源になり、ベストを尽くそうという意欲を生むことを私自身も知っています。
私はきっと、そこで彼が直面する“当然の事態”は彼の意欲を奪うのではないかと恐れていると気がつきました。私は、例えば息子が時計なしで試験を受けたら、きっと彼はこう言うのではないかと目に浮かぶような気持ちです。
お母さんのせいだ!
英検なんて、二度と受けないよ!
もちろん私の想像にしか過ぎません。
しかし『お母さんのせいだ』問題は、比較的最近にも起こったばかりでもあるのです(↓)。この出来事により私は否定的注目を避けるためには意識的に離れようとすることも大事なのだとは学びました。
しかし今回は英検という、息子にとってはある種の挑戦の本番であり、そこで直面する“当然の事態”は息子にとって『それまで』というような言葉では済まないのではないか。そこでの経験は、さらに未来に尾を引くのではないか。
そんなことで息子の意欲を削ぐことになれば、あまりに損失は大きいです。私はそれが怖いのです。それを分かっていながら必要な支援をしないことは親の怠慢であるのではないかとさえ思います。
失敗を糧に跳ね上がれる子供と、そうではない子供がいるでしょう。だったら親が不足分の支援をして、上手くいったと多少の効力感を感じられるようなそんな経験になってほしいと私は考えていたのだろうと思います。
結果的には『今回は』持ち物の確認をして良かったのだとは思っていますが、次回以降はまた悩むところです。
私は合理性を追求しすぎている、という指摘
そんな折、私は研究者繋がりのママ友でもある友達と話す機会がありました。彼女は私のことをよく知ってくれていると思っているし、息子が今は登校していないことや息子の気質も知っています。
臨床心理士さんのアドバイスが腑に落ち切っていなかった私は、彼女に『こういうことがあったのだけど、どう思う?』と率直に尋ね、意見を求めてみました。
Naomiさんは、つまりは合理性重視なんだよね。私もそうだし、分かるよ。
それだ、それ。
的確に、指摘されたと思いました。合理性や論理性。そういうものを私はとても重視していると思います。私は“空気”というものが読めないことを自覚しており、できるだけ理屈で率直に捉えていきたいと思っています。そのためには合理的にかつ効率よく振る舞うことが大事であると、それを追求しすぎている節すらあるなと思いました。
さらに私は、そのことを息子にも伝えてやりたいと過剰に思っているのでしょう。なぜなら私は、それこそが私自身が時間をかけて編み出してきた“社会に順応するためのコツ”であると考えているからだと思います。
わかるんだけど、臨床心理士の方も他の方もそういうのならば、取り返しのつくところは合理性を一旦おいておくところからやってみたら?何か分かるかもしれないよ。
私にとっては合理的でも息子には違っているかもしれないし、押し付けてまでも達成しようとしていたことを反省したいと思いました。また、『取り返しのつくところから』というのも私にとっては取り組みやすいやり方です。
ご意見をくださったAさんとも、この『合理性』についてはちょっと盛り上がったりもして面白いなぁと思いました🤣
合理性、追求したくなりますよね❗️️すごくわかります😆
今の大西さんと同じようなこと、私もついやってしまって、息子から「もういいから黙って」とか、未だに言われます😅
完全に任せるのではなくて、子供に合わせて調整が必要だということだと思います。
やるべきことが明確になったように感じました。私はその調整についてを、これから探っていかなくてはなりません。
問題解決とは、実際に行動に移すこと。行動することでこそ、私は息子の反応を見ながら試行錯誤ができるのです。
また一つ、大きな気づきを与えていただいたと感じました。
子供の目線からの意見
ここでありがたいことに、このAさんの息子さんご本人からもご意見をいただくことができました。
当サイトを読んでくださる方は、息子に類似のタイプのムスコーズ(女の子も含みます)をお育てになっている方が多いようです。ありがたいことに、今は大きくなられたそのお子さん方にも当サイトを読んでいただいて、我が家のあれこれをご家庭の話題として取り上げていただくことや、お子さんの視点の率直なご意見をいただけることも時々あって、それが私には大変勉強になっています。とてもありがたいと感じています😊
鉛筆のことは「HBでもいいけれど、2Bも持っていかない?」などの言い回しなら受け入れられると言っていました。
他にも息子さん視点のご意見として、
お母さんの意見の押し付けになっている。
次々と畳みかけられるのは嫌だと思う。
お母さんが意見を言うにしてもまずは子供のやってることを認めてからそれもいいけどこれは?みたいに提案した方がいいのでは?
どうしてお母さんのことが嫌なのかを、お父さんが直接、本人に聞いてみては?
子供視点で嫌だなと思うポイントについて、挙げていただくことができました。
まずは息子の考えや言い分などを認めること、尊重することが大切だ。
息子の考えをまずはしっかり肯定し、それから息子に自分で適切な選択をできるはずだと励ますことが大切なのかなと思いました。
良い感じにまとまってきました。
- 息子の意見を受け入れて、同意ができなければ提案はする
- 私は(取り返しのつくところから)合理性の追求を一旦忘れ、息子に“当然の事態”を受け入れる経験を重ねることを促していく
- 問題が起こった時には、私は『また同じことが起きないためにどうしたら良いか』を考えるように促し激励者の立場に立つ
そんな道筋でいいのではないかと、今のところは思っています。
本能で母親に反発している
何でもかんでも反発するという息子の話の終わりに向けて、当サイトを読んでくださる方から飛び込んできた、こんな視点もとても面白いと思いました😆
ちょっと興味深いものを見つけたので送ります。
このような研究成果もあるのですね!面白い😆
結果、12歳以下では見知らぬ人よりも母親の声のほうが脳の快楽回路(報酬系)や注意力にかかわる領域を活性化していた一方で、13歳以上ではこの関係が逆転しており、母親より見知らぬ人の声に同じ領域がより強く反応していました。
そのため親は無視するけれど友達や先輩には強い連帯感を感じてしまうという、奇妙な逆転現象さえ起こり得ます。
人間の脳は13歳から母親の声に対する反応が変わると判明:反抗期の脳科学
記事の最後でも、“これは脳の再配線が原因であり、正当な理由がある”と締めくくられておりますね。
そう言われると、脳の再配線なら仕方ねぇな!って慰められるような気も大いにします🤣
元論文のデータを自分で見ないと実際の研究内容はなんとも判断しかねますが、それでもまずは研究の動機や考察などは興味深いと感じます。
さらにこの記事の面白いことに、この記事のライターさんは我々母親に向けていくらかの“配慮”をしてくださっていると感じます🤣
研究結果によれば希望はまだあります。
子供の脳では確かに他人の声への興味が高まっていますが、母親の声に対する脳の反応は減ることなく維持されています。そのため、子供に対して必死に話しかけることができれば、子供の行動になんらかの矯正を行えるかもしれません。
人間の脳は13歳から母親の声に対する反応が変わると判明:反抗期の脳科学
母親と言うのは幼児期には本能から完全に依存される一方、のちに同じ本能をもってしてその存在感が低くなる、なんとも難しい立ち位置であるということが脳科学的に解析されたということです。
本能だから、仕方がないです。成長に伴い接し方を変えていくことも当然です。
息子の意見を受け入れて、できるだけ簡潔に話すように心がけようと思います。そのことがきっと衝突のリスクを最小限にできるのだろうと思います🤣
コメント
毎回、興味深くためになる記事をありがとうございます。
私も母のアドバイスや意見が物凄く嫌な時期がありました。というか、今でも子育てに意見されるとイラッとします笑。
〇〇しなさい!〇〇して!〇〇したら?よりも、
〇〇できる?
とお願い風に聞くと良いような気がします。反発はしても、お願いされたり頼られたり褒められたりは嬉しいですものね。親のことが本当は好きですから。
そんな単純にはいかないかもですけど。
頑張っておられる姿、本当に尊敬してます。私も子どもが思春期になったら対応できるようにこちらで学ばせていただいてます。
こんにちは!迷い多き私ですが、興味を持っていただいて、またアドバイスもいただき本当にありがとうございます。
>今でも子育てに意見されるとイラッとします笑。
笑っちゃいました!🤣先は長そうだ🤣本当に、母親というのはいつの世も難儀なものなんですね。
だけど本当は親のことが大好きだという気持ちは私もわかるような気がします。認められたら嬉しいし、本当は認めてもらおうとあらゆる行動はその欲求を動機にしてなされているのかもしれません。
〜できる?という言い方も、試してみようと思います!
よく自分を主語にした“アイ(I)メッセージ”という言い方なども本で見ますが、息子の場合は『私が〜だと思うけど』とか『私は〜して欲しいのだけど』という言い方はあまり効果がありませんでした💦『僕はそうじゃないよ』で終わりです😅向き不向きがありますね〜💧
こんばんわ。
個人的な意見です。
私の反抗期の頃の気分としては、自分が納得してから次に進みたいのに横から口出ししてこられるのがとても不快でした。「言ったじゃない!」「言う通りにしなさい!」とかこちらの思考を停止させる親の意見がとにかく不快でした。こちらの行動を早合点して干渉してこられるのがとにかく不快でした。特に、子供側としては不快な気分を表現するレパートリーが少ないので余計にストレスでした。なので、家族に会わないように、深夜に起きて早朝まで自分が納得できるように好きな問題を解いたり、本を読んだりしていましたね。あるいはなるべく家に帰らずに郊外で思考するとか。親に認めて欲しいとか将来を考えて得な道を選択するということは全く考えずに、自分が納得がしたい思いでいっぱいでした。自分の好奇心や探究心を満足してから次に進んでみたいという。親や先生はそれなりに適切なアドバイスをくれようとするんですがピントがいまいち合っていなくて、対応するのがめんどくさい。ほっといてくれー!、という印象でした。自分でやりたいことを探して(テーマを見つけて)、自分の力だけで試行錯誤して納得できるところまで行ってみたい。あ、自立ってこういういことか、と自覚したのが中学生の頃でした(笑)。
あまり、干渉せずに放っておくのがいいと思いますよ。親に頼らなければならないことは、本人にとって必要であれば話をしてくると思うしね。
おまけですが、親として言いたいことがあっても言うタイミング、言う事柄の数、言う順番は慎重に考えてね。言いたいこと(言うべきと親が思うこと)だけを言うのは、親はやるべきことを果たした気分になるかもしれないけど、子供にとっては不愉快の連続で全然話を聞いていないことが多いです。くれぐれも慎重にね。
じゃね。
こんにちは〜!お返事出遅れました。いつもありがとうございます^^
自分が納得がしたい思いでいっぱい、というところ、とても共感できました。子どもなりに考えていることがあるけれど、ペースもやり方も尊重しなくてはなりませんね。
今朝はまた事件が起きて息子は蛹になっています😭それも、私が彼のやり方に口を挟んだからかもしれませんが、、とはいえ時間が決まっていたので口を出さないわけにもいきませんでした。(結局爆発して蛹になってしまったので全部の予定がダメになりましたが…)
生活を回すためにそれらを両立することはとても難しいことばかりです。
慎重であることを心がけたいと思います。慎重であることと、全てを許すことは違うだろうとも思います。その塩梅が難しいなと感じています。。