みなさんこんにちは。
今日も当サイトへお越しくださり、ありがとうございます。
先日の記事では、私は家事一般を習得しつつある息子(14歳)の生活力の向上を記しました。
共感をいただいたり、LINEなどのメッセージで息子の成長をまるで親戚のおばさんかのような目線(←ホンマに、笑)で共に喜んでくださった皆様とも話が弾み、
ダンゴムシ期は親にとっても(本人にとっても)歯がゆい時期ではあるのですが、その歯痒さを嘆いてばかりいたならば、親も一緒に参ってしまうことが実際です。
理想論では、ダンゴムシは見ないフリ。子供のなるべく良いところだけに目を向けたい。
わかっちゃいるけど、それは本当に難しい。
それができたら苦労はせんの、親だって神や仏じゃないんだから、無茶を言ってくれるなよという話なのです。
なぜならそのダンゴムシが、誰より大事な我が子だから、心配にも不安にもなるのは当然です。他人の子にならどれだけでも『大丈夫だよ、いつかきっと』と言えることも、我が子にはそう心からは思えません。これぞ不登校児の親の試練の本質です。
それでも今の私たちは、一人ひとりに出来ることを、ただ粛々とやっていくしかありません。もしもそれを共に喜びあえるコミュニティに出会えていたら、親は自分を励まして、また前を向くこともできるでしょう。そんなコミュニティを作れたらいいなと私は密かに願っています。
さて。
今日はそれに付随した、また別のエピソードを記録しようと思います。
なまじ家事一般の能力を備えた息子から、見える母(私)の姿が少し変わってきたようです。
ええ、ついにバレた。
母が実は、すごくポンコツであることが😨
それだけ息子が成長したという喜ばしい話なのではありますが、家庭内における私の位置付けが極めて低くなりつつあるのが昨今です。
この日も我が家はあたりまえの日常を過ごして夕食を終え、私が後片付けをしていました。
さささーと私が予洗いをして、使った食器を食洗機に放り込む。
その様子を通りがかりに目にした息子が、突如怒り出しました。
あ!そんないい加減な洗い方でお皿を食洗機に入れないで!!そんなんじゃ汚れが落ちないんだから!!
ほらこことか!あーーー!!重なって入れないで!!
あ゛!?大丈夫だよ、私はこの食洗機を絶対的に信頼している。この先はもう食洗機の責任の範疇であり、私の責任は十二分に果たしているさ。(←屁理屈)。
犯人はお母さんだったんだ!汚れが落ちていないのを、僕がたまに洗い直しているんだから!!
おとうさーん!お母さんがいい加減にやってるーーー!!(←告げ口に行きやがった)
親父登場。これはヤバい。
お!?今更何を言っているんだ?知らなかったのか?
お母さんは、そういうところが多々ある。
たとえば、お母さんが家の掃除をしているところを見たことがあるか?
ない…気がする。そう言われてみれば。
お母さんは掃除が好きじゃないんだよ、だからやらないんだ。
そんなことない!ちょこちょこ拭いとるわ!だいたい私に言わせれば、私がやろうと思った時にはもう終わってるんだよ。私はやりたい人がやってて家庭は大変平和であるという認識だ。
そういうところだ。
おれも気づいたら掃除機かけてる。やりたいわけじゃないけど、気づいたらやらなきゃいけないとは思ってる。
えらい。息子はお母さんよりも見込みがある。気のつく子に育っていて、お父さんは嬉しい。
夫が言った一言が、核心を突いたと思いました。
つまりな、お母さんがちゃんとやるのは、“自分がやりたいことだけ”なんだよ。
お母さんはそういう人なんだよ。これはもうずっと昔からで、仕方のないことなんだ。
だけど息子はまだ子供だし、お母さんよりは見込みがあるとは思っている。どうか“ああならないよう”、子供のうちから精進して欲しいと思ってる。
そうだぞ、お母さんは仕方ないんだ。(←どの口がw)
そうなの?
思うのです。
私と息子は、かねがね書いてきた通り、とても良く似ているのです。
それは顔貌のみならず(↓)、
納得したことにしか手がつけられないとか、
やりたいことしかやれないこととか、
そういうこともとても良く似ているのです。
高IQで2Eタイプのお子様を育てる保護者の悩みで最も大きいものの一つはきっと、この点であるに違いないとも感じます。(どうですか?)
ここで大変残念なお知らせであるのが、『それ』は大人になっても改善しない、そのまま変わらないという事実でしょう。
それでもしかし、大人になることの意義は大いにあると思います。自由度が上がる、やりたくないことはやらないことにしても良いという裁量も得られる。それが大人になることの意義なのです。
さらに言えば、素直に謙虚に自分なりの倫理を持ってやっていれば、私が出来ないことを埋めてくれるパートナーなり配偶者も得られることかもしれません。“とても普通”な人である夫がかつて若かった頃の私に大いに惹かれた要因は、“私が出来ること”への圧倒的な引力だったことは紛れも無い事実でしょう。それは絶対にそうだと言える。尊敬、憧れ、崇拝の域に当時の夫はあったと言える(言い過ぎかもしれんが近いとは思う、笑)。
そう、ギフテッドとは、凹凸の大きい人なのです。それを本に書いてある字面じゃなくて、体感として『仕方ない』と理解できるところから、平和な暮らしは訪れるのかもしれないなとかも思います。
私の名誉のために言わせて貰えば、私は大掃除の時には焦げついたなべ底を全部綺麗に磨きました!PCのHDDも外付けHDDも全部中を確認して整理しました!
つまり私は人がやらないところの掃除を積極的にやっているのであり、その点はもっと高く評価されていいと思う。
はいはい、それがやりたかっただけなんでしょ?
うん、いつか時間が空いた時にやろうやろうと思ってた。
そういう黙々とした作業が好きってだけでしょ?
まぁそういうことだ。
お母さんが担当だったのにやらなかった窓拭きを僕がやったんだよ。
全体の動きとか、本当に見てないよね。
適材適所でいいじゃない。なにが問題なんですかー?
そういうとこなんだよ、息子も気をつけなさい。
そういうことかー。“お母さんレベル”って実はそんなに高くないんだな。僕の方が上かもしれない。
いや、それはない。“母レベ”はかなり高いと自負している。
それ以来、私が食器を洗っていると、息子が飛んでくるようになりました。
あっ!やめて!僕がやるから!!(←洗い直してくれてたのは知らなかった、ホントごめん🙏)
息子は大きな戦力です。
これは果たして平和なのか。私が生存している意味が失われつつある危機なのか。
よく分からんけど、息子が成長したからこそ、見えてくる大人の実態も変わってくるよねとは思います。それは彼が彼なりにも成長しているからこそのことなのだから、喜ばしいことなのだろうと思っています。
もう一度言うけど、適材適所でいいと私は思っているよ👍
ーーーオススメ紹介ーーー
家事をしっかりするようになり、手が荒れてしまった息子のためにこのようなものが贈られました(↓)。これはオススメ、とてもいいです、快適です👍
最近読んで面白かった書籍です(↓)
「寝ながら」はさすがに厳しいけれど、文章が面白くて飽きずにどんどん読んでいけます。ニーチェくらいは読んだことがあるという方は多いでしょうが、その先々をも体系的に知ることができ、とても分かりやすかった(ような気がします😎)。
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