みなさんこんにちは✨
少し前になりますが、私は、場面緘黙を有する娘が久しぶりに再開された保育園のお散歩を『怖い』と感じてしまっており、お散歩には参加できていないことを書きました。
だけど少し時間をかけて、娘は最近、ようやくお散歩の活動に参加できるようになりました🙌
嬉しいことです。本当にありがたいことだと思っています。それはひとえにクラス担任の保育士さんのお力添えのおかげでした。また、私はその過程においてきっと娘はまた一つ成長したのだととても嬉しく感じました。
一方では、私が杞憂から余計な一言を言ってしまって、娘の顔をカチンと固まらせてしまったこともありました😓そんな反省も含めながら、経緯を記録しておこうと思います。
娘がお散歩に参加できた日
一歩踏みだす勇気を待つ
何度も申し上げますが、場面緘黙は、疾病分類上では『不安障害』に分類される疾病です。
場面緘黙は話さないことのみに注目されがちですが、その症状はあくまで表面上のものにしかすぎません。場面緘黙の本態は、不安だったりそれに伴う恐怖ゆえに自分らしく振る舞えなくなってしまうことであり、今回の娘の“お散歩が怖い問題”もまさにそれで説明可能な事象だったと思っています。そう考えれば、本当に理解できるのです。
そう理解できたとするならば、『お散歩が怖い』と言う娘に対し、周囲の大人が取り組むべきは彼女を無理やりお散歩に参加させることではありません。
彼女が心のうちに抱える不安を、どうか少しでも軽くしてやれるように。
見通しを持てるように、安心感を持てるようになど、サポートの仕方は多角的に考えられると思っています。そうするうちに、彼女が自ら『一歩踏み出してみよう』とそう思える時が来ることを信じ、その時まで伴走していく気持ちでいたいと思いました。
『保育園のお散歩が久しぶりすぎて怖い』
娘は最初にそう言ってから、彼女はそれからも何度も保育園のお散歩の機会を見送って過ごしました。
今日はお散歩に行きませんでした。自分で『行かない』と意思表示をしました。
娘はその時間は年少さんなどの別のクラスで過ごすことや、幼児クラスがみんなお散歩に行ってしまった好天の日には赤ちゃんたちの乳児のお部屋でおとなしく過ごすこともあったのだと聞きました。
娘にも、きっと葛藤はあるのだろうと感じていました。いつかこの葛藤から踏み出すきっかけが訪れてくれると良いのだけど。
そんなことを何度か繰り返していくうちに、娘にも、少しずつ変化が見られていました。
この日もお散歩の活動があった日の夕方のお迎え時、担任の先生がやってきて私にそっと声をかけてくださいました。
今日はみんながお散歩から戻ってきた時にいつもとは違うモジモジしていた様子が見られましたので私と二人だけで少しお話をしています。
その時に『今度は行ってみよっか〜♪』と声をかけたら頷いていました!おうちでも、話を聞いてみてください😊
私は先生方が本当によく娘を観察してくださっていることに、改めて感謝の気持ちを感じました。娘の気持ちに変化が生まれつつあるタイミングを見逃さず、二人だけでお話ししてくださったことも、そしてすぐに私にそれを共有していただいたことも、本当によく見てくださっているのだと感じました。
それから私は、家で娘の気持ちを聞き取れたら良いなぁといくらかの楽しみな気持ちを感じました。
娘からの「こうすれば行けるかもしれない」という提案
その日の夜、眠る前にベッドでは娘と保育園の話をすることができました。
今日はN先生とお話しして、『今度はお散歩に行ってみようか』って言われたんだって?
そうだよ、それで娘ちゃんは『うん』って言ったんだよ。
お散歩が怖い気持ちはどう?少し変わったのかな?
まだ少し怖いんだよね。行ったら何をしなきゃいけないんだろう?って思ってる。
そっか、行ったら自由に遊ぶ時間があるのかな?
例えば、その時間は(担任の)N先生にくっついていたり、近くに居させてもらえるようにしたらどうだろう。
うん、前もN先生の近くにいたり手を繋いでもらってた。
そうだ!今度のお散歩は、行く時にN先生と手を繋げたら行けるかも…。
それはいいね、いい考えだね。先生に相談してみようか。
それはお母さんから伝えようか?それとも自分で言える?
お母さんから言って欲しい!
分かったよ、伝えておくね。
そう言いつつも、私は少し心配でした。
担任のN先生はクラス全体の20人近くの子供達を見ているわけで、その中で娘とだけ手を繋いでもらうこともどうだろう?それにN先生はとても人気者なので、娘がそれをすれば、きっと娘の他にも先生と手を繋ぎたいと言う子も出てくるだろう。
ちょっと甘えすぎかなぁ...?全体の活動に影響が出てしまうのではないだろうか。
ワガママが過ぎると捉えられないかなぁ?
それでもこれは、せっかくの娘からの提案です。ダメで元々、控えめに申し出ることはしてみよう👍
私は次のお散歩の日に、控えめに連絡帳にも記入して、当日の朝にも先生に直接お伝えさせていただくように準備をしました。
その選択肢が出てきたことが大進歩!
次のお散歩の活動日。私は娘の登園時に、保育園の先生にできるだけ控えめにと娘の提案をお伝えさせていただきました。
ちょうど担任の先生がその場にいらっしゃらなかったので、昨年に娘の担任だったお若い男性の先生にその旨を言伝てもらうことになりました。
今日のお散歩ですが、娘が担任のN先生と手を繋いだら行けるかもしれないと言っています。
無理を申してすみません。出来ればで良いので、よろしくお願いいたします。
どうかな。『できる範囲でなら』とでも言っていただければ嬉しいけれど。
だけど私の心配を他所にして、保育園の先生はその提案をできた娘のことをとても大きく褒めました。
わかりました!すごいですよ!!
娘ちゃんにそういう選択肢が出てきたこと自体が大進歩です!!本当にすごいことです!!
その先生はそう言って、手放しで娘を褒めました。娘もニコニコ得意顔。
私は、とても驚きました。こんなにもあっさりと受け入れていただくことが出来るとは。私の心配は、杞憂でした。私の考えすぎだった?
娘は嬉しそうにニコニコして教室に入っていき、後で聞いた話によるとお散歩に行く前からそのことをN先生にもまた褒めてもらい、お散歩へは希望通りN先生と手を繋ぎ、みんなの列の先頭を元気に歩いて行ったのだということでした。
公園に着いたら、みんなでリレーをしたんだよ!いっぱい走れた!
心配していたお散歩先でも、彼女は『やること』が明確になって楽しく過ごせたようでした。
娘が『怖い』と言ったお散歩に向けて、先生方はとても上手なスモールステップを作っていただいたのだと思います。私は改めて大きな感謝の気持ちを感じました。
私の余計な一言
これでお散歩も、きっともう大丈夫。私は安堵の気持ちでいっぱいでした。
だって娘は『次のお散歩へも行ける!』と言って喜んでいるし、彼女のなかでまた一つ、“自信”というものが育まれたことを感じました。
だけど私はここでつい、一つ失言をしでかしました😢
次のお散歩も、楽しみだねー!
うん!またN先生と手を繋いで行くの。そしたら一番前で先頭で歩けるんだよ!
そうだねー。
でも、N先生はみんなを見なくてはならないし、あなただけの先生ではないのだから、いつか慣れてきたら子供の列に戻ろうね。
はい、これが、余計でした😨💦
娘は引きつった顔で“カチン”と音が鳴ったように、ショックを受けたような顔つきで固まってしまいました。横にならんで話していた私でも、娘から発せられる張り詰めたような空気感をありありと感じられるようでした。
娘は人一倍不安の強い子供です。迷惑になるとか、負担をかけるとか、そういったことへも人一倍に過敏であるのかもしれません。
私は『しまった!』と慌てました。せっかく娘が意欲を出している時に、私はそれにブレーキをかけるようなことを言ってしまった。
N先生が良いと言ってくれれば良いと思うよ。びっくりさせてごめんね💦
私はまずは娘に私の過失を取り繕い、そうするうちに娘にも不安げながら笑顔が戻っていきました。
親である私が娘のせっかくの気持ちを挫いてしまった。申し訳なかった。気をつけよう。
だけど私の心配も、ある側面ではそれもまた事実であろうとも思います。
娘には配慮を要する障害があるとはいえど、みんなが大好きな先生を独占してばかりになってもいけないだろうとは大人の私は思います。
私は当サイトを介して知り合った、お仕事は保育士さんをされている方のお顔を思い浮かべ、この話を聞いてもらいました。すると返ってきたお返事は、私の心配が杞憂であったことを教えてくださったものでした。
保育士の立場からすれば、手を繋ぐことくらいで行けるようになってくれるなら全然お安いご用です👍
むしろそんなふうに信頼してくれていたら嬉しいですよ。担任の先生もとてもお喜びだったんじゃないかと思います。
なるほど。私はこの辺りの加減がとても苦手なのだろうと思います。とても勉強になりますね。
このお返事をいただいて、私はすぐに娘と話をすることができました。
娘ちゃん、お母さんのお友達で保育士さんをしている人が仰ったことだけどね、娘ちゃんがお散歩の時にN先生と手を繋ぐことで安心できるならば、それは先生の負担ではまったくなくて、むしろ娘ちゃんが先生を大好きな気持ちは先生にとっても嬉しいものなんだって聞いたのよ。
お母さんが考えすぎてて、この前はびっくりさせて本当にごめんね。これからも必要があれば手を繋いでもらおうね。お母さんからも先生にお話しするよ😊
意見をもらえて良かったです。それを伝えると娘はパッと目を開き、
そうなんだー!良かった!
と、素敵な笑顔で安心したように笑いました。
私たちは、本当に多くの方に助けてもらっていることを実感します。
私には至らぬ部分が多々ありますが、それでも私は私なりに、できる限りのことをしていきたいと思っています。
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