みなさんこんにちは。
今日も当サイトへお越しくださり、ありがとうございます。
このようなサイトを運営していることにより、私の耳には日々、色々な高IQ児・ギフテッド児・2E児の実生活のエピソードが聞こえてきます。そのことは、みなさんの愚痴の吐き出し先の一つとなり、私自身の学びにもなり、似たようなどこかの誰かへ事例を共有するための当サイトのネタにもなり(←ほんまそれ)、私自身は面白がって聞かせていただいておりますので、どうぞこれからもご遠慮なく、いろいろと聞かせていただければと思います、笑。
また、興味が高じて+タイミングの合致により、私は今は関東のある私立高校(全日制)において高校教諭を務めています(週2日勤務の非常勤です)。
この学校で、私は特進コースの生徒さんらの理科の授業を受け持っています。そして科学系の部活動の顧問としてもささやかに活動し、なんと今年は学会や高校生の科学大会で複数の賞をいただくという大きな快挙に居合わせさせてもらっており、それもまたワクワクする仕事であると感じています。それこそ発表指導という名目で元研究者である私は意見を好き勝手に言わせてもらうし、私の人生半分分で培った視点も人脈も活かせているなと感じられて、点と点は繋がるもんやと不思議な縁を感じてばかりいるところ。
若い時にたまたま取っておいた“教員免許”が、まさかここへきて活きるとは。自分でも驚きを隠せませんが、高校教諭は私に取って発見が多い仕事です。
なぜならば、私自身の肥えた目は、一般的な先生方にはなかなか見えない子供の特性、ギフテッドネスを割と的確に察知します。私はそれが楽しいです。同時に、その子の高知能に伴う困難もまた、じわじわと見えてくるので学びになります。
学校の中のギフテッド児に、私は私なりのささやかな応援の眼差しを注いでいます。そして、彼らをどう支援するのか、学校の先生が彼らをどう見ているのか、そのすれ違いはなぜ起こるのか。それらを探求することが、私の今の研究課題の一つだと言っても良いでしょう。
少し前に、私はこのような事例共有の中で、ある高IQの男の子が中学校で『喚いたらしい』というエピソードを書きました(↓)。

今日はついに、
「自分なんか来なければいいと思ってるんだろー!」
と別室で喚いたらしいのです😭
私は本当にこの子の心が心配です。(今の彼は、親御さんの的確なご支援により、活発に元気にやっていると聞いています👏)
何よりも、私にとって違和感であるのは、この、『喚いたらしい』と親に伝わる報告です。
だってさ、子供が勝手に喚くわけ、なくない?ましてや中学生の年齢の子が。
ましてや高IQの子どもたちは、確かに感情の振れ幅が制御不能なほどに大きいけれど、決して意味なくそういうことにはならないのです。これは絶対にそうだと言える。それが高IQ児です。
すなわちここには、子供を喚かせた大人が必ずいるはずなのです。これは見逃せない視点です。大人ではなくて同級生とかかもしれないけどね、本人をそのような状況に陥らせた環境側の要因というのが絶対に絶対にあるはずなのです。
だけど学校の先生方は、そういうふうに親に報告しないのです。自分の接し方や学校の環境に原因があるとは、ちっとも思っていないのでしょうね。
似た事例が、私が勤務している高校でも最近報告されました。
私が勤める学校で私が見ているクラスの中には、明らかに理解が早くて深い、授業中の発言が多い、特定分野にものすごく関心が高くて理系の知識に口が立つ、そんな男の子が1人います。その察しの良さはそこらの大学院生どころじゃないレベル、彼の思いつきは鋭くて、私の授業もしょっちゅう結論を先に導き出されてしまって苦笑い、私は彼の頭の回転の早さには敬意を感じるばかりです。
なるほど、これがギフテッド児や、やっぱりこの学校にも在籍していた。彼にはどうか彼が望む進路に進んでほしいと、私は彼にささやかながらも熱烈な応援の眼差しを注いでいる日常です。
しかも彼は、罫線のない白紙のノートを好んで使っているのだから驚きました。私の息子もそうなんだよね、一緒やな、笑(↓)。
私は彼に聞きました。

お、白紙のノート!いいねえ!私も使ってるよ、使いやすいよね。

ノートの線とか、訳わかりませんよ。こういうの(線)があるから書きづらいし、思考が制限されると思うんで。
そうだよね、息子もそうだって言ってたよ。会話を楽しむ我々の、そんな話を聞いていたらしき隣の席の女の子がすかさずそこで言いました。

えー?そうかなぁ?線があった方がいいと思うよ。

なんで?

だって、その方が字が真っ直ぐに書けるじゃん。

へー、お前は線がないと文字もまっすぐ書けないの?(←さすが正論ど真ん中👏こういう物言いをするところも私は大好き、笑)

え!え!…そうだよね、書けるよね、うん書ける。
え、じゃあノートの線ってなんのためにあるんだろう?実は要らない?え?え?

はいそこまで。自分の好きなものを好きなように使えばいいの。どっちがいいとか悪いとか、そんな話では全然ないのよ、あなたのノートもとっても綺麗👍
そんな彼が、どうやら先日、学校内でパニックを起こしたようでした。その連絡が私にも周ってきたのはもちろん事後です。
回ってきたのは、『彼が学校でパニックを起こした』という事実、そして、『彼は人の話を聞く能力が低い、なぜ怒られているのかを理解したりその後どうするべきかを考えることができないこと、他の生徒の前で注意された際によく起こる』という大人目線の考察でした。

ほらね、やっぱりここでも彼をパニックにさせた“何か”があるのに、それには言及されていない。彼の特性のせいでこうなったんだと言わんばかりの大人側の言い分に、私はまだ考えさせられる思いでした。
まずね、あれだけの理系センスを発揮する、もちろん定期考査でも授業で伝えた科学的な表記のルールはキチッと守ってきている時点で、彼に人の話を聞く能力が低いはずはないと私は思うよ、そこらの子よりよほどしっかり聞いている。
人前で注意した?それも今や、大人の社会でもタブー視されていることはみなさん知っているよね、なんでそんなことしちゃったの?
想像すると、なにか彼だけのせいではないきっかけが、きっとそこにあったのだろうと思われるのにそれには全く言及されていないことに私は課題を感じました。
まとめると、学校でパニックを起こすギフテッド児は概ねこんな状況でしょう。
最初は、なんでもない本人の主張、本人の心に基づく原理からの行動はある
→ちょっとしつこい(主張が強い)ことがある
→面倒くさくなった、またはそれに対応しきれない大人(環境)からの”不用意な一言”“不適切な過剰な言動”が出る
→パニックへ
そうなるべくしてそうさせている、大人側にも絶対に不適切な落ち度がそこにあったはずです。
反省を込めて申し上げれば、私の息子がこれまでに自宅でパニックを起こした時はいつもそう。そんな時は私が必ず(面倒くさくなって)要らんことを言っていました。
大人側(環境側)の不適切な落ち度があるかもしれないことを、まずは大人が認識しようとするところから、社会の在り方や認識が変わってほしいと思います。
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