みなさんこんにちは✨
今日は『場面緘黙』について少し記録をしようと思います。
この記事を読まれる方には、“場面緘黙”という言葉に馴染み深い方もいらっしゃるかもしれません。しかしそれは、まだ一般にはなかなか聞かない言葉であろうなぁとも思います。実際に、私もそのような単語があることを知ったのは比較的最近のことでした。それは当サイトで私の幼い頃の困難を書いたことがきっかけで、それを読んでくださった方から初めて『場面緘黙』という単語を教わって、
あれは、呼称のある現象だったのか…
と驚いたくらいの状況でした。
そう。場面緘黙は当事者でさえ、情報に接する機会がなければそれが何なのかわからないまま、その多くが自分のせいだと自責しながら苦しみ続けることになってしまう、とても恐ろしい状況です。
ましてや当事者の多くが子供です。自分で気づいて行動に移すことは無理なのです。必ず親が気づいてやらなくてはならないはずの問題ですが、私の両親もきっと場面緘黙という言葉を知らずに私を育てたのだと思います。
しかし私には、本当に幸運なことに、この場面緘黙を自身の成長に伴い自信を育むことで克服してきた経緯があります。振り返ってみればそれはいくつもの偶然と環境と私の努力によって訪れた、本当にラッキーなことであったと思っているし、誰しもそんな幸運に恵まれるわけではないのだろうとも十分理解をしております。
私は今でも思っています。
できるだけ早期にその困難の実態を知り、正しい方法で対処することが出来たなら、私はもっと生きやすかったのではなかろうか。
私もまた、同級生がそうであったように自信をもって振る舞えて、私の可能性は、もっともっと広がったのではなかろうか。
私は概ね中学生の終わり頃まで、この場面緘黙の症状を持っていました。そして私にはチック症もあり、とてもつらい子供時代として思い起こされるばかりです。
そんな私の経験から、今日から『場面緘黙の克服を目指して』というタイトルでシリーズとしての記事を書いてみようと思います。
その主人公は、私の娘(4歳)になります。
場面緘黙の克服を目指して
私の娘にもまた場面緘黙症がありそうだ
以下、私がピックアップした場面緘黙(選択制緘黙)の実態です。
- 話す能力や理解力には問題がないが、特定の社会的状況や場面においては話せなくなる(口を閉ざしてしまう、喉が締めつけられたように声が出なくなる)という症状
- 発症例は200〜500人にひとりほど(研究により0.1%~2%程度とばらつきがある)
- 専門家でさえ「大人しく引っ込み思案」と「場面緘黙」を見分けることは難しい。性格の問題として見過ごされやすく、発見や治療が遅れやすい。
- 場面緘黙児の68.5%に発達障害の併存が見られる。
- 医学的には不安症群という精神疾病に分類され、現在日本では“発達障害者支援法(2004)”の支援対象に含まれており関連した支援を利用することが可能であるが、それについては今後見直しの動きもある。
出典:角田圭子編(2008)『場面緘黙Q&A』学苑社,Kristensen,H.(2000)Journal of the American Academy of Child and Adolescent Psychiatry 39, 249-256,中嶋裕子(2015)場面緘黙児への支援に関する一考察.
私には一男一女、2人の子供がおりますが、私の長女にはどうやらこの場面緘黙症がありそうなのです。
はぁ、似てしまったね…今の所、場面緘黙については遺伝的な素因はないとされているようですが(※発症原因は未だはっきりとわかっていません)、“気質”とでもいうのでしょうか、親子間で似た傾向があるというのは知られている事実のようです。
ちなみに、私の長男(←当サイトの主人公、息子です)にはこのような症状は見られません。しかし彼も外では口数が多い方ではありませんので、多少の傾向はあるかもね〜?とは思っています。
私は娘が心配です。
場面緘黙というものは、この症状のために本来持っている能力を発揮することを妨げます。
何より、本人が辛いのです。言いたいことは頭の中でグルグルグルグル回るのに、思ったことが自分で言えない、然るべき場で体さえ全く動かない、そんな辛さを私は身を持って知っています。
そして幼い頃からのそのような多々の経験は、本人の自尊心や自己肯定感の育成に大きな障壁となってしまうでしょう。
私は娘が心配です。私は娘に、そんな思いを出来るだけさせたくありません。
可能であるなら、どうか、どうか克服させてやりたいと心から願ってはおりますが、それはそう簡単な話ではないというのも実際のところのようですね。
さて。
そんな我が家は今、娘の場面緘黙克服に向けて、一歩踏み出そうとしています。
かつて、私自身は自らの成長と意志でこれを克服しましたが、娘についてはそんな悠長に構えることは致しません。だって私は辛かった!親にも周囲にも理解をされず、ただ出来ないことを強要される日々がいつも本当に辛かった。
だから私は娘には、然るべき対処をしてやりたいと思っています。
娘の場面緘黙の克服に向けて、どんなことができるだろう。
“娘の自ら成長しようとする力”に頼るだけでなく、まずは幼いうちからきちんと専門医の指導を受けて“医学的見地”をもって対処することから始めようと思います。
そんな話を、これから少しずつ、記録していこうと思います。
この記事が、ご興味のある方に届きますように。また、同じご経験のある方からのアドバイスやご経験談等もお聞かせいただけましたら大変ありがたく思っています。
早速次の月曜に、このシリーズの②:対応を開始する経緯までを記録しようと思います。どうぞよろしくお願いします。
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