みなさんこんにちは。
今日も当サイトへお越しくださり、ありがとうございます。
ところで、先日に当サイトで公開した記事について、たくさんのご意見をいただきました(↓)。
賛否(否というほどでもありませんが)、胸が痛んだというご感想、実体験など。私の狙いは議論の促しですので少し強めの表現になった部分もあったかもしれませんが、私はお目に触れた誰かの関心をちょっとでも引き寄せたり、ふと考えるきっかけになったならばいいなと思っております。これもまた、小さな一歩。ご意見等をお寄せいただいた皆様、いつも関心を持っていただきありがとうございます。私も学びが深まりますので嬉しいことだと思っています。引き続きよろしくお願いいたします。
さて、そんな流れにおいて、今日は不登校の子どもに対する無理解について一つのエピソードを記録をしようと思います。
当サイトでは、高IQやギフテッド児の実態であったり、不登校やそれに関するエピソードを誇りを持って発信することを目指しています。
少数派であるが故に、まだまだ理解が浸透しない、誤解や偏見も残っている。そうして傷つき消耗し、二次障害に陥るギフテッド児や高IQ児がいるという実態を発信し、少しでも、彼ら彼女らの繊細さを知ろうとしていただける方や、思いを共有できる方との出会いへと繋げたい。
このサイトは、今ではそれなりに多くの方のお目に触れているようです。さらにありがたいことに、中には運営にご助力をいただけるという方のお申し出や、

うちの話でよければ、全然使ってください
と、お子様の事例を共有し発信にご協力をいただけると仰る方など、今の当サイトは様々な方の関わりにより運営がなされています。動き出そう、働きかけよう、力を合わせていこうとするエネルギーが集まることが私はとても嬉しいし、型にハマらない子育ての苦労話を持ちよって、いつか未来の子供達が同じ思いをしないようにと同志たちの心からの願いが心強く感じています。
今日はそんな、一つのご家庭からのエピソード。
そのご家庭には、現在小学生の男の子がおられます。
高IQで、人懐っこくて、明るく繊細、学校という場所にはどうしても長く居られないようで、自らの心を守るために不登校を選択し、ご両親の理解と絶大な愛情に包まれて独自の学びを重ねているというお子さんです。
そしてこの話は我々にとっては、「よく聞く話」「よくある無理解」と、そうであるかもしれません。しかしそれが今なおこんなにも根強く、根深く残り続けていることを、私はまたありありと深く感じさせられたエピソードでもありました。
よく晴れた日に、お母様はお子さんと一緒に自転車で少しお出かけになり、楽しい時間を過ごされていたということです。しかしその帰り道、ちょうど校区の学校の下校の時間と被ってしまって、

同級生の男の子とすれ違うときに、聞こえよがしに、
『学校休んどるのに出かけたらダメやんか!』と、
そう言われた言葉が、子供の耳にも入りました。

親としては、学校は行ってないけど「外の空気を…」と思うし、複雑でした。

そう、こういう何気ない(?)一言が、不登校を選択した子供の心を傷つけます。『僕は家に居なきゃダメなんだ』と容易に思ってしまうほどに繊細で不安の強い子供が日本のギフテッド児であると思います。
これと同様の経験は、我が家でも、そして私も経験しています。また、子供のみならず、大人であってもそう言うことを口に出して言う人が、少なからず存在することも事実です。
私にもまた、本当に心底辛かった時期がありました。息子は学校に行けなくなって、私も仕事にも行けなくなって、そんな時ではありましたが、「今の自分ができることを」「少しでも前向きにあれるように」と、気を振り絞って外に歩きに出かけた時に、我が家もまた同様の言葉をかけられました。
その当時、私の心は本当に本当にどん底の状態にありましたので(息子の特性にようやく気がつき後悔と自責に立ち上がれなくなっていた頃のことです)、心が弱りきっていました。それに追い打ちをかけるような一言に、私は本当に立ち上がれないほどの衝撃と、残り少ない気力を全て削がれたような、もう私は私の人生を諦めてしまいたくなるような、そんな思いに押しつぶされて動けなくなったことを、今なお苦しい気持ちで思い返してしまいます。
私はその時、それでもこのまま私が潰れてはいけないと、這うようにして心療内科に駆け込みました。私も苦しい、息子はもっと苦しいという時でしたので、私はなんとか息子のために倒れるわけにはいかなかったからクリニックに足が向きました。当時の主治医は憤慨して、私を励ましてくれました。そのおかげで、私は今もなんとか生存しています。それでも苦しい思い出です。

生きるために、できることから少しずつ動こうとしているあなたを私は全力で肯定します!あまりに酷い言葉だと、私はそう思います!
当時の主治医は、そう言っていたと思います。
もちろんね、今の私は心が回復していますので、そんなことを言う人のことを、

狭量なんやなー、お可哀想に。
とシンプルに残念に思います。しかもさ、言った側はあまり深く考えていないだろうことがすごく嫌だよね。誰かの心を殺したことにも気づかずに「正論を言ってやったぜ」と思っているかもしれないし、なんならその後、言ったことさえすぐ忘れてしまう、そんな程度にしか思っていないもしれません。だけどそれでも言われた方は、本当に、本当に傷けられる言葉であると思います。
何?
学校に行ってない子供は家で膝を抱えていろと、そういうことを言いたいわけ?
これも社会の中の「〜べき」という圧力のようなものや、余白のない空気感が作用しているのかもしれませんが、そんなことは全くないのに一体どういうことなのでしょうか。
このお母様のすごいところは、すぐに手を打たれていたことでした。さすが👏

夕方に担任と会うために学校に行き、その話を子供から担任にしていました。
担任からは「これまでも登校したときに同じようなことを言われた事ある?」と聞かれ、「あるよ」と答えていました。
先生達で報告&共有していただけることになり、学校に行けたときに少しでも嫌な思いをしないようにするとのことでした。

今年度の担任は守ろうとしてくれるのでありがたいですけどね。
不登校の気持ちは本人と家族、当事者にしかわからないんだなぁと思わされました。
そう。
どんなことでも、当事者には当事者の思い、他人には決して推し量れない事情があります。
不登校の同級生が、良いお天気の日にお母さんと外出していて、何かあなたsに直接被害がありますか?ないよね、多分。ないなら、黙って通りすがってほしいです。
邪魔をしないで、足を引かないで、どうか心からのお願いだから。
繊細な子が精一杯に成長しようとする日々の中に、どうか影を落とさないでほしいです。こちらもこちらで精一杯に芽を出そう根を張ろうと必死に頑張っているのだから。

そうした他人の不用意な接し方が、子供の心にどれだけ傷を残してしまうか、考える機会になってくれればと思います。
ーーー書籍紹介ーーー
私はこの春から全日制高校の教諭として、理科(化学)を教えています。私は学生時代に化学がとても好きだったのは周期表の美しさに心から惹かれたためでした。そんなワクワクを思い出したい、大人がワクワクしていないと生徒さんたちだってワクワクしない、そう思って直近で何冊か読んだうちでは、こちらが肌に合いました。面白かった!やはり周期表は美しい、宇宙で一番美しい表である。そのことを、再認識をできました。一般向けに書かれています。初学者でも十分読めると思います。
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