みなさんこんにちは✨
先週に書いた下記の記事については、本当に多くの方からコメントやLINE等で共感の声をいただきました。
いずれのメッセージもとても興味深く拝読させてもらっています。『やっぱり!』という共感や『うちだけじゃないんだ』とたくさんのエピソードを読むうちに私もすっかり慰められた次第です。
母親だって、もっと気軽に愚痴を言っても良いんじゃないの?そう心から感じました。
我々の子は、とてもではないが一筋縄ではいかないのだというそんな事実を受け入れて、それを受け入れた上においてなお『分かっちゃいるけど辛いのよ〜!』とどんどん言っても良いんじゃない?
抱え込んではいけません。それが我々の持続可能な子育てへの、唯一の方策なのかもしれません。
そう、子育てだって、SDGsが大切です。
今日はいただいたコメントの紹介などを交えつつ、我々の持続可能な発展的子育てに向けての心構えを改めて確認しておこうと思います。
抱え込んではいけません。子育てだってSDGsが目標です。持続可能な発展目標を目指して、私たちは連携し合えると感じました。
子育てだってSDGs
母はもっと気楽に愚痴を言え
先日の記事において、私も本当に率直な気持ちの愚痴なんぞを吐かせてもらったわけですが、これには本当に驚くほどたくさんの共感だったりご意見などが寄せられました。みなさんありがとうございます。
母だって人間ですから、辛いですよね。
私も息子のために何度、頭を下げたか、数え切れません。
いやー、ほんと、辛いですよね。助けてくれ〜って泣き出したいし、逃げたい時もありますよね。
特性とはいえ、振り回される母はしんどいですよね。投げ出したくなることもしばしば。
私はたまにバッティングセンターで発散します。
また、この記事のネタになった(←笑)Sさんご当人からもLINEでメッセージをいただきました。
記事読まさせていただきました。まさにデジャブー状態です(笑)
母、燃え尽きました。
いやもうほんとに、それなんですよ。我々も、頭ではわかっているのです。これが特性であり個性なのだ、これがこの子らしさなのだということは百も承知しております。
それでも『なんでそうなるの!?』と驚かされるばかりの衝動性や反応性、なぜ他の子供たちと同じように当たり前に学校生活が送れない!?と嘆きたくなるような不適応。それが彼ら/彼女ららしさなのだと私も頭では重々理解しているつもりではあるのだけど、子供のうちはともかくとして“その先”が見えてしまう大人側から見れば心配にだってなってくるし、親として出来ることはやって行きたいと思っているけどその労力も報われない、無力感を感じるばかりの毎日であることが実際です。
先日の記事ではそんな率直な愚痴を書かせてもらったわけですが、思いの外、これを肯定していただくお言葉が多いことに私は励まされたような思いです。
そんな中でも、療育仲間のお母さん方と話す時は、唯一悩みを共有できました。
やっぱり似たような境遇の親と繋がるのが一番ですよね。親同士で愚痴を言い合うのが最もストレス発散になると思います!
愚痴っても生産性は無いけれど、精神衛生上は愚痴に意味はあると思ってます。
確かにMさんの仰る通り、愚痴を言うことは物事を解決に導くような生産性や合理性とは正反対の行いです。それになんとなくですが、社会の中にはその場で耐え忍んでただひたすらに頑張ることを美徳とするような、そんなフシさえありますね。
私がやらねば誰がやる!出来ることはいつでもなんでもやっていく!
私も心からそう思っているし、出来るだけいつも前向きにと心がけて過ごしてきてはいるのだけど、それでも愚痴を言うことを受け入れてくださる声がこんなにも多かったことに驚きつつも大変励まされる思いでした。
母親の心の健康があってこその子供の健康だもの。母親が(もちろん父親も)愚痴を言うことが、もっと歓迎されても良いのではないか。
主張その1:『愚痴にも十分意味はある』
さぁ遠慮せず、どんどん言って行きましょう。
課題1:共感し合える愚痴仲間が周りにいない
愚痴はどんどん言っていこー!
そうは言えども、ここで早速我々には大きな課題が立ちはだかります。
それは“神経発達症(発達障害)の特性”だったり、また、当サイトでは高IQに起因する困難なども取り上げることが多いですが、これらの話題は誰とでも共感できる話題ではないことです。
『それでも彼は普通でしょう?しっかりしていそうに見えるけど。』
『考え過ぎじゃない?』
ちょっと愚痴を言ってみても、相手方にそう言われたら我々は返す言葉もありません。
先ほどのAさんのコメントにもありましたが、
話すことでお互い救われてたように思います。やっぱり似たような境遇の親と繋がるのが一番ですよね。
愚痴を言うことによる精神保全の第一歩は、似たような境遇のご家庭と繋がり合うことでありそうです。
それは療育の場を通してだったり、親の会や当事者会での出会いなどが重要な機会になるのだろうと思います。もしくは当サイトを介しての交流がその一助になったとしたら、そんなに嬉しいことはありません。私自身は当サイトを介して多くの似た境遇の方々と知り合えており、とても心強く感じています😊
課題2:私たちは神にはなれない
先の記事で、私は息子のドタキャン問題を専門家にも相談したことを書きました。
ドタキャンもただの事実なので、本人を責めない方がいいでしょう。対応としては『行けないのね、キャンセルしておくよ、次行く時はまた手配するから』でオッケーです。
これについても『ほんとそう!』と叫びたくなるほどの多くの共感をいただきました!
対応の仕方を学べば学ぶほど「私に神になれと言うのですか?」という無理難題!
専門家の方から言われることって、母は聖人になれってことですか?って感じで、若干、怒りすら湧く時ありましたよ…。
まず親が受け入れなくてはならないことは分かっていますが、難しいですよね😰専門家の先生は、実際に24時間子供と暮らしているわけではないですものね。
わかる。超わかる。みんな同じなんだ….。
すんごい分かる…。みな耐え忍んでいるし、感じる理不尽は同じでした。
癇癪を起こす子供本人にも葛藤があることは分かります。そう頭では理解しているのですが、心がついていけない時があるのです。
そして母は困り果てて専門家の方に相談しても、『責めてはいけません』『受け止めてあげましょう』と私たちは言われるわけです。
『はいそうですね』と、すんなりそう言えない自分がやるせないばかりでなく、Aさんも仰いましたように、
若干、怒りすら湧く時ありましたよ…。
そうなのです。怒りすら湧くのが本音でした。これまで私はそんな怒りは感じてはいけないのだとどこか押し殺していたところもあったけれど、私の本音にも気付かされたようでハッとしました。また、やっぱりみんなもそうなんだ!と改めて心強く(?)も思ったり。
私にとって『自分だけが神になれないのではない、みんな同じなんだ』と思えたことは、なんだかさらに私の心を自由にしたようにも感じました。
持続可能な子育てへ向けて
以上、そんな私の愚痴話から発生した皆さんとの共感は、私たちに数々の課題と今後の子育てへの向き合い方に多くの示唆を生みました。
- 愚痴を言うことに意味はあると知る
- 似た境遇のご家庭と繋がり合うことが大切
- 私たちは神にはなれないが、出来ることを精一杯にやっていく
そう、決して無理をすることなく、持続可能な子育てに向けて私たちは細くとも長く健全に過ごしていかねばなりません。
その実現に向けては、一時的にでも子供から一歩距離をとって見守る姿勢も必要だろうと思います(↓)。
母親が、自分の趣味を満喫するのも良いでしょう。(←私は昨日は一人で富士山に登頂しましたよ👍)
運動したり(スポーツジムや、私の場合は登山など)、飲み会だってたまには心置きなく参加できたら良いですね。
以前の記事でcherさんよりコメントを寄せていただきました。
親が考える以上に子供は親を見ているのだと自身の経験から思うので、Naomiさんの行動はまさしく、「親が親自身の幸福のために生きる」というお手本を見せている事なのだと思います。
そういうことかもしれません。
どうか日々の子育てに疲れている方、参りかけそうになった時。肩の力をスーッと抜いて、自分自身の幸福にも目を向けてみても良いのではないでしょうか。
子供はいつだって母の笑顔が最高の喜びなので。
状況によっては難しいことかもしれません。だけど持続可能な子育てはきっと長丁場になりますからね。少しだけ、意識することからだけでもやっていければ良いのではないかと思います。
子育てだって、SDGs。
いずれ、当サイトでもまたランチ会などを企画しようという声も出ておりますし、よかったらそんな場も利用してみてくださいね(企画が定まり次第アナウンスさせていただきます)✨
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