みなさんこんにちは✨
この夏から始めた私の短期アルバイトによる“お仕事体験”も今ではだいぶ経験値が増えてきたと感じています。
世の中には本当にたくさんの仕事がありますね。私はその全ての仕事が私たちの社会生活を支えていると重々承知しておりますが、それらも自分がいざやってみるとどれも本当に難しいものとだと感じています。大変学びの多い経験です。
この学びの多い経験を積み重ねるごとに、なんだかふと、発達障害の特性を持つ私自身についても分かり始めている気がしています。
今日はそれらの気づいたことを“私の発達障害と共に生きる生存戦略”と呼ぶことにして、これまでの反省と展望、私の友人の話などと併せて記録しておこうと思います。
発達障害と共に生きるための生存戦略
その1:世の中には多様な仕事があり、多様な人がいることを知る
まだまだ始めたばかりですが、私の短期アルバイトによる“お仕事体験”も少しは慣れてきたと感じています。
本当に、学びの多い経験です。最近ではさらに幅を広げようと、資格試験にも目を向け始めることができました(↓:無事に合格しておりました✌️)。とはいえ資格も必要に迫られて取得しているわけではないので結局使わないかもしれないけれど、それでも視野を広げる機会を得られたことはきっと今後の私の糧になるだろうと思っています。
思わぬ効果もありました。私が働きに行ったり勉強したりすることを、現在不登校の息子がとてもおもしろそうに話を聞いたり応援してくれているのです。これらを私はとても嬉しく感じています。
私はこれまで、短期のアルバイトとして倉庫の在庫整理や品物のピックアップ、アパレルショップの商品入れ替え、企業での軽事務作業やある大企業の職員食堂の洗い場だったり、市場の魚屋さんだったり、最近では居酒屋さんでのホールスタッフにも挑戦しました😎👍それぞれにやりがいのあるお仕事でした。
それらの仕事を通して、色々な人に出会えていることも大きな経験になっています。
とても丁寧に指導をしてくれる責任者、作業の出来栄えがよければ褒めてくださる社員の方、気楽に話をしてくれる同僚の方など、温かく接してくださりとても嬉しく思っています。
しかしながら合う人がいるという一方で、びっくりするほど合わない人もおりますね(←悪口を言いたいのではありません、悪しからずお受け取りください)。合う合わないはお互い様でもあるので特に気にしていませんが、ほとんど初めて社会に出たと言える私は『へー!こういう人がいるんだ!』とびっくりしたり目から鱗なこともあったりします。
私はこれまでずっと研究職に従事しており、その領域でも色々な人に会いました。私は様々な会に所属していたし交流は割と広い方だったと思うのですが、それでも社会にはもっと色々な人がいるのだなぁとありありと感じたりもしています。
そういえば。私の夫は会社員ではありますが、ずっと前にこんなことを言っていました。
それは私が研究者の集団の中で『どうもあの人は変わっていて(←というか、変わった人しかいないと言っても過言ではない、笑、もちろん私自身も含めてです)考えがなんだか合わないのよねぇ』と夫に愚痴を言った際、てっきり共感してもらえると思っていたのになんと夫はとてもうんざりした口調で言いました。
それでも、Naomiさんの周囲の人は少なくとも全員が知的であるし、ある程度はソフィスティケイト(sophisticate)されている人たちばかりでしょ。
世の中には、本当にびっくりするほど理屈も話も通じない人とか、たまにいるよ。
そうなんだろうね。この“ピンとこなさ”が私の世間知らずの本態だったのだろうと今振り返れば思います。夫は一足先に社会に出て、当時はとっくに今の私と同じ経験をしていたのでしょう。
世の中には、色々な人がいる。それもまた、当たり前のことである。
私や息子には独特とも言える特性があります。また、娘には場面緘黙症の障害もあります。どこででも、そつなくやれる訳ではないのが私たちだと思います。
だからこそ私たちはなんとか生存するために、自分が無理なくコミュニティに参加できる特性に適した環境を選択していくことが重要になるのかもしれません。そんなことにも改めて気が付くことができたようにも思います。
その2:自分の得手不得手を知ろう
環境を選択するためにも、自分の得手不得手を自ら知ることは重要です。
私はこれまで1種類の仕事にしか従事した経験がなくて、お恥ずかしながら就職活動というものの経験さえもがありません。自らの得手不得手や適性についてを真剣に考えたことはなかっただろうと思います。
それでも私は人と協力して新しい事や物を作ること、また、自分のペースで集中してできる仕事が好きだし割と得意だろうと思っています。
一方で、私は字面をそのまま受け取りがちである(建前とかが分かりません💦)ことや、察して動くとかがとても苦手であることを大いに自覚しているために、暗黙の了解が求められる環境は不得手だろうと思います。
さておき、アルバイトの話に戻ります。
私はこれまで何度かお仕事先の方に褒めてもらったことがありました。主に細かい作業で集中力を求められる場合だったり、マルチタスクで段取りを考えて自分の裁量で動くなどで褒められたことが多かったように思います。
ものすごい集中のオーラを出してましたね。話しかけたら悪いかと思っちゃいました。
すみません、遠慮なくお声がけください。でも私はそういうフシがあるので、もしも話しかけて返事がなければ肩を叩いてもらえると気が付きます。
一方で、人と連携プレーで動くような仕事はどうにも少しぎこちなかった印象です。特に居酒屋さんでのホールスタッフの仕事は初回というのもありますが、かなりの集中力を要しました。
居酒屋さんでのお仕事は、同時進行で考えることがたくさんありました。食器を下げるタイミング、続いてテーブルセッティング、その合間にも注文のために呼ばれたり(←作業を中断される=私にはストレスになってしまう)、「さっきの注文をキャンセルしてやっぱりこちらにしたい」と言われたらなんと返せばいいのか(←臨機応変が難しい、私はもともと台本がないと喋れないのです😰)とか、お客さんが来たら何人でどの席に通すのか、お待ちいただく場合はどれくらいの待ち時間になる見込みであるか、目まぐるしく状況が変わっていくことが面白い反面、混乱しないように常に気を張っている感じでした。
それでも数時間経てば慣れてきて、それなりに動けるようになっただろうとは思っています。そのコツもやっぱりあって、忙しいながらも他の店員さんの動きをきちんと観察して出来るだけ真似ようと努めることが効果的だと学びました。
帰り際にはお店の方から、
よかったらまた働きにきてください。
そう声をかけていただきました。少しはお役に立てただろうか。たとえそれが社交辞令でも私にはその真意は分からないので、一応は字面通りに受け取りました👍とても忙しかったけれど、せっかく覚えたそのお店のテーブル番号と作業です。次はもう少し上手くできそうな気もします。いずれまた近いうちに、こちらのホールスタッフとして働かせてもらいたいなと思っています😊
その3:仲間がいる
私には、話し合える仲間がいることも新しい挑戦を支えてくれていると感じています。
アルバイトに関して言えば、今は遠方に住んでいる友人の存在がとても励みになっています。彼女は私が研究者として勤めていた研究所で所長秘書を務めておられた方でした。今はご主人の仕事の都合で転居されましたが主婦としても超やり手、英語もPC操作も申し分なく、常に綺麗な身なりをしている所作も美しい人です。
そんな彼女とは今も時々連絡を取っていますが、先日ふと、私がアルバイトを始めたことを話した際に、彼女もまた新しい仕事に挑戦していることを聞きました。
私も新しいパートが楽しくて😊いろいろ大変で、最初は全然使い物にならなくて辛かったけど、辞めずに耐えて認められるようになってきからパート自体も楽しくなってきたよ。
いろいろやってみると、自分のこともわかるようになるよね。今のパート先は忙しいから、暇だと死にそうになる私には合ってるわ。
そうなのね〜。彼女は今はバイクに乗って、デリバリーもこなすよう。すごいなぁ。新しいことに挑戦する意欲と姿勢の良いお手本が見つかりました🙌
研究していない大西さんがうまくイメージできないけど…接客も向いてると思うから何度か経験してみて!
状況を想像し合い応援しあえる仲間がいるということが、とてもありがたいと思いました。
私は思い通りにならないことがあると(さすがに子供じゃないので癇癪までは起こしませんが)かなり長い時間引きずってしまうこともあるのです。それは自覚しています。
だけど思うようにいかなかったという時にでも、友人にちょっと話を聞いて貰えれば、
それは気にしなくていいよ。最初からなんでも出来るわけではないし、接客は反応が返ってくるおもしろさもあるよね。伸び代たっぷり!
あっという間に時間が過ぎるから私はずっと続けてきた事務仕事よりも接客が好きだと思ってる😊
そう励ましてもらって、『そういうものかー😲』と私もわりとすぐに切り替えることが出来るようになりました。
このように、私は今、自らの発達障害の特性と共に再び社会と関わろうとしています。
これまでの私は、無意識のうちにも自分が生きやすいと感じられる島(研究職)に流れ着いていたために、環境選択や得手不得手については真剣に考えたこともありませんでした。
しかしこれからまた新しい社会との関わり方を模索する上で、今の経験をどうか学びの多い経験にしていきたいと願っています。
そのために、下記の項目は重要です。
- 環境を選択すること
- 自分の得手不得手を知っておくこと
- 仲間がいること
特性のある人にとっては、これらの戦略は一層重要になるであろうと感じています。
本当ならね、こういうことは学生時代に済ませておくべきことのような気もしますけど😅、私は本当に研究だけをしてきてしまって世間知らずのままに大人になってしまったので40歳を過ぎてからの模索と挑戦になっています。
いつだって、遅過ぎることはないでしょう。いつからでも成長と発見は得られることを信じながら、そして何よりも自分自身を信じながら今少し挑戦しようと思っています。
大丈夫、たとえ失敗したとしても、家に帰ればそこは安全地帯なのですから。子供たちにもそんな生存戦略を伝えていきたいと思っています。
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