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時代は変わる

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私が日々徒然と思うこと

みなさんこんにちは✨
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雑感徒然。

私は先週の水曜〜土曜まで、今夏に亡くなった実母の四十九日法要のために私が生まれ育った富山県に帰省をしておりました。

ええ、母が亡くなったのは7月でした。四十九日どころかすでに3ヶ月ほども経っとりますが(←ヲイ!汗)これも諸々の事情によって致し方なく受け入れての法要です。

私

私は9月に引っ越しもあるし、娘の学校の都合もある。親族ももうみな高齢や、遠方から来る人もおるし、夏の盛りに集まってもらうのも辛かろう。

私の弟(喪主)
私の弟(喪主)

良いと思う。自分も仕事は夏がめちゃくちゃ忙しいし、10月にもなれば休みやすいし涼しかろう。

仏さんになろうとする母を待たせることになるわけで、そんな柔軟で良いんかいな?ともよぎったけれど、この個人が大事にされつつあるご時世では『絶対にこう!』というものでは無くなりつつあるようです。親戚一同も、そして法要をお願いしたお寺の住職さんも、この柔軟さをとても好意的に受け止めてくださったことは私たちもホッとしたところでした。

お寺さん
お寺さん

手を合わせる気持ちがおありですから、それが一番です。お参りは生きている人の都合を優先して良いのです。

母方の親族一同、そして母と離婚した父は来ませんでしたが、母によくしてくださった父方の親族も多くが集まってくださって、賑やかで思い出深い法要ができたのだと思います。

このような場でしか会えない親族も実際にいる。母が再び会わせてくれた。感謝感謝。

しかしなんとも、感慨深いものでした。

私は18歳の時に、『もうここには戻らん』という思いで故郷からの脱出に成功したと思っていました。富山県は自然に恵まれた良い土地ではあるのですが、地方都市にはよく聞く話と同様にとても保守的な面があり、同一性や“みんな”と一緒が暗に望まれる空気感が少し息苦しい部分も感じます。私はそんな空気感があまり好きになれませんでした。

それなのに、親が死ぬとまた故郷という場所の存在感は増していき、子孫一同を連れてまでそこへちょくちょく足を運ぶことになるのだから不思議です。それが故郷というものか、故郷からは逃げきれない。一方で、私にはそんな故郷と呼べる場所があることは、いくらかのありがたさもあるのだろうか?と複雑な思いを感じました。

今回は、数十年ぶりに親戚と呼ばれる人たちが集まったことで、自分のルーツにまつわる話もたくさん聞くことができました。自分にも先祖というものがあること、その方々の墓がある場所、親戚という人たちのこと、その人々がどんなふうに時代を生き抜いてきたのかを。

嫌だ嫌だと思っていたかつての私の子供時代も、また違った見方ができる可能性があるだろうとも思いました。

 

本当ならば、友人らと会ったり遊んだりもしたかったのですが、東京から富山県まで夜通し早朝にかけて自家用車を運転して行ったことや慣れない法要に疲れてしまって、法要後には私はもうぐったりしてしまって誰にも会えず😅特に、ずっと富山に住む友人らには、何も知らない経験不足すぎる私に法事というものの段取り地域の慣習というものを一つ一つ教えてもらってこそ達成できた法事なのに、私はその十分なお礼もできていない有様です(←私は親戚付き合いの薄い家で育ち、親が死ぬのも初経験なので本当に何も知らなかったのです🙏)。持つべきものは友人です。いつか恩返しするからね!

 

法要後は倒れるように寝てしまったその翌日は、それでもちょっとは富山紀行。娘とちょこっと温泉に入り、息子が好きなお寿司を食べて、そしてずっと密かに私自身が行きたかった立山博物館を見に行くことができました。

そこで私は“剱岳の錫杖”を見てみたいと思っていました。本物が展示してあります。詳細は映画や小説の「点の記」をご参照くださいませ。

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近代日本地図最後の空白地帯であった未踏峰の『剱岳』の測量のため、命賭けで前人未到の難峰に挑んだ人々のお話です。自然の怖さ、人間同士の競争・プライド、犠牲者も出て、やっとの思いでたどり着いた山頂に、人工物が落ちていた。そこで私たちは遠き先人に思いを馳せることになるという話です(←私の印象で書いてますので感じ方は人それぞれです)。

実話に基づくとても壮大な作品で、私もかつて夢中で読みました。

その人工物(錫杖頭)の本物が、ここに展示してあるのです。

もっとボロボロかな?と思っていたけど、目にすればそれはキラキラ綺麗でものすごく手の込んだ明らかな“人工物”感に、私は当時の測量隊の衝撃を想わざるをえませんでした。感動のあまり缶バッジを購入。

芸術品やで、こんなもん未踏峰の山頂に落ちてたらそらショックやわ😅

博物館にはブーブー言っていた息子(←お腹が空いていて機嫌が悪かった、しかし誰よりも真剣に博物館をスタスタ見てまわっていた)も、色々と楽しんだ旅となったようでした。親戚との交流も笑顔で過ごし、楽しかったと言っていました。

喫茶店でモーニングをいただけば、最近とんと見なくなったエッグスタンドと再会し、つい懐かしさに微笑む私。そういや実家にはあったし毎朝出てきていたのになぁ。

絶滅危惧種か?富山で久しぶりにエッグスタンドにエンカウントした。
息子
息子

お母さん。この食器は21世紀では見かけないけど、時代とともに淘汰されたものなの?

それはエッグスタンドというものですよ、どうも初めまして。
息子
息子

初めまして。確かに、なくても卵は食べれるもんね。

私

そう、その食器はたしかに時代の変化とともに影を潜めたかもしれないけど、昭和の頃にはどこの家庭にもあったであろう、とても一般的なものだったのだよ。

私

他にも、イチゴをつぶして食べるためだけのイチゴスプーンや、グレープフルーツを食べるためだけにギザギザのついたグレープフルーツスプーンなどもかつての時代には存在したのだよ。

息子
息子

は!?そんなにスプーンばっかり要らないでしょ!

そうかもしれない。

それでも、当時のあの頃にはエッグスタンドもイチゴスプーンも“当たり前”のものだった。

時代は変わるということだよ。

変わりながら、当たり前は続いていく。その過程で無くなっていくものもあり、生まれてくるものもある。

親もいつか必ず先に居なくなるし、そういうものだと思うんだよね。

どうかこれからくる時代の当たり前が、あなたにたくさんの幸せをもたらすものであってほしいと、私はいつまでもそう願うと思うんだよ。

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