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親は死んでも親である

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成人ギフテッド母の成長記録

みなさんこんにちは✨
今日も当サイトへお越しくださり、ありがとうございます。

先週7月5日に開催された思春期早発症を話し合う保護者の会にご参加いただいた皆様、改めて有意義な話し合いをいただきまして誠にありがとうございました。

有意義な会だったと思います。印象に残ったことや、第二回の想定などはまた改めて記録をさせていただくつもりとしておりますのでご関心のある方は今しばらくお待ちください😊

 

さて今日は、私事ではありますが、つい先日の出来事から私が痛感したことを記録しておこうと思います。今週の月曜の朝でした、私の実母が亡くなりました。朝に入所先の施設より連絡を受け、東京にいる私と富山県にいる私の弟はすぐに向かいましたが、私たちが到着した時には母は本当に穏やかな顔をして、まるで眠っているようでした。本当に突然のことでした。

とにかく突然のことでしたので、私は驚きはもちろんですが、娘としてやるべきことが多すぎることにも驚きました。かつて祖父母の葬儀に参加したことはありますが、孫の立場で参加することと子の立場で主催することはあまりに違う。2人しかいない親のことです、私には初めてのことで一つ一つが手探りで、信頼する友人からいただいたアドバイスを心の支えに、まずはひと段落つけられたというところです。

友人
友人

あわてるな。手続きも急ぐな。色々な期限は長いのだからバシバシやるな、ゆっくりで。(←私の特性をよくわかってくれている人です、笑)

親は先にいなくなるものです。当然です。

すでに母の両親(私の祖父母)は他界しており、母の兄は健在ではあるものの、これは概ね順番通りのことなのです。この“順番”が狂うと辛いのですが、今回はそうではありませんので私の心配はいただかなくて大丈夫です。

とはいえ私は親の死を目の当たりにし、本当に考えさせられることが多かったと感じました。

 

私の実母は、明るく、強く、お騒がせな人でした。波乱の人生だったと思います。

発達障害特性の強い私の父と一緒になり、苦労したと思います。私と弟は学齢期からすでに社会に馴染めず、弟は当時登校拒否と呼ばれた不登校で学歴としては中卒です(←今は社会人としてバリバリ働きよく稼ぐ男になっています)。あの時代、あの土地柄で、女の子の大学受験長男の不登校を支えた母は一体どんな思いだったのだろう。それは私が今この時代この土地で息子のことをブーブー言うこととは到底比べものにならないほどの苦労、心労だったと思い知ります。

母は父と離婚して、ずっと働いて私の大学費用を支え、40代後半でうつ病を患い、長く精神科に入退院を繰り返しました。年齢的には60代と若かったけれど、体は弱っていたのだろうと思います。

私は、私が母の精一杯で大事に育てられたと知っていました。それなのに私はうるさい母を嫌がり、離れたきりとなりました。嫌がりながらもあと30年はこのままなのだろうと、私は完全に油断していました。

 

親は、死んでも親である

今回私は、つくづくそう感じました。

私の足元に道があるのは、明るく強い母のおかげだった。元気だった時の母はどこへでも行き顔を出してはよく喋る、本当に明るく強い人で、気づけば輪の中心にいるような人だったのです。その情報収集力で、私たちは育てられたし自立したのだろうとも思いました。

母がうるさく言っていた言葉も思い出します。うるさいとしか思わなかった、でも大事なことを言っていました。もう一度自分の在り方を振り返りたいと思いました。

そう言う意味で、親は死んでも親であると感じています。

以前に、当サイト主催の勉強会を開催した際にご参加くださった方が言っていました。

ご参加いただいたママ
ご参加いただいたママ

目が開くのは、親が死んだ時です。そこで気づいてやっと伸びる子達です。

そうかもしれない。それならば次は私が死んだ時にも、私にそっくりな息子の目が開くかもしれない。私は密かにそう願い、残せる言葉や習慣を伝えていくことができるのかもしれません。

母が亡くなり、駆けつけてくれた叔父(母の兄)が言っていました。

叔父
叔父

お前も、波乱の人生だったの。よくやった、お疲れさん。

波乱にさせたのは我々です。だから私も頑張ろうと、心からそう思うのです。恥ずかしくないように頑張りたいと目が開いた心境です。

 

母は強く、社会人としてはともかく主婦としてはややポンコツで、お騒がせで、気づけば輪の中心にいる明るすぎるくらいの人だったと書きました。

そんな母が亡くなったのは、実は私の娘の7歳の誕生日の朝でした。

なーんかふと、思ったよね。

…合わせてきやがったな、アノヤロウ笑

って😅

してやられた…今回も母の思惑通りになったんじゃねーか!?

否が応でも、有無を言わさず、私はこれから娘の成長の折々に、母を思い出すでしょう。これから幾度と来る娘の誕生日パーティーにだって、

私も呼んでくれるんだよね〜♪

とまるで当然のような顔をして、ちゃっかりその場の中心に着席して参加する母の顔がなんだかすでにありありと目に浮かぶようでもあるのです😅

…合わせてきやがったな、アノヤロウ笑

親というのは、いつまでも親であるのでしょう。それはずっと超えられない、いつまでも敵わない存在だということなのかもしれません。

冥福を祈りたいと思います。

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