みなさんこんにちは。
今日も当サイトへお越しくださり、ありがとうございます。
ちょうど昨日(5月13日火)の日本経済新聞の夕刊に、昨冬に発足した“日本ギフテッド・2E学会”に関する記事が掲載されておりました。読みました?
私は今、私立高校で理科を教える仕事をしております。
この学校内で私は密かに先生方にも“ギフテッド”というものを少しでも知ってほしいなと願っていて、職員室で時々さりげなく話題に出すなど、地道な活動をしています。そんな活動の甲斐あってか(笑?)、今朝に私が出勤した際、勤務校で同僚の先生がこの新聞記事を私にくださいました。嬉しいね、気にかけてもらっているし、関心を持っていただいて仲間意識を感じます。
内容としては、日本のギフテッド児や2E児の実態を伝え、学会発足の意義や必要性を伝えている内容でし。だけど私はこれをパッと見た初見時に、かなりドキッとしちゃったけれど、どうなのかしら?

「勉強できればOK」でない
…他の表現は、なかったのか?
しっかり記事の内容を読めば、記事の中ではこのように結論づけられて、きちんと書かれてはあるのです。
「(ギフテッドは)勉強ができるから大丈夫」なのではなく、適切な支援や配慮なければ不適応を起こしてしまうと理解する必要がある。」
でも私は、これまで当事者の保護者として何度かこのような言葉に直面してきています。

あー、テストの点数は取れるけど通知表の成績が「3」の子ですね。勉強ができれば良いというものではないですから。
今回も、そんなようなことを言われたのかと、無意識に感じ取ってしまったのだと思います。
それは当サイトの前回の記事にも関連するかもしれませんが(↓)、学業を修めるだけではこの社会では高く評価はされないのだと、ここでもまた言われたような気がしてしまった。
単なる私の被害妄想かな?とも思い直し、職員室で何人かの先生方に聞いてみました。

この見出し、どう思います?

確かに誤解を招くものだと思う。駅とかに置いてあったりしたらそこだけしか目に入らない部分ですし、新聞記事の見出しとしては未熟なようにも感じますね。

あ、この記者の方が、心の底ではそういう価値観を持っているんじゃない?勉強だけできてもねー、みたいな。

「できる子だからと安心ではない」とかなら良いのでは。

ギフテッドや2Eも、まだまだ繊細なトピックであるのだから、もうちょっと、表現には吟味が欲しいと思います。
ちょっと朝から衝撃でした。
今日はそんな私の徒然とした消化不良の気持ちだけ、共有させていただきます。
高校現場の先生方との対話の中では、色々な学びを得られて面白いです。いずれまた、そういう話もここで共有していければなと思っています。
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