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新型コロナウイルス感染症の流行に伴う一斉休校をきっかけに、私の息子は大きく調子を崩しました。
もう限界だ、どこか小児の精神科を受診しよう。
そのような状態の我が家に、「私の実母が倒れた」という一本の電話がありました。
搬送先に向かいましたが、その病院での診断は『寝ているだけ』というもので帰されて、私はその夜、1人で母を看ることになりました。
いつ帰れるだろう。
夫がついていてくれてはいるけれど、息子が心配で心配で仕方がない。夫婦2人体制じゃないと、片方の負担が大きすぎる。それくらい、今の息子は目が離せない。
さらに「東京のグループホームで自立に向けて生活力をしっかり養っているはずだ」と信じていた母の生活の実態はひどく荒れていて、「息子のみならず、母にも手がかかるのか…」と私は落胆しました。
母の部屋の掃除をしながら、私の気持ちは沈み、夜は更けていきました。
母の容態
これが本当に、寝ているだけか!?
その夜、私は母を居室の布団に寝かせて母の部屋の掃除をしていました。
せめて少しでも、施設の部屋の状態を回復できるように。
そしていつか回復した母が、部屋とはこう整えてあるべきなのだと改めて気づくことができるように。
豊島区内の最初に搬送された病院から帰されてきたのが夕方6時頃でした。
21時を過ぎ。母の様子を度々見ますが、嘔吐は止まらず、相変わらず口から少しずつ嘔吐物が流れています。
呼びかけてみると、「うあ〜」という返事(?)をするようになりました。
大きな声で「私だよ、わかる?」と尋ねれば「わかる」と言うようになりました。
これは、快方に向かっているのだろうか。分からない。
よく見ると母の全身が、小刻みに震えているようにも見えています。
「寒いの?」と聞くと、「さむい」と母が言いました。
毛布を探して母に掛け、私は再び掃除を続けました。しかし次に様子を見た時には母が大汗をかいています。慌てて毛布を取りました。
寒いのか暑いのかも分からない。
母は受け答えはできているようにも見えるけど、意識は極めて朦朧としているし、これは本当に寝ているだけの状態なのだろうか。
その時、母が激しく嘔吐をし始めました。
まだ吐くものが残っていたのかと驚くような嘔吐で、嘔吐物の中には血液のような赤い色が見えました。
おかしい。
これは絶対におかしい。
22時頃でしたが、私は施設の職員の方に今一度電話をかけて、これから再度救急車を呼ぶことを知らせました。
救急隊員との話
救急車が到着する頃、施設の職員の方も母の居室に来てくれました。
私はこれまでの経緯を救急隊員の方に話しました。
午後に意識が朦朧としていたところを発見され救急搬送されたが、検査では異常がないとされて帰されてきたこと。
しかし痙攣が見られ、嘔吐は今も続いている。
ここで様子を見ていたが、明らかにこれは寝ているだけとは思えず、先ほどもひどい嘔吐をしたので再度搬送してもらいたいことを話しました。
救急隊員の方は、こう言いました。
午後に受診をしていて異常なしとされているものを、症状に変化がないのに搬送するかどうかは悩ましい。
搬送しても良いが、次の搬送先からも同様に帰される可能性も考慮しなければならない。
しかも次は夜中であるので、その時は本当にあなた1人で途方に暮れるかもしれませんよ、と。
私は怯みました。
夜中の1時や2時に、こんな状態の母と2人で外に出されたら次こそ本当にどうしようもない。息子が最優先なので、夫も呼べない。だったらせめて、朝まで待った方が良いのだろうか。
しかし、施設の方が「何かあれば電話をください。私も今日はここに泊まって待機します。できるだけのことを手伝いますから。」と言ってくれて、そのおかげで私は再度搬送してもらうよう救急隊員の方に強くお願いすることができました。
母に発熱があり、搬送先が決まらなかった
そして救急車に乗った時、体温測定で母に38度の発熱があることがわかりました。
当時は新型コロナウイルス感染症の流行初期で、最初の緊急事態宣言下にありました。
車内の空気が変わりました。
救急隊員による受入照会は「微熱がある」と言う時点で次々と断られ、母が救急車に乗ってから2時間近く経っても搬送先が決まりませんでした。
日付が変わる頃、5回以上の受入照会が断られたため、指定医療機関であった総合病院にようやく搬送されることが決まりました。
総合病院の救急での検査結果
母は重度の低ナトリウム血症だった
総合病院に搬送され、すぐに母は救急の治療室に運ばれていきました。
「ここでお待ちください」と言われた待合室で、私はずっと待ちました。
夜中の救急病院というのは慌ただしくて、色々な患者さんが次から次へと搬送されてきます。
たまたま、酔っ払った体格の良い男性が搬送されてきて、彼が暴れて窓ガラスを割りまくったために速やかに警察官がやってきてその場で男性が逮捕されるという光景にも居合わせました。
私は待合室で「祖母が転んで骨折をしたから付き添ってきた」という若い男性と話しつつ、暴れる男性の逮捕劇に居合わせて一緒に避難したり、祖母世代も大変だねと労い合いました。
長い時間を待ち、夜中の3時頃になってようやく私が呼ばれました。
救急医には「午後に搬送され受診した病院ではどのような検査をしたか知っているか」と聞かれました。
私は「当初は脳梗塞が疑われたのでその画像検査と、血液検査をしたと聞いています」と答えました。
救急医は驚いて、「血液検査をしたって、そう言ってた!?だったら気づかないはずないのにな〜…ま、いっか。」と言って母の病状を私に説明してくださりました。
『母の診断は低ナトリウム血症。それもかなり重度で生命の危険もあることをまず覚悟して欲しい。
治療はナトリウム濃度の高い点滴を行うが、急激なナトリウム濃度の上昇は非常にハイリスクなので後遺症の心配があることを理解して欲しい。すぐにICUに搬送して24時間体制で治療を行う必要があり、万全を期すが、絶対はないという状況。だからこれら同意書についてサインをして欲しい。』
私は医師ではありませんが、低ナトリウム血症については知っていました。
あぁ、なるほど。
合点がいきました。
神経症状、昏睡から死に至る。たしかそのような危険な病気だ。
『母は年齢的にはまだ若いが、精神疾患がありずっと施設で暮らしてきたので体力は年齢以下だと思っています。最悪の場合、及び後遺症については承知しました。どうぞよろしくお願いいたします。』
私はそう言って全ての書類にサインをし、救急の治療室をあとにしました。
入院手続きや支払いの確認を済ませ、母がICUに移動することを再び待合室で待ちました。
肺炎と感染症検査
それからさらに時間が経ち、明け方5時過ぎに再び救急の治療室に呼ばれました。
『ICUに入る前に念の為撮ったレントゲン検査で、肺炎があることがわかった。コロナウイルス感染症の肺炎とはちょっと違う気もするがなんとも言えない。これから新型コロナウイルス感染症の検査に回す。ICUも隔離室に変更になるのでもう少し時間がかかる。なお、感染の有無についての結果は2日後の夕方に分かる。お母様の生活圏、陽性だった場合の想定される感染機会、看病にあたり接触した人について簡単に教えて欲しい。』
医師の説明に、私は言葉を失いました。
『マジか…』
いや、年寄りはひょんなことで肺炎になるし、そういうもんじゃないの?
そうは思いつつ、世の中は未知の新型ウイルスを怖れ、先月には日本国内において初めての緊急事態宣言まで出されている。その最中において私が今医師から受けた説明は、決して楽観視できない、慎重な対応を要するものでした。
母がICUに入ったことを見届けて、私は午前7時頃、ようやく総合病院から帰路につきました。
それからの対応
向こう2日間の過ごし方
この後はどこか少し雰囲気の良いお店で朝食を食べて、コーヒーを飲んでから帰宅しよう♪
私のそんな目論見は崩れました。
私はそんな気分ではなくなりました。
まず夫に電話して経緯を話し、母の検査結果が出るまでのこれから2日間の我が家の対応を検討しました。
夫も、ショックを受けました。
息子に、なんて言おう。
仮に母が陽性だった場合私は濃厚接触者の筆頭であって、感染防御という観点で母と接してこなかったため、高い確率で私も感染していることが想定される。
この2日間は、私は家に帰らない方が良いのかもしれない。
その場合は夫1人で息子をみられるか。下の娘もまだ2歳。目を離さないというのは難しい。幸いゴールデンウィークの連休が始まったので夫の仕事はなんとでもなるから工夫次第か。
しかし私が帰らないことで、息子はさらに調子を崩したりしないだろうか。
だったら帰宅して、部屋を分けてできるだけ気をつけて2日間を過ごす。息子には落ち着いて話して分かってもらうしかないのではないだろうか。
まったくもう、本当にキャパオーバーだよ…
私は泣きそうになりながらも地下鉄に乗り、まずは母の入所施設へ向かいました。嘔吐物が残る母の部屋を片付けたり、職員の方に直接説明をする必要性を感じていました。
母の居室の後片付け
『今から施設へ戻りますので、今後のことについてお話したいと思います。』
職員の方にそう電話を入れてから、私は母の入所施設へ戻りました。
診断は低ナトリウム血症であり、入院期間は10日から2週間程度になること、その間は面会も不可能であることをお伝えし、新型コロナウイルス感染症の検査を受けることになった旨も話しました。
施設の方も、大きなショックを受けました。
母の最初の救急搬送から関わって下さった3名の職員の方々。
すぐさまそれぞれに連絡がいき、他の入所者との関わりを控えて待機するよう指示がなされていました。
職員のみなさんが頭を抱え、なんてことだと項垂れました。
私は母の部屋の片付けをしようと思って戻りましたが、嘔吐物の付いた衣類や寝具を共用の洗濯機で洗うことを控え、今はそのままにしておくことにになりました。母が退院したら、寝具は新しいものを用意すれば良い。感染が陰性であれば、その時に洗えば良い。
母の部屋はそのままにして、私は母の部屋にあった大量のゴミ、カビが生えたようなタオル類、冷蔵庫の中の賞味期限切れの食品類を次々と大きな袋に入れてゴミステーションに持っていき、そして私は自宅に帰ることに決めました。
帰宅へ
息子の混乱
私が自宅に戻る前に、息子には夫から話をしておいてもらいました。
『ばーちゃんは命は助かりそうだが肺炎があり、新型コロナウイルス感染症の検査を受けることになった。お母さんはばーちゃんと接しているので、帰ってはくるが、検査結果が分かるまでしばらくは別室で生活をする。子供たちはお母さんにはできるだけ接触しないように生活しなさい。』
夫は息子にそう話し、私からも電話で「大丈夫だから、落ち着いて乗り切ろう」と話しました。
しかし、息子はそれを受け入れられませんでした。
一斉休校により社会と切り離されたストレスに加えて、息子は未知の感染症を怖れるあまり外出を極度に嫌がるようになっていたのです。
その未知のウイルスを、自分の母親が保有しているかもしれない。
母親はどうなるのか。死んでしまうのではないか。
おそらく息子はそのように混乱したのだと思います。
また、外に出なければ安全だと思われていたのに、これからは家の中も安全ではなくなってしまうと思ったかもしれません。
もしくは、ただただ彼の頭の中で警報機が鳴り響き、何も考えられなくなっていたのかもしれません。
これまでの自傷的なパニックとは違い、それから息子は内側に籠るような混乱を見せました。
それから何も言わず、何にも反応しない。
食事も取らず、トイレにも行けなくなりました。
息子を夜に寝かせている間におしっこが漏れてしまい、それでも息子は動きませんでした。10歳にもなろうかという男の子が、濡れた衣類のまま朝まで横になっていました。
別のある日には息子の部屋から異臭がするので調べたところ、息子の部屋のゴミ箱やクローゼットに、ティッシュがかけられた便が見つかりました。何日分もがそこにあったのだと思います。
その異臭のする部屋で、息子は無表情でじっと過ごしていたのです。何も感じなくなったのだと思いました。
幸いにも、母の感染症の検査は陰性であったという報告を受けました。
しかし私たちの息子はもう、完全に崩れてしまっていました。私はどうしたら良いかが全くわからなくなっていました。
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