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通知表の『5』の話、その後

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10歳・小5

みなさんこんにちは✨

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ところで公明党の公約だった18歳以下の子供に対する給付金は、その保護者の所得によって給付制限がつくようですね。その是非はさておき、やっぱ日本はもう終わりやなぁと思ってしまったのが私の感想でした。

教育についても同じことが言えるからです。

いわゆる“落ちこぼれ”と言われる子に対する支援はあるが、その反対の“吹きこぼれ”の子に対する支援は今なおありません。

『出来るんだから良いでしょ?』ってことなんだろうね。給付金だってそうさ。稼いでるんだから良いでしょ?ってことだよね。出来るも稼ぐも、努力の上にあることを軽視してるよ。

“ある程度は出来るけど困っている子”もいるでしょう。もしくは『出来るんだから良い』と放っておくのではなくて、出来ることを当たり前に認めて当たり前の支援を受ければ、その子はきっと『もっと頑張ろう』って素直に思うのではなかろうか。

稼ぐ(って言っても子供が複数いたら結構カツカツの家もあるよねぇ)世帯は税金は払うが子供手当はカットされて高校授業料の無償化さえも対象外だし他にも色々、アホらしくなっちゃうんじゃないかしら。ちなみにこの所得制限により4.8%の家庭が対象外となるらしい。全体から見れば微々たる一部を排除して、一体いくらの節約になるのそれ。だったら子供のいる家全体に配ったって財政的に大きな負担増にはならないじゃん?稼ぐ親の子が、その10万円をどんなふうに使うのかを私は調査して公表してほしいと思っているよ。きっと何かワクワク面白いことに使うんじゃないかな😊そのお金でどんな教養が生まれるのだろうって楽しみな気持ちになるよねぇ😊

だけど日本はそうじゃないらしい。教育支援も経済支援も、日本の考え方はある程度出来る人間は対象外。これが国全体の成長にどう繋がるのかと思うとさ、なんじゃそりゃ、って思ったのよ。

 

さておき、今日はそんな徒然を想いつつ、先週頃に書いた“私の通知表で唯一あった『5』の話”のその後についてを記録しておこうと思います。

わたし
わたし

先生側からの、違った意見にハッとしました。同時に、先生も大変だなぁと思いました。

リスクを背負いながらも伝えたい

先生側の見方とは

先月の末頃、私は息子の通知表をまじまじと見ていたことをきっかけに、自分が子供だった時の“私自身の通知表”についての苦い思い出を書きました。

これを、小学校教諭を務めている私の古くからの友人が読んでくれてコメントを寄越してくれました。

小学校教諭の友達
小学校教諭の友達

面白かった。

自分が知ってる(私の)姿とは随分違って。

そうなの。

彼は私の高校生時以来の友人であり、私がある程度前向きかつ自信をつけた頃の私からしか知らないわけです。

きっと新鮮に映ったのだろうな。

だけどドン引きしたりする様子は全然ないし、『面白かった』って受け止めてくれるところはさすがだなって感じて私はとても嬉しかった。

 

実は。私は当サイトにおいて自分自身のことを書く時、毎度少しの緊張を感じてドキドキします。

その緊張の本態は、『大人になってからの私しか知らない、実際に面識のある友人知人らがコレを読んだ時、私に対する見方が変わってしまうのではないだろうか』怖れる気持ちがあるからです。

いや、良いんですよ。

何を言っても、過ぎたこと。私がそのような子供だったことは事実であるし、今更隠すことでも無いと思っているので私なりの事実を淡々とありのままに書いていこうとしています。

だけどやっぱり、『発達障害』という言葉の印象が悪いです。

困ったことがあるから“障害”という単語になることはわかります。

だけどまだ“発達障害者”の理解は低く、誤解や偏見も多々あることが現実です。

だから、もしかしたら読んだ人の中に、

『あの人は発達障害者だから、今後はできるだけ近寄らないようにしよう。』

そう思う人が出てくる可能性もあるだろうなって。そう、私は時々不安に感じることがあるのです。

思い込みでしょうか?心配しすぎでしょうか?もちろんそう思う人は近寄らないようにしてもらっても構わないし、偏見を持たれても(私自身は)構わないのですが、そうなったら少し寂しいなぁとは感じています。

  

しかしそんなリスクを負ってでも、発信することは重要だと考えています。

まず興味を持ってもらわなければ理解は生まれないと思うから。

私としては、私は私の特性を受け入れて、工夫と努力をしながら自信を育むことで自分なりに乗り越えて大人になったつもりでいます。

そして私が子供の頃の話を書いた時、それを読んでくれた友達は、

友達
友達

いつか気づいてくれるかもと、子供の将来に期待が持てると感じた!

と前向きに捉えるコメントを寄せてくれたことがありました。それを聞いて私は、

私

こんな話でも誰かの励みになることがあり、価値があることかもしれないわ

と何か気付かされたような思いがしました。

発達障害は個々に多様であり一概に言えることではありません。だけど私のケース、息子のケースを少しずつでも発信することで、理解を得るきっかけとなっていくことを目指したいと考えています。

 

さて、小学校教諭の友達に話を戻します。

彼はこの話を『面白かった』と受け入れて流してくれて、教師の目線からこのようなことを言いました。

友達
友達

そこには教諭の主観があるんだよ。

通知表≠成績表。勉強ができることを伝えるならばテストの返却で十分だしね。

 

その先生が、誤解や間違いがあるリスクを背負っても伝えたいことがあったのだと思う。

そうなの?だったら口頭で分かりやすく伝えてくれれば良いのによ。

当時の私はこの時の通知表がとても理解できなくて、実際にこの出来事は大きな混乱と大人不信のきっかけにもなった“苦い思い出”として私の記憶に残っています。

忘れりゃいいのに、その担任教諭のお顔もお名前も覚えています。当時、新卒だと言っていたので何事もなければ今も現役で小学校教諭(50代半ばくらいかな?)をされているかもしれません。

その担任教諭も、当時は経験不足だったのだろうとは想像できます。

発達障害や場面緘黙に関する認知もあの頃は決して今ほど広くもなかったし。

だから私のような子供に対して、どう接すれば良いかなんてきっと知らなかったのだとは思います。

 

だけどね。

私はすごく嫌だった。

こういうふうに後付けで自分の間違いを無かったことにしようとすることをとても卑怯だと思ったし、おかげで私は『もう自分の考えは絶対に出さないことにしよう』という極端な被害妄想も抱えたわけです(←私は“白黒思考”が強い子でした)。

そしてそれからの日々をその教室内で過ごすことは私にとって恐怖になったし、ただ時間が早く過ぎればいいと、そう思って教室内で過ごすようになったことを思い出します。

ちなみに、以前の記事で書いた(↓)、『読んだけど、君の作文だけイマイチなんだよな〜。だけど提出が遅いからもう直せないよ。』と言った教諭も同じ人。

今思えば、相性が悪かったんかな、って感じですけどね😅

(ちなみにこの“白黒思考”は発達障害を抱える人によく見られる思考回路のようです。今では私は自認し気をつけるようにしていますが傾向は残っており、息子を育てるにあたっても大いに悩んできました。そんな話もいずれ書いてみようと思います。)

 

しかし大人になった今、信頼する友達がこの出来事を客観的に見て、

友達
友達

そこには教諭の主観があるんだよ。

その先生が、誤解や間違いがあるリスクを背負っても伝えたいことがあったのだと思う。

そう言ったことは私に新しい気づきを与えてくれました。

彼の意見を勘案すれば、それでもその担任教諭はその学期の理科はいつもの『3』ではなくて『5』を付けることを選択したってことですよね。

行動に現してくださったという点では、やっぱりそれは『私に何かを伝えたい』というお気持ちの現れだったと解釈することが宜しかろうかと思うことができたのです。

今後の励みになるように作成するのが“通知表”

そういえば、先日に息子の小学校の保護者会に参加した際。

息子の今の担任教諭は“通知表”の位置付けについてこんなふうに説明をされました。

息子の担任教諭
息子の担任教諭

今後の勉学の励みになるために、通知表をお渡ししています。

今の担任教諭は息子との相性も悪くないようで、5年生の前期はこれまでに比べて“かなり甘め”のご評価をくださいました。事実、今期の通知表を持ち帰った息子はその前向きな評価にとても大きく喜びました。

息子
息子

計算ドリル、頑張ってよかったわ〜!!

とまで言っていましたしね。(←『どの口が言ってんだヨ!』としばし問い詰めたいけど耐えてる😩)

あんなに大騒ぎした我が家の“計算ドリル事件”も、今回は“通知表”のおかげで彼の成長の糧へと結実したのかもしれません。それなら私も嬉しいけれど。

 

このことは、担任教諭からのメッセージがうまく息子に伝わったことが息子の喜びに繋がったのだと思われました。

この“通知表”というものは、本来はそんな位置付けで作成されている物なのです

私はそれをようやく理解できてきた気がします。

 

私が子供の時。

伝えたいことがあるけれど、うまく伝わらないかもしれない。そんなリスクも含みつつ、当時の担任教諭もまた『私の励みになれば』という気持ちであの時私の通知表に『5』をつけたのかもしれません。

だけど当時の私はそれを受け取ることはできませんでした。

だったらもっと分かりやすく伝えてくれればよかったのにって今も思っているし、嫌だったという気持ちも消えていません。

だけどね。30年も経った今頃になり、自分によく似た息子を通して、あの時の“苦い思い出”も少し前向きに捉えられるようになったような。

なんだかそんな気持ちがしております。

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