みなさんこんにちは✨
この夏に、私は我が家の息子、娘に続いて私自身もまた心理検査(WAIS-IV)を受けました。その結果も既に出ています。
私は私なりの意図があってこの心理検査を受けたのですが、本当にこの検査は私自身の認知能力の発達特性や得手不得手に関して有益な情報がもたらしてくれたと感じています。
私は結果を受け取る際に医師からある程度の説明は受けたものの、それでもずっと、この結果の解釈についてもっともっと深く知ってみたいと思っていました。
そこでちらっと読んでみたのがこちらの書籍(↓):
今日はこれを読んで感じた、私の率直な感想などを記録しておこうと思います。
指標得点プロフィール及びそのディスクレパンシーの解釈を読み解くことで、自身と息子の認知特性をより深く把握したいと思っていました。良い教科書に巡り会えたと思います。ご一読をお勧めしたいと思います。
支援は効果があって初めて支援の名に値する
心理検査は何のために実施されるか
かつて、私自身が子供だった頃においては、学齢期の子供に対して一斉に“知能テスト”のようなものが実施された時代がありました。
私自身もうっすらとですが覚えています。パッとみた記憶力を問うものだったり、短い時間の中で立体図形の切り口の形状を見定めたりなど、公立学校の教室でクラスメイトと一斉にそんなテストを受けさせられたことを思い出します。当時の結果については私自身には知らされることはなかったものの、後日に私の母は学校から『私の知能指数が高い』ことを話されたと言っていたことがありました。
そんなエピソードも、私にとってはこれまでただの“点”でした。しかし今回、私が自ら希望して受けた心理検査(WAIS-IV)の結果においても私の全検査IQは130を超えており(: 98パーセンタイル)、数値としては高い水準にありながらも下位項目の指標間では大きな凹凸が認められることも分かりました。この結果は私にとって、これまでぼんやりとしていた“過去の点”が“もう一つの点”とつながって、まるで“1本の線”となってこれから私の行く先を照らし始めたようにも感じています。
しかし、子供の頃のあの集団検査?
あれは何のために実施していたのでしょうね🤔
また、どうして今は実施してはいないのでしょうか🤔
詳しいことは私は全然知りませんが、こちらの書籍を読んだところ、冒頭において早速このような記述がありました。
その最初の目的は、パリの公立学校での義務教育開始にあたって、知的発達に大きな遅れのある児童を判別するための知能測定であった。(中略)。この初期の「判別」という目的は、知能検査を「人間を仕分ける」ツールという極めて操作的な目的に限定されたために、多くの誤解と誤用を生む土壌ともなった。
第1章 心理アセスメント概論より
なるほど、想像ですが全員が高度教育を受けるわけではない時代において、最初に大まかな篩い分けをしていたのかもしれません。そうして“仕分ける”必要があった時代もあったのだろうとは想像だけはできますが🤔
しかしそんな篩い分けも、個人の幸福を最大化しようとする現代においては不適切なものになったのだろうと思われます。
私はまず本書を読みながら、心理検査は「判別」から「分析」へ、すなわち「仕分け」から「支援」のためのツールへと変遷していったのが今の在り方なのだと知りました。
私自身や息子にとって、どのような理解や支援の在り方が適切なのか。それを考えていく上でとても心強い書籍に出会えたのだと感じました。
同じIQでもこんなに多様
私と息子が受けた心理検査はそれぞれWAIS-IV(ざっくり言って大人用)とWISC-IV(子供用)で、いずれも以下の“4つの指標”とそれらを合わせた“全検査 IQ(FSIQ)”を算出することで個々の特性を評価しようとする検査です。
- 言語理解(VCI)
- 知覚推理(PRI)
- ワーキングメモリー(WMI)
- 処理速度(PSI)
検査の結果からは全検査 IQ(FSIQ)の数値ばかりに注目したくもなるのですが(←それも重要な情報ですが)、同様にしっかり精査検討しなくてはならないのが4つの指標のプロフィール!
ほら。同じ全検査IQの人を集めてみても、こんなに中身(!?)は多様なのです😲こちらの書籍では代表的なパターンとして実に多くのパターンが挙げられ、一つずつ分析されています。
認知特性の評価や支援のあり方を模索するにあたっては、このような認知特性プロフィールがとても重要になってきます。これを分析することでこそ、支援や合理的配慮に関する示唆を得ていくことが可能になります。
私がまさにもっと知りたいと思っていた部分です。私自身と私の息子はFSIQの数値自体はそれほど大きく違いませんが、その指標間のプロフィールが全く違っているためです。
例えば息子の場合ですが、彼は言語理解(VCI)が突出して高い、書籍の図を借りるならばこんな感じの認知特性プロフィールを示します(↓)。
一方、私自身の認知特性プロフィールは『VCI<<PRI=WMI=PSI』でちょうどぴったりのものが図としては載っていなかったのですが、文章で説明があった限りにおいては私の例はこのような“N型の亜型”として捉えられるとのことでした(↓)。
ちなみにですが、これらのプロフィールが平坦でなく、項目間で顕著に凹凸の差が大きいことを『生きづらい』と表現されたりそう声をかけられることも多いです。
また、4つの指標間のディスクレパンシーのために発達障害の存否を想像したり医学的な診断を求めたりもしがちですが、あくまでこれはその人の認知特性の表われ方の一つに過ぎず、例えば『このプロフィールならASD、ADHD』といった医学的診断の特定は、決してこれを持ってのみでは不可能であることがしっかり明記されてありました。
事実、障害は個人と環境の相互作用の中で重くもなれば軽くもなります。
同じ医学的診断の人でも同じプロフィールを示すわけでもないでしょう。また、同じプロフィールでも知的水準の高低によっても特性の見え方は異なるだろうし、他の障害との併存によっても困難の現れ方は異なるだろうと思います。
大切なことはこのプロフィールを鑑みながら、しっかり本人の実態をよく見ていくことです。
私はこの書籍を読んで特に印象的だったのは、認知特性プロフィールが得られた背景を想像しながら支援のための具体的な手がかりを探していこうとする“探究心”が何よりも大切であると教えられたように感じた点でした。
子育てのマニュアルなんかは幻想だ
本書には、受検者の認知特性プロフィールをもとにした、より良い生活に向けての必要な指導や援助のあり方を考えるための情報が多角的に書かれています。
例えばですが、“VCI-PSI”のディスクレパンシーに対する教育支援ニーズを取り上げてみます。
私の場合はVCI<<PSIが有意ですが、それに対しては『登場する言葉や概念の指導を怠らない、見て考え書いて答える活動を多く取り入れるようにする』などの具体的な支援のあり方がその根拠とともに書かれています。とても心強いです。
一方で、息子の場合はVCI>>PSIが顕著であり、それについては『早く正確に作業することが苦手になりやすい。聞いて考え話して答える活動の機会を多くもち、本人の自己実現を図る。せかしたり慌てさせたりしないための配慮と工夫が必要。』などのアドバイスが書かれています。
ようやく私にも分かってきました。
そこにはまず、心理検査を受けようとする本人なりの動機(主訴)が最初にある。
そして検査が実施され、本人の認知面での特徴は検査結果にどのように反映されたのかを考えながら、その特性と実際の困り感を繋いでいるロープのようなものを見つけていく。
そのロープはなぜ細いのか、太いロープなはぜ太いのか、太いロープで細いロープを補助できないか、どうやったらその人を少しでも安定させることができるのか。それを総合的に考えていくことがその人のための支援であって、ようやくその人らしい自己実現を目指した助言、親にはその子の子育てへの指南ができるのだろうと気づけたようにも思いました。
子育てというのは、本当にその子の認知特性次第なのだと思います。そこに加えて生来の性格だったり、環境だったり、我が家のように親の認知特性のプロフィールなども参考値として加味されながら検討されていくことがその子らしい育ちを支援することなのだと思えてきます。
ここでふと気になるのは、世の中には世間的には成功したと思われる子育ての指南書なども溢れていますね。
だけどさ、それは本当に本当に“そのお子さんの場合”だなーって、なんだか一歩引いた目で見ていかないといけないことを思い知ります😅
同じ全検査IQの数値の背景さえも、こんなにも多様です。声の掛け方ひとつとってもアプローチは違ってきます。
子育てにおいては、万人に共通するマニュアルなどはありゃしない。
その事実を当たり前だと受け止めた上で、私はまずは目の前の息子の育ちに向き合っていくしかないのなのだろうと知りました。
本書は認知特性指標間のパターン分析を詳細に解説したものであり、私は本当にたくさんの情報が得られてとても勉強になりました。
ご興味のある方は是非一度目を通してみてはいかがでしょうか😊
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