みなさんこんにちは✨
今日は娘の場面緘黙について、その後の様子を記録しておこうと思います。
前回の記事はこちらです:
これまで、娘は4歳後半で医療機関へ受診することを開始して、5歳になる頃にようやく医師より“場面緘黙”および“自閉スペクトラム症”との診断を受けることとなりました。
それから私たちは複数の療育機関や相談機関との信頼関係を構築していくことを通して、
- 娘の居場所になりうる場所を少しずつ増やしていこうとすること
- 娘の好きなことや自信を持てることを大切に大切に育むこと
を現在の大きな主眼としています。
その際、やはり最も重要な場面となるのは、娘の主な生活場所である“保育園”での過ごし方。
私は以前に娘から『保育園で困りうる場面』をしっかり聞き取ったことがありました。また、それらを保育園にもお伝えし、できる範囲で構わないので対応を考えていただければと伝えていました。
それからしばらく経った頃、本当にありがたいことに、保育園での活動内容に少し変化があったようです。私はそれを娘から伝え聞いただけですが、娘は『すごくホッとした』と言っているし保育園での生活にさらに安心感を感じられるようになったそう😊今日はそのことを記録しようと思います。
苦手がある=負荷を減らすではない支援がとても素敵だと感じました。とてもありがたく感じています。
お当番の日の仕事内容に変化があった
大きな声を出すことを怖がる娘に
以前、私が娘から“保育園で困っていること”を聞き取ろうとした時、娘は自分の言葉で一生懸命、本当に的確に私に話をしてくれました。
娘ちゃん、保育園で困ることがあれば聞かせてほしいの。先生はどう?朝の会やお当番では話せている?お友達関係はどうだろう?
それは娘が保育園にいる時間においてもお話できる先生が限られていることから始まって、あまり接点のない先生(給食の職員の方など)には必要があってもどうしても話せなくなってしまうこと、クラス活動でも場合によっては難しさを感じてしまうことなど非常に多岐に渡りました。
そうなのです。
緘黙の人の日常は、例えて言うなら日常生活の何から何までが“スカイダイビングやバンジージャンプのようなもの”だと、自身も当事者としての経験がある私は捉えています。
他の人には、なんでもないようなことかもしれません。
例えばスカイダイビングのインストラクターの方にとっては容易に飛び出せる空間であるかもしれませんが、慣れない人が飛び出す時には大丈夫だと頭で理解はしていてもどうしても不安を感じてしまい、足がすくみ、飛び出すためには大きな勇気を心算らなくてはなりません。
足がすくんで長い時間動けなくってしまう当事者に、例えばスカイダイビングのインストラクターの方はもしかしたら『早く飛べよ…』と半ばうんざりした気持ちを感じられるかもしれません。
だけど周囲が想像する以上の勇気を振り絞らなくては、緘黙の人は動けない。子供であればなおさらです。
そんなことの連続が、場面緘黙の人の日常そのものなのだろうと思っています。
娘もまた、他の子にとってはなんでもないことかもしれないことに大きな困難を感じていることが現状です。
そのうちの一つに、娘は以前、こんなことを言っていました。
お当番の時は日付を言ったり先生のお手伝いをするんだけど、みんなの前でお話しするのは怖い気持ち。
今日の日付は大きな声で言わないとみんなに聞こえないんだよ。でも、大きな声で喋りたいけどドキドキして怖くて喉がきゅってなる感じがしちゃう。
どうやら“お当番”の担当の日には、その日の日付を皆の前で全員に聞こえるようにお伝えすることが仕事らしい。だけど娘はその場面で過度に緊張してしまい、声が出せなくなってしまうことがあるそうです。
しかも、娘も自分なりにしっかり理解をしているようです。
大きな声で言わないとみんなに聞こえない=小さい声では意味がないのだと、彼女はどうやらそう思い込んで理解をしているのだと感じました。大人からすれば小さい声でも言えれば100点だと思うけど、彼女は『こうした方がもっと良い』という理想までをきちんと理解をしているために、それに縛られさらに緊張を強めているのかもしれません。
大きな声で言えたら良いのに。
だけど、どうしても声が出ない。
そのことで娘は緊張し、さらには恥ずかしさやもどかしさも感じていそうだと思いました。それも他人から見れば“ただ日付を言うだけ”のことに過ぎないかもしれないけれど、それでも本人にとってはそれがどうしても難しいのです。私はそのことが彼女の自己肯定感を損なっていないかも心配でした。
私は娘から困難に感じていることを聞き取った後の保育園との面談で、一応それもお伝えさせてはいただきました。それでもそれは場面緘黙の本態なので、集団の中ではある程度は仕方のないことでもあると重々理解もしています。焦らせず、ゆっくりと時間をかけてでも乗り越えて行くしかないのだろうと思っていました。
日付はみんなで言うことに
それからしばらしく経ってから、娘がある日、降園してきた時にこんなことを話しました。
朝の会のとき、今日の日付はお当番さんだけじゃなくてみんなで一緒に言うことに変わったんだよ。それなら言えて、娘ちゃん、けっこう嬉しいって思ってるんだよね〜♪
私は、とても驚きました。
保育園との面談の日から、それほど時間が経ったわけではありません。保育園でのお当番の仕事内容を、娘に配慮をいただいて柔軟に変えていただいたということかしら?本当に?
さらに娘は『それなら言えた』ととても嬉しそうに話しました。私が尋ねたり聞き出したわけでもなく、彼女は進んでそれを話してくれたのです。余程嬉しかったのだと思いました。
保育園での柔軟な対応に、私は込み上げてくるような感謝の気持ちを感じました。
娘は確かに困っているかもしれないけれど、クラスの活動のことですから彼女がお当番の時も毎回ただ俯いて時間を過ごすままでも決して文句は言えません。もしくは医師の診断があるのだからと娘だけがお当番の仕事を免除されるとか、そういう対応だって十分あり得る話です。
しかし保育園では、私が思う以上に柔軟に、娘もクラスの一体感の中で活動に参加できるように計らっていただいたのだと感じました。『苦手がある』=『負荷を減らす』ではない支援です。私はこれを本当に素晴らしい対応だと思いました。
そっか、本当に嬉しいね😊
うん、すごく嬉しいって思ってる♪
そういうふうに変わって、実はけっこうホッとしたんだよね〜。
安心もできたんだね!お母さんも嬉しいよ😊
うん、安心できたんだよ😊
私はそう話す娘をとても微笑ましく見守りました。発達や特性に伴う困難は、環境次第で重くも軽くもなるのだと改めて知ったようにも感じました。
素敵な保育園の環境に感謝をし、今後も娘の成長を一緒に見守っていただきたいと心強く感じています。そしてこの安心できる環境がしっかり居場所になってくれればこそ、娘はきっとこれからもさらなる挑戦のための一歩を踏み出して行けるのだろうと願っています。
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🌟私が最近読んだ書籍の紹介🌟
↑『こうした方がいい、大丈夫』などの“一般的な”アドバイスに対し、場面緘黙の経験者視点での『無茶言うな!』というツッコミ(?)が痛快であり、同じ場面緘黙経験者の私も同意できる点が多くありました(←分かっているけど出来ないから困っています!)。出来ることから少しずつでもやっていく、そんな道程を大まかにでも示そうとする経験者視点ならではの書籍であると感じました。
コメント
こんにちは、僕の本を読んでいただきありがとうございます。
こんにちは。拝読させていただきました^^私も経験者として当事者として大変勉強になりました。情報発信ありがとうございます!